「名前」と「コレクション」と「自己満足」

 みんなの考える「いい名前」ってどういうところがいいんだろう。由来や意味を知って初めてよさがわかるのかもしれない。
 実はわたしにとって名前の由来や意味はどうでもよかったりする。わたしの考える「いい名前」というのは、「響きのいい名前」に他ならない。そして、響きのいい名前に出会ったらメモすることを忘れない。「響きのいい名前コレクション」という誰かに見せるわけでもない自分だけの宝物だ。
 さすがにわかりにくいのでメモにある名前を例としていくつか出してみる。
 まずは「メルセデスベンツ」。ドイツの高級車で有名だけど、名前からして高級感が伝わってくる気がしなくもない。多分わたしはサ行に高級感や気高さを感じたんだと思う。名前のリズムもとてもいい。
 つぎは「ドヴォルザーク」。作曲家だけど、名前がものすごく強そう。「ド」「ヴ」「ザ」のように濁点が多く含まれる名前には激しさや力強さ、あるいは恐ろしさを感じる。

 名前をメモするだけで、まるで何かをコレクションとして集めているみたいで気持ちがいい。使い道がなくても、好きなものが手元にあるというだけで幸せを感じるというのは実に不思議だ。これは名前に限らず様々なものに対しても同じことが言える。わたしの知り合いに、本はあまり読まないが本棚に一冊また一冊と本が加えられていくことに快感を覚えるという人がいる。みんなの知り合いにもこういう人がいるんじゃないかなぁ。

 重要なのは、わたしは誰かに見せるために名前をメモしているわけじゃないということ。自分がやりたいから勝手にやっているだけ。でもそれで自分は大満足。 
 これを自己満足と言わずに何と言うか。名前が好きだ。だから集める。そこには自己満足以外何も存在しない。
 そういうのが大好きだ。

 自己満足で名前をメモしていると書いたけど、他者から聞いた名前もメモしたりする。わたしとは違う価値観や見方をしているからとても面白い。もっと聞いて回りたいけどなんだか恥ずかしいし難しい。突然「あなたが知っている響きのいい名前を教えて」と聞くのはヘンかもしれない。
 もしなにかあればコメントで教えてほしいです。

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