吉田松陰


こんにちは、かんじです😊

本日は吉田松陰について
書いていこうと思います。

吉田松陰は、松下村塾を作り、
多くの若者に学問を教えた人です。

生徒には、伊藤博文、坂本龍馬、
高杉晋作がいました。

皆エリート集団です。

《なぜこれほどまでに
エリートが当塾に通っていたのか??》

松蔭さんは塾を開校するとき、
ある事を決めていました。

それは身分差別をなくす事です。

松蔭さんの時代はまだ徳川幕府が
国を治めていて、士農工商という
身分制度がありました。

身分の低いものはお金を搾取され、
不自由な暮らしをしなければいけません。

その中にはお金がなくなり、
餓死する人もいたでしょう。

そんな日本を変えようとした松蔭さんは
松下村塾で受講する生徒は
皆平等であると宣言します。

たとえ身分が低くても差別はしない。

皆が学べる塾にしようと考えます。

そこで考えたのが、
武士、農民、町民は皆
月謝無料で塾を24時間解放することです。

これによって、

身分差別と金銭的不足が一気に解消されたので、当時民衆には趙大人気だったらしい。

さらに松蔭さんは
貧しい人達にご飯を無料で提供する事を
しています。

今でいう慈善事業をやっていたんですね。

本当に素晴らしいと思います。、

この慈善事業によって、
日本を変えるであろう若者達が
沢山の知識と世の中の情勢を知る事が
できました。

なので、松蔭さんの塾がなければ
徳川幕府を崩壊させた大政奉還と
明治維新も成し遂げられなかった
かもしれません。

それだけ世間に影響を与えた人物です。

やばいですよね。

ただ松下村塾はある程度の資金がないと
毎月赤字になってしまいますので、
松蔭さんは他の手段でお金を
稼いでいたのだと思います。

憶測ですが笑笑

《一番心を打たれた言葉》

私が松蔭の教えで一番心打たれたのは
『命をかけて生きるという事』です。

『命をかけて生きるということが
どういうことなのかを真に学ばねばならぬ。』

と本人が言っているくらい、
命をかけることを身をていして教えてました。

黒船が来た時も
日米通商条約を結ぶときも
幕府に意見を投げかけ日本を変えようと
松蔭さんは行動してました。

その反動で幕府に目をつけられ、
牢屋に入り処刑されてしまいますが、

松蔭さんのやりたかった平等な世界は
その後に活躍する坂本龍馬や高杉晋作が
受け継ぐことになりました。

『命をかけて生きること』

私もこの気持ち大切にしていきたいです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?