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質問媒体社・記者名・秒数付き イチロー現役引退記者会見  全文書き起こし

テレビ朝日 クサナギ 2:57
――まず、現役としての選手生活に終止符を打つことを決めたタイミング、理由をお聞かせください。

タイミングはですね、キャンプ終盤ですね。
日本に戻ってくる何日か前ですね。
何日前とはっきりお伝えできないですが、
終盤に入った時です。
もともと日本でプレーするところまでが
契約上の予定でもあってということも
あったんですが。
キャンプ終盤でも結果が出せずに、それを
覆すことができなかったということですね。

――決断に後悔や思い残すことは。

いやぁ、今日のあの球場でのできごと。
あんなものを見せられたら、
後悔などあろうはずがありません。
もちろん、もっとできたことはあると
思いますけど、結果を残すために、
自分なりに重ねてきたこと。
人よりも頑張ったということはとても言えない
ですし、そんなことは全く無いですけども、
自分なりに頑張ってきたということは
はっきり言えるので。これを重ねてきて、
重ねることでしか、後悔を生まないということは
できないのではないかなというふうに思います。

TBS イノウエタカヒロ 5:48
――テレビを通じて数多くの子どもたちが見ていると思います。これから野球を始める子どもたちもいると思います。子どもたちへメッセージを。

シンプルだなあ。メッセージかぁ〜。
苦手なのだな、僕が。
野球だけでなくても良いんですよね、
始めるものは。自分が熱中できるもの、
夢中になれるものを
みつけられれば、それに向かってエネルギーを
注げるので。そういうものを早く見つけて
欲しいなと思います。それが見つかれば、
自分の前に立ちはだかる壁に向かっていける。
向かうことができると思うんですね。
それが見つからないと、壁が出てくると
諦めてしまうということがあると思うので。
色々なことにトライして
「自分に向くか向かないか」というよりも、
「自分が好きなもの」を見つけてほしいなと
思います。


――今まで28年、あまりにも長かったっておっしゃってましたけど、
1992年に一軍デビューされてこれまで。今これを伺うのは酷かもしれないんですけど、いま思い返してこのシーンが一番印象に残っているというものを是非教えていただければ。お願いします。

うーん。今日を除いてですよね?

――はい。

この後、時間がたったら、今日のことが一番
真っ先に浮かぶことは間違いないと思います。
ただ、それを除くとすれば......。
いろいろな記録に立ち向かってきたんですけど、
そういうものは大したことではないというか。
自分にとって、
それは目指してやってきたんですけれど。
いずれそれは、僕ら後輩が先輩たちの
記録を抜いていくというのはしなくてはいけない
ことでもあるとは思うんですけど。
そのことにそれほど大きな意味はないというか。

そんなふうに、今日の瞬間なんかを体験すると、
すごい小さく見えてしまうんですよね。
その点で、例えばわかりやすい、
10年200本を続けてきたこととか、
MVPをとったとか、オールスターでどうたらとか
っていうことはほんと小さなことに過ぎないと
思います。

で、今日のあの舞台に立てたことというのは、
去年の5月以降、ゲームに出られない状況に
なって、その後もチームと一緒になって練習を
続けてきたわけですけど、それを最後まで
成し遂げられなければ今日のこの日はなかったと
思うんですよね。今まで残してきた記録は、
いずれ誰かが抜いていくと思うんですけど。

去年の5月からシーズン最後の日まで、
あの日々はひょっとしたら誰にもできないこと
かもしれないというふうな、
ささやかな誇りを生んだ日々であったんですね。
だからそのことが、去年の話ですから
近いということもあるんですけど。
どの記録よりも、自分の中ではほんの少しだけ
誇りを持てたことかなと思います。

テレビ東京 スミ 11:20
――先ほどたくさんのファンの方に支えられて、とイチロー選手自身も仰っていましたけれども、今日もイチメーターで知られるエイミーさん、ライトスタンドで見守っていましたけど。どんなチームでも、どんな状況でもずっと応援してくれたファンの存在、イチロー選手にとっていかがでしょうか?

ゲーム後にあんなことが起こるとはとても
想像していなかったですけど。
実際にそれが起きて。19年目のシーズンを
アメリカで迎えていたんですけど、
なかなかその、日本のファンの方の
熱量っていうのは普段感じることが
難しいんですね。でも久しぶりにこうやって
東京ドームに来て。で、ゲームは基本的には
静かに進んでいくんですけど。
なんとなく印象として、日本の方って
表現することが苦手というか、そんな印象が
あったんですけど、それが完全に覆りましたね。

内側に持っている熱い思いが確実にそこにある。
それを表現したときの迫力というものは
とても今まで想像できなかったことです。
ですから、まぁこれは最も特別な瞬間に
なりますけど、ある時までは自分のために
プレーすることがチームのためにもなるし、
見ていてくれる人も喜んでくれるかなというふうに思っていたんですけれど。
ニューヨークに行った後ぐらいからですかね。
人に喜んでもらえることが
一番の喜びに変わってきたんですね。
その点で、ファンの方々の存在無くしては、
自分のエネルギーは全く生まれないと言っても
良いと思います。
え、おかしなこと言ってます、僕?大丈夫ですか?

サンスポ ミワ 14:23
――イチロー選手が貫いたもの、貫けたもの。なんでしょう。

野球のことを愛したことだと思います。
これは変わることはなかったですね。
おかしなこと言ってます、僕?大丈夫?

――グリフィーが「肩の力を抜いた時、違う野球が見えてまた楽しくなる」という話されたんですけど、そういう瞬間はあったか。

プロ野球生活の中でですか?

――はい。

ないですね。これはないです。
ただ、子供の頃からプロ野球選手になることが
夢で。それが叶って。最初の2年、
18〜19歳の頃は、1軍に行ったり、来たり。
「行ったり、来たり」っておかしい?
行ったり、行かなかったり?え?
行ったり来たりって、
いつもいるみたいな感じだね。
あれ?どうやって言ったらいいんだ?
一軍に行ったり?二軍に行ったり?
そうか!それが正しいか。

そういう状態でやってる野球は
結構楽しかったんですよ。で、94年。
これ3年目ですね。仰木監督と出会って。
レギュラーで初めて使っていただいた
わけですけど。
この年まででしたね、楽しかったのは。
あとはなんかね、
その頃から急に番付あげられちゃって一気に。
それはしんどかったです。

やっぱり、力以上の評価をされるというのは
とても苦しいですよね。だからそこから、
純粋に楽しいということは…...。
やりがいがあって、達成感を味わうこと、
満足感を味わうことはたくさんありました。
ただ、楽しいかというとそれとは
違うんですよね。
でも、そういう時間を過ごしてきて、将来はまた楽しい野球がやりたいなというふうに。

これは皮肉なもので。
プロ野球選手になりたいという夢が
叶ったあとは、そうじゃない野球をまた
夢見ている自分が、ある時から
存在したんですよね。でもこれは、
中途半端にプロ野球生活を過ごした人間には
おそらく待っていないもの。
まぁ趣味で野球をやること、
例えば草野球ですよね。
草野球に対して、やっぱりプロ野球でそれなりに
苦しんだ人間でないと草野球を楽しむことは
できないのではないかというふうに
思っているので。これからは、そんな野球を
やってみたいなという思いですね。
おかしなこと言ってます、僕?大丈夫?

日本テレビ トクシマエリカ 18:40
――この開幕シリーズを「大きなギフト」と仰っていた。でも今回、私たちのほうが大きなギフトをもらったような気持ちでいるんです。
そんなアナウンサーぽいこと言わないでくださいよ(笑)
――またこれから、どんなギフトを私たちにくださるのでしょうか。

ないですよ、そんなの。
無茶言わないでくださいよ(笑)でも本当、
これは大きなギフトで。
去年3月の頭にマリナーズからオファーを
頂いて。からの今日までの
流れがあるんですけど。あそこで終わっていても
全然おかしくないですからね。
去年の春に終わっていても
全くおかしくない状況でしたから。

いま、この状況が信じられないですよ。
あの時考えていたのは、自分がオフの間、
アメリカでプレーするために準備をする場所
というのは神戸の球場なんですけど、
そこで寒い時期に練習するので、凹むんですよね。
やっぱ心折れるんですよ。
でもそんなときも、いつも仲間に支えられて
やってきたんですけど、最後は今まで自分なりに
訓練を重ねてきた神戸の球場で
ひっそりと終わるのかなぁというふうに、
あの当時想像していたので。
もう夢みたいですよ、こんなの。
これも大きなギフトです、僕にとっては。
だから質問に答えてないですけど、
僕からのギフトなんてないです(笑)

――涙なく、むしろ笑顔が多いように見えたのは、この開幕シリーズが楽しかったということなんでしょうか。

これも純粋に楽しいということ
じゃないんですよね。やっぱり、
誰かの思いを背負うということはそれなりに
重いことなので。そうやって一打席、一打席
立つことって簡単ではないんですね。
だから、すごく疲れました。
やっぱり、一本ヒットを打ちたかったし、
応えたいって当然ですよねそれは。
僕にも感情がないと思っている人が
いるみたいですけど、意外とあるんですよ。

だから、結果残して最後を迎えられたら
一番良いなと思っていたんですけど、
それは叶わずで。
それでもあんなに、球場に残ってくれて。
まあ、そうしないですけど、
「死んでもいい」という気持ちは
こういうことなんだろうなというふうに
思います。死なないですけど。
そういう表現をするときって、
こういうときなのかなと思います。

朝日新聞 ヤマシタ 23:03
――常々「最低50歳まで現役」と言っていたと思うんですが、日本のプロ野球界に戻ってきてプレーをすると言う選択肢はイチローさんにはなかったのでしょうか。

なかったですね。

――どうしてでしょうか。

それはここで言えないなぁ。
ただね、50まで。確かに、最低50までって本当に
思っていたし、それは叶わずで。
有言不実行の男になってしまったわけですけど、
でもその表現をしてこなかったら
ここまでできなかったかもなという
思いもあります。だから、言葉にすること。
難しいかもしれないけど、言
葉にして表現することというのは、
目標に近づく一つの方法ではないかなと
いうふうに思っています。

共同通信 コニシ 24:32
――これまで膨大な時間を野球に費やしてこられたと思うんですけど、これからそういう膨大な時間とどういうふうにお付き合いされていくんでしょうか。
これからの膨大な時間ということですか?それとも、これまでの膨大な時間ということですか?
――野球に費やしてきた時間が空くという前提で、どうされていくのかなと。

まあ、ちょっと今はわからないですね。
でも多分、明日もトレーニングはしてますよ。
それは変わらないでしょうね。
僕、じっとしてられないから。それは、
動き回ってるでしょうね。
だから、ゆっくりしたいとか全然ないんですよ。
全然ない。動き回ってます。

フジテレビ ショウノ 25:48
――メジャーリーグでもご活躍されまして、日本人としてイチロー選手の存在をとても誇りに思っている方も多いと思うんですけど、イチロー選手の生き様でファンの方々に伝えられたことや伝わっていたら嬉しいと思うことはありますでしょうか。

生き様というのは、
僕にはよくわからないですけど。
うーん、まあ「生き方」というふうに考えれば。
先程もお話しましたけれど、
人より頑張ることなんて
とてもできないんですよね。あくまでも、
はかりは自分のなかにある。
それで自分なりにはかりを使いながら、
自分の限界を見ながら、
ちょっと超えていくということを
繰り返していく。そうするといつの日か、
こんな自分になっているんだという
状態になって。

だから、少しずつの積み重ねが、
それでしか自分を超えていけないというふうに
思うんですよね。一気に高みに行こうとすると、
今の自分の状態とギャップがありすぎて、
それが続けられないと僕は考えているので。
地道に進むしかない。
進むだけではないですね。後退もしながら。
ある時は後退しかしない時期もあると思うので。

でも、
自分がやると決めたことを信じてやっていく。
でもそれは正解とは限らないですよね。
間違ったことを続けてしまっていることも
あるんですけど。
でもそうやって遠回りすることでしか
本当の自分に出会えないというか。
そんな気がしているので。
そうやって自分なりに重ねてきたことを、今日の
あのゲーム後のファンの方の気持ちですよね。
それを見たときに、ひょっとしたら
そんなところを見て頂いていたのかなと。
それは嬉しかったです。
そうだとすればすごく嬉しいし、
そうじゃなくても嬉しいです、あれは。

日刊スポーツ タカハラ 29:15
――すごくシンプルな質問ですけど、現役選手を終えたら、この世界では一般的には 監督になったり指導者になったり。あるいはタレントになったりすることもよくある......
あんまりシンプルじゃないですね、質問が…(笑)
――イチロー選手は、さっき動き回るって言ってましたけど、何になるんですか。

何になるんだろうね。
そもそもなんかさ、
カタカナの「イチロー」ってどうなんですかね。
なんか「元カタカナのイチロー」みたいに
なるんすかね。あれどうなんだろう。
どうなんだろうね、あれ。
「元イチロー」って変だよね。
いや一朗だし、僕。
音はイチローだから。書く時どうなんだろうね。
どうしよっか。何になる。うーん。
でも、監督は絶対無理ですよ。
これは「絶対」がつきますよ。人望がない。
ほんとに。人望がないんですよ僕。

――そうでもないと思いますけどね。

いやぁ…無理ですね。
そのくらいの判断能力は備えているので。
ただ、どうでしょうね。プロの選手とか
プロの世界というよりも、アマチュアと
プロの壁がどうしても日本の場合、
特殊な形で存在しているので。
今日をもって、どうなんですかね、
そういうルールって。どうなんだろう。
今までややこしいじゃないですか。

例えば極端に言えば、自分に子どもが
いたとして、高校生であるとすると
教えられなかったりというルールですよね?
違う?そうだよね?
だから、
そういうのってなんか変な感じじゃないですか。
だから今日をもって「元イチロー」になるので。
それは小さな子どもなのか、中学生なのか、
高校生なのか、大学生なのか、
それはわからないですけど。
そこには興味がありますね。

TBSテレビ『ビビット』 ジョウジ 32:55
――先ほど、引退を決めた時期はキャンプ終盤というお話があったんですけど。そこに至る以前にも「引退」の二文字が浮かんだりして悩んだ時期というのはあったんでしょうか。

引退というよりは、「クビになるんじゃないか」
というのはいつもありましたね。
ニューヨーク行ってからは毎日そんな感じです。
ニューヨーク、マイアミもそうでしたけど。
ニューヨークって、みなさんご存知かどうか
わからないですけど、特殊な場所です。
マイアミもまた違った意味で特殊な場所です。
だから毎日そんなメンタリティで
過ごしていたんですね。クビになるときは、
まさにその時だろうと思っていたので。
そんなのしょっちゅうありました。

――そういう時期がずっと続いている中で今回、引退を決意された理由というをズバリお伺いしたいんですけど。

マリナーズ以外に行く気持ちがなかった
ということは大きいですよね。
去年、シアトルに戻していただいて、
本当に嬉しかったし。先程キャンプ前、
オファーがある前の話をしましたけど。
その後、5月にゲームが出られなくなる。
あのときも、そのタイミングでも
おかしくないんですよね。でもこの春に向けて、
まだ可能性があるというふうに
伝えられていたので。そこも自分なりに
頑張ってこられてということだと
思うんですけれど。質問なんでしたっけ?

――いままで何度か「引退」という文字があったのにもかかわらず、今回引退を決めた理由。

ああ、そうか。もう答えちゃったね。

――きょうの8回でベンチに戻る際に菊池雄星選手が号泣されていて...

いや、号泣中の号泣でしょ、あいつ。
いや、びっくりしましたよ。
それ見て、こっちはちょっと笑ってましたけどね(笑)

――抱擁していたときにどんな会話を。

いやあ、それはプライベートなんで。
雄星がお伝えするのは構わないですけど、
僕が伝えることではないですね。

――秘密ということで。

それはそうでしょ。だって、二人の会話だから。
しかも僕から声をかけているので。
それをここで、
僕が「こんなことを僕は言いました」って
馬鹿ですよね。
絶対信頼されないもんね、そんな人間は。
それはダメです。

――すごくお人柄がわかるお答えで。ありがとうございました。

ありがとうございます。

共同通信海外部 アレン 36:38
――19年間、アメリカでプレーした。アメリカのファンへの思い出や、メッセージはありますか。

アメリカのファンの方々は、
最初は、まぁ厳しかったですよ。そりゃあまぁ2001年の最初のキャンプなんかは「日本に帰れ」ってしょっちゅう言われましたよ。
だけど、結果を残した後の敬意というのは。
うーん。これを評価するというのかは
わからないですけど。「手のひらを返す」
という言い方もできてしまうので。
ただ、言葉ではなくて
行動で返したときの敬意の示し方というのは、
その迫力はあるなという印象ですよね。

なかなか入れてもらえないんですけど、
入れてもらった後、認めてもらった後は
すごく近くなるというような印象で。
ガッチリ関係ができあがる。
シアトルのファンとはそれができたような。
それは僕の勝手な印象ですけど。
でまあ、ニューヨークというのは、うん…。
厳しいとこでしたね。
でも、やればそれこそ、どこよりも、
どのエリアの人たちよりも熱い思いがある。
マイアミっていうのは、
ラテンの文化が強い印象で。
圧はそれほどないんですけど、
でも結果残さなかったら絶対に人は
来てくれないっていう。そんな場所でしたね。

それぞれに特色があって面白かったし、
それぞれの場所で関係を築けたような、
特徴はそれぞれありましたけど。
なんかアメリカは広いなと。
ファンの人達の特徴をみるだけで、
アメリカはすごく広いなという印象ですけど。
やっぱり最後にシアトルのユニフォームを着て、
セーフコ・フィールドではなくなって
しまいましたけれど。姿をお見せできなくて。
それは申し訳ない思いがあります。

バズフィード ヨシカワ 40:34
――先ほど「常にクビになるんじゃないか」みたいに意識されているというお話がありました。イチロー選手というと、大変ユニークなTシャツがよく話題になると思うんですけど。着ているTシャツで「もう限界」「もうマヂ無理」など。あれってうのはイチロー選手の心情を表したりとか、何かアピールとかあるんでしょうか、それとも全く関係なく好きで着ているのか。

そこは言うと急に野暮ったくなるから
言わないほうがいいんだよね。
それは見る側の解釈だから。
そう捉えれば、そう捉えることもできるし、
全然関係ない可能性もあるし。
それでいいんじゃないんですか。

――ファンにそこは好きに楽しんでいただきたいと。

だって、そういうものでしょ。
いちいちそれを説明すると本当に
野暮ったいもんね。

――言わないほうが粋だと?

まあ、粋って自分で言えないけど。
言うと無粋であることは間違いないでしょうね。

(社名名乗らず)ササオカ 41:52
――イチローさんはよく24 時間を野球のために使ってきたと仰いますけど、そんなイチローさんを支えてきたのはやはり弓子夫人だと思います。こんだけたくさんの堅田いるなかで、イチローさんを支え続けた弓子夫人へのお言葉を聞くのは野暮かとは思いますが、あえて今日は聞かせていただきたいんですけど。

いやぁ〜うーん。頑張ってくれましたね。
一番頑張ってくれたと思います。
僕はアメリカで、結局3089本のヒットを
打ったわけですけど、妻はですね、およそ、
僕はゲーム前にホームの時はおにぎりを
食べるんですね。妻が握ってくれたおにぎりを
球場に持っていって食べるんですけど、その数が2800ぐらいだったんですよ。
3000いきたかったみたいですね。
そこは、うーん、
3000個握らせてあげたかったなというふうに
思います。妻もそうですけど、
とにかく頑張ってくれました。
僕はゆっくりする気ないですけど、
妻にはゆっくりしてもらいたいと思っています。

それと一弓ですね。
一弓というのはご存じない方もいらっしゃると
思いますけど、我が家の愛犬ですね。
柴犬なんですけど。現在17歳と7カ月。
今年で18歳になろうかという柴犬なんですけど。
さすがにですね、おじいちゃんになってきて。
毎日フラフラなんですけど、
懸命に生きているんですよね。
その姿を見ていたら、
それは俺頑張らなきゃなと。
これはジョークとかではなく、
本当に思いました。
懸命に生きる姿。うん。
2001年に生まれて2002年にわが家に
来たんですけど、まさか最後まで一緒に、
僕が現役を終えるときまで一緒に過ごせるとは
思っていなかったので、
これは大変感慨深いですね。
一弓の姿というのは。
ほんと、
妻と一弓には感謝の思いしかないですね。

朝日新聞 トオダ 45:53
――3月終盤に引退を決められたということですが、素人が技術の質問をするのは大変恐縮なんですが、打席内での感覚の変化は今年はなにかあったか。

いる、それ、ここで?。いる(笑)?

――ぜひとも、はい。

裏で話すわ、あとで。裏で。

日本スポーツ企画出版社 アライ 46:40
――これまでイチロー選手は数多くの決断と戦ってきたと思います。00年オフでのポスティングでの移籍ですとか、06年WBC参加、07年オフのマリナーズとの契約延長、12年のニューヨークのトレード移籍や今回。いままでの中で、一番考え抜いて決断したものはなんだったんでしょうか。

うーん。これ順番つけられないですね。
それぞれが一番だと思います。ただ、
アメリカでプレーするために、当時、今とは違う形のポスティングシステムだったんですけど。
自分の思いだけでは当然それは叶わないので。
当然球団からの了承がないといけないんですね。

じゃあその時に、誰をこちら側、
こちら側というと敵味方みたいで
おかしいんですけど、球団にいる誰かを
口説かないといけないというか、
説得しないといけないというか。
その時に一番に浮かんだのが仰木監督ですね。
その何年か前からアメリカでプレーしたいという
思いは伝えていたこともあったんですけれど、
仰木監督だったら美味しいご飯とお酒を
飲ませたら、「飲ませたら」って、これはあえて言ってますけど。

これはうまくいくんじゃないかなとおもったら、
まんまとうまく行って。これがなかったら、
なんにも始まらなかったので。口説く相手に
仰木監督を選んだのは大きかったなあと
思いますね。また、だめだだめだと
仰っていたものがお酒でこんなに
変わってくれるんだと思って。
お酒の力を、まざまざと見ましたし。
でもやっぱり、
洒落た人だったなあというふうに思いますね。
だから、仰木監督から学んだもの。
計り知れないと思います。

――ちなみに、今回の会見の発表があった日は日本代表が第1回WBCで優勝した日だったんですけど、それは何かこう。運命的なものなのがあったりするのかなと勝手に思っちゃったんですけど。

聞かされればそう思うこともできる、
という程度ですかね。
僕はそのことは知らなかったですけれど。

日本テレビ ツジオカギドウ 50:43
――イチロー選手が現役時代に一番我慢したこと、我慢したもの。なんだったんでしょうか。

難しい質問だなぁ。
僕、我慢できない人なんですよ。
我慢が苦手で、
楽なこと楽なことを重ねているという感じ
なんですね。自分ができること、やりたいことを
重ねているので我慢の感覚がないんですけど。

だから、
とにかく身体を動かしたくてしょうがないので。
こんなに動かしちゃダメだといって、
身体を動かすことを我慢するということは
たくさんありました。それ以外は、
なるべくストレスが無いような、
自分にとってですね、ストレスが無いように
行動してきたつもりなので。家では妻が料理を色々考えて作ってくれますけど。
ロードに出るとなんでも良いわけですよね。
そりゃ無茶苦茶ですよ、ロードの食生活なんて。
だから我慢できないから、結局そういう事に
なってしまうんですけど。そんな感じなんです。
だから今聞かれたような趣旨の我慢は
思い当たらないですね。
おかしなこと言ってます、僕?大丈夫?

台湾中央通訊社 50:52
――台湾にもイチローさんのファンがいっぱいいまして、なにか台湾の皆さまに伝えたいことはありませんか。

チェンが元気か知りたいですね。
チェン、チームメイトでしたから。
チェンは元気にやってますかね?

ーーはい

そうですか。それは聞けて何よりです。

ーー台湾にいらっしゃる予定はありますか。

今のところ予定はないですけど。
以前に一度行ったことはあるんですよ。
すごく優しい印象でしたね。
心が優しくて、なんかいいなと思いました。

https://www.mlb.com/player/wei-yin-chen-612672

夕刊フジ カタオカ 54:13
――今年菊池雄星投手が同じマリナーズに入って、去年はエンゼルスに大谷翔平選手が入りました。今、イチロー選手が後輩たち託したいものとか、託すものってありますか。

まあ、雄星のデビューの日に、
僕は引退を迎えたというのは、
なんかいいなあというふうに思っていて。
もう、ちゃんとやれよという思いですね。
短い時間でしたけれども、すごくいい子で。
やっぱりね、色々な選手を見てきたんですけど、
左ピッチャーの先発って、
変わっている子が多いですよ、ほんとに。

天才肌が多いという言い方もできるんですかね。

アメリカでも、まあ多いです。
だから、「こんなにいい子、いるのかな?」
という感じですよ、今日まで。
でも、キャンプ地から日本に飛行機で
移動してくるわけですけど。
チームはドレスコードですね、服装のルールが
黒のジャージのセットアップでOK。
長旅なので、できるだけ楽にという配慮ですけど。「じゃあ雄星、俺たちどうする」って。
アリゾナを立つ時はいいんだけれど、日本に
着いた時に「さすがにジャージはダメだろ」って
二人で話していたんですよね。

「そうですよね。イチローさんどうするんですか?」って言われたので
「中はTシャツだけど、まあセットアップで。
一応ジャケット着てるようにしようかな」って。
「じゃあ僕もそうします」って
雄星は言うんですよ。

で、キャンプ地を立つときのバスの中で、
僕もそうでしたけどみんな黒のジャージの
セットアップでバスに乗り込んできて。
雄星と近かったので、席が。
「いや雄星、これやっぱダメだよな。日本に着いた時にこれはメジャーリーガーこれダメだろ」
って、バスの中でも言ってたんですよ。
「いや、そうですよね」って。

で、まさかのあいつ羽田着いた時、黒のジャージでしたからね。いや、こいつ大物だなって
思って。ぶったまげました。
それは本人にまだ聞いてないんですけど、
その真相は。
何があったのかわからないですけど。
やっぱり左ピッチャーは変わったやつが多いなと
思ったんですね。
でも、スケール感は出ていました。
頑張ってほしいです。

翔平はケガを治して。
スケールも物理的にも大きいわけですし。
アメリカの選手に全くサイズ的にも劣らない。
あのサイズで、あの機敏な動きができる
というのはいないですからね。それだけで。
世界一の選手にならなきゃいけないですよ。

J SPORTS セツマル 59:08
――野球への愛を貫いてきたというお話でしたけど、イチロー選手が感じている野球の魅力というのはどんなところでしょうか。それとイチロー選手が引退して悲しんでいるファンの方々が今年以降、イチロー選手が出ない野球を楽しむ上で、メジャーリーグとプロ野球、どんなところを楽しめばいいか。

野球の魅力ね。うーん。団体競技なんですけど、
個人競技だっていうところですかね。
これは野球の面白いところだと思います。

チームが勝てば、それでいいかというと、
全然そんなことないですよね。
個人としても結果を残さないと生きていくことは
できないですよね。
本来はチームとして勝っていればチームとしての
クオリティは高いはずなので、
それでいいんじゃないかという考え方もできると
思うんですけど、決してそうではない。
その厳しさが面白いところかなというふうに。
面白いというか魅力であることは
間違いないですね。
あと、同じ瞬間がないということ。
必ず、必ずどの瞬間も違うということ。
これは飽きがこないですよね。

2つ目はどうやって楽しんだらいいかですか。
2001年に僕はアメリカに来てから、
この2019年。
現在の野球は全く違う野球になりました。
頭を使わなくてもできてしまう野球に
なりつつあるような。選手はみんな、
選手も現場にいる人たちはみんな
感じていることだと思うんですけど、
これがどうやって変化していくのか。
次の5年、10年、しばらくはこの流れは
止まらないと思うんですけど。
本来は野球というのは…ダメだな、
これ言うと問題になりそうだな。
頭を使わなきゃできない競技なんですよ、
本来は。
でも、そうじゃなくなっているのが、
どうも気持ち悪くて。ベースボールの発祥は
アメリカですから、
その野球がそうなってきているということに、
危機感を持っている人って
結構いると思うんですよね。
日本の野球がアメリカに追従する必要なんて
全くなくて。やっぱり日本の野球は頭をつかう
面白い野球であってほしいなって思います。
アメリカのこの流れは止まらないので。
せめて日本の野球は、
決して変わってはいけないこと、
大切にしなくてはいけないものを、
大切にしてほしいなというふうに思います。

週刊SPA! コジマ 1:03:51
――3089本のヒットを打たれたメジャーリーグの試合、今日まで2653試合プレーされてらっしゃいました。偶然だと思うんですけど、一番最初のゲーム、セーフコでの。オークランドアスレチックス戦でした。最初バートロ・コロンと対戦した時に3打席打ち取られて、4打席目に センター前に鮮やかな1本目のヒット、抜けていったことを...
うん?誰って言いました?コロン? コロンはインディアンスですよその当時。
ーーコロンじゃないな。えー。
ハドソンですね。
ーーハドソンでした。ティム・ハドソンでしたね、失礼しました。
で、ティムから打ち取られて、4打席目最初のヒットが抜けて行きました。今日、最後の試合に結果的になりましたけど、最初の3度のバットが凡退で、4度目のネクストバッターサークルの時に、ひょっとしたらオープニングゲームのことが、頭によぎったのではないかなんて見てる私は勝手に想像したんですけど。一年目のゲームとか思い出したりしましたか。

長い質問に対して大変失礼なんですけど、
ないですね。

文化放送 サイトウ 1:05:26
――子供の頃からの夢であるプロ野球選手になる夢を叶えてこれだけ成功なさって。イチローさんは今、何を得たと思うか。

成功かどうかって、よくわからないですよね。
じゃ、どこからが成功でそうじゃないのかって、全く僕にはそれは判断できない。
成功という言葉は、
だから僕は嫌いなんですけど。

メジャーリーグに挑戦する。
どの世界でもそうですね。
新しい世界に挑戦するということは、
大変な勇気だと思うんですけれど。

ここはあえて「成功」と表現しますが
「成功すると思うからやってみたい。
それができないと思うから行かない」
という判断基準では、
後悔を生むだろうなというふうに思います。
やりたいならやってみればいい。

「できる」と思うから挑戦するのではなく
「やりたい」と思えば挑戦すれば良い。
その時に、どんな結果が出ようとも、
後悔はないと思うんですよね。
自分なりの成功を勝ち取ったところで、
じゃあ達成感があるのかといったらそれも
僕には疑問なので。
基本的にはやりたいと思ったことに
向かっていきたいですよね。

――何を得たか。

まあ、こんなものかなぁという感覚ですかね。
いや、そりゃあ200本もっと打ちたかったし、
できると思ったし。一年目にチームは116勝して、その次の二年間も93勝して。
勝つのってそんなに難しいことじゃないなって、
その3年は思ってたんですけど。
大変なことです、勝利するのは。この感覚を
得たことは大きいかもしれないですね。

夕刊フジ ヤマト 1:09:00
――メジャーでの年数も長かったんですけど、毎年自主トレでも神戸に行かれていますし、ユニフォームを脱がれることで神戸になにか恩返ししたいなとか、そういうお気持ちはありますでしょうか。

神戸は特別な街です、僕にとって。
恩返しかぁ…。
恩返しって、何することなんですかね?
僕は選手として続けることでしか、なんかそれができないんじゃないかなというふうに
考えていたこともあって、できるだけ長く現役を
続けたいと思っていたこともあるんですね。
神戸に恩返し。うーん…じゃあまぁ、
税金を少しでも払えるようにがんばります。

ハフポスト日本版 タナカ 1:10:28
――日米で活躍される選手は、今までも、まず甲子園に出て活躍して、プロ野球に入って活躍して、メジャーに挑戦してという流れがあると思うんですけど。自身の経験から、こういう制度であればメジャーに挑戦しやすかった、もしくは日本のプロ野球に残ってもっとやりたかったとか。もしもの話なんですけど、育成制度とかも合わせて、こういうこともあればいいなということがあれば提言をいただきたいんですけど。

まあ、制度に関して僕は詳しくないんですけど。
でも日本でその基礎をつくる。
自分が将来MLBでプレーする…
聴いてらっしゃいます?

ーー打ちながら聴いてます。 

MLBで将来、活躍をするための礎をつくる
というふうな考え方であれば、
出来るだけ早くというのはわかりますけど、
日本の野球で鍛えられることって
たくさんあるんですよね。
だから制度だけに目を向けるのはフェアじゃない
かなというふうに思いますけどね。 

――特に日本の野球で鍛えられたことっていうのはご本人のなかではどんなものでしたか。

いやそりゃ基本的な基礎の動きって、
おそらくメジャーリーグの選手より、
日本だったら中学生レベルのほうがうまい
可能性だってありますよ。それはチームとしての連携もあるじゃないですか。そんなの言わなくたってできますからね、日本の野球では。
でもこちらでは、なかなかそこは。個人としてのポテンシャルは高いですけど、
運動能力は高いですけどそこにはかなり
苦しみましたよ。苦しんで、諦めましたよ。

TBSテレビ? ヤマシナ 1:13:25
――個人的にエンゼルスの大谷翔平選手との対戦を楽しみにしてたんですが、それが叶わなかったということで、イチローさん本人としては今も大谷投手と対戦をしたかったというのはありますでしょうか。あと、大谷選手のメジャーリーガーとしての今後に期待すること、あれば一言お伺いしたいんですが。

先程もお伝えしましたけど、
世界一の選手にならなきゃいけない選手ですよ。
そう考えています。
翔平との対戦、残念ですけど。
できれば僕はピッチャーで、
翔平バッターがやりたかったんですよ。

そこは誤解なきようにお願いします。

――今後、大谷選手はどんなメジャーリーガーになっていくと思いますか。

なっていくかどうか。
そこは占い師に聞いてもらわないと
わからないけどねぇ。

でも、投げることも打つこともやるのであれば、
僕はワンシーズンごとに、
ワンシーズンはピッチャー。
次のシーズンは打者として。
それでサイヤングとホームラン王をとったら。

そんなことだって
考えることすらできないですよ。
でも翔平は、その想像をさせるじゃないですか
人に。
この時点でもう、明らかに
人とは違う選手であると思うんですけど。
その二刀流は面白いなと思うんですね。
なんか納得いってない感じの表情ですけども。
ピッチャーとして20勝するシーズンがあって、
その翌年には50本打ってMVPとったら
化物ですよね。
でも、それが想像できなくはないですからね。
そんなふうに思っています。

毎日新聞社 キシモト 1:15:58
――あるアスリートの方に伺ったのですが、その方が「自分が現役選手でなくなったことを想像すると嫌だ」とイチローさんに仰って、イチローさんが「自分も同じだ。自分も野球選手じゃなくなった自分が想像できない。嫌だ」と仰ったと伺いました。

僕、「嫌だ」って言わないと思うけどね。
「野球選手じゃない僕を想像するの嫌だ」とは
多分、言ってないと思うんですよ。

――改めて、野球選手じゃない自分というのをいま想像していかがですか。

だから、違う野球選手に多分なってますよ。
あれ?この話、さっきしましたよね?
ちょっともう、お腹へってきて集中力が
切れてきちゃって。
さっき、何話したのか記憶が。
あれ?草野球の話しましたよね?しましたね。
はい。だから、そっちで。いずれ、
それはきっと楽しくやってると
思いますけど。そうするときっと、草野球を
極めたいと思うんでしょうね。だから真剣に
草野球をやる野球選手になるんじゃないですか、結局。
聴いてます?


お腹減ってきた〜もぉ〜!
結構やってませんか?
今時間どれくらい?1時間20分?
あらぁ〜。
今日はとことんお付き合いしようかなと
思ったんですけどねぇ、
お腹減ってきちゃった(笑)


デイリースポーツ コバヤシ 1:17:58
――プロ野球人生を振り返って、「誇れること」普段あんまりこういうことを語るのは好きではないと思うんですけど。あえてこの場で質問したいんですけど、誇れること、なんですか?

これ、先程お話しましたね?小林くんもちょっと集中力切れてるんじゃないの?
完全にその話したよね。
ほら、それで一問減ってしまうんだから。

日本テレビ イトウヒロミ   1:18:47
――イチロー選手の小学生時代の文集が有名だと思います。「僕の夢は一流のプロ野球選手になることです」という言葉から始まると思います。それを書いた当時の自分に、いま、どんな言葉をかけたいですか。

「お前、契約金1億円ももらえないよ」って、
ですね(笑)
いやあ、夢は大きくといいますけどねぇ。
なかなか難しいですよ。「ドラ1の1億」って
掲げてましたけど、全然遠く及ばなかった
ですから。いやぁ、ある意味では挫折ですよね、
それは。
こんな終わり方でいいのかな。
なんかキュッとしたいよね、最後は。

Full-Count キザキ 1:20:00
――昨年マリナーズに戻りましたけど、その前のマリナーズ時代、何度か「自分は孤独を感じながらプレーをしている」と仰っていましたけれども。ヤンキース、マーリンズに移られ、プレーする役割っていうのがが変わってきました。去年ああいう状態になって、今年引退にな理ましたけど。その「孤独感」はずっと感じながらプレーしていたのでしょうか。前の孤独感とは違ったものがあったのか。その辺はどうなんでしょう。

現在、それは全くないです。
今日の段階で、それは全く無いです。
それとは少し違うかもしれないですけど、
アメリカに来て、メジャーリーグに来て、
外国人になったこと。
アメリカでは僕は外国人ですから。
このことは、外国人になったことで、
人の心を慮ったり、人の痛みを想像したり、
今までなかった自分があらわれたんですよね。


この体験というのは、本を読んだり、
情報をとることはできたとしても、
体験しないと自分の中からは生まれないので。
孤独を感じて、苦しんだこと多々ありました。
ありましたけど、
その体験は未来の自分にとって
大きな支えになるんだろうと今は思います。
だから、辛いこと、しんどいことから逃げたいと
思うのは当然のことなんですけど、
でも、エネルギーのある元気なときに、
それに立ち向かっていく。
そのことは、すごく、
人として重要なことなんではないかなと
感じています。



締まったねぇ、最後(笑)
いやぁ、長い時間ありがとうございました。
眠いでしょ、みなさんも。
ねぇ。いやぁ。
じゃあそろそろ帰りますか。ねっ?

https://www.youtube.com/watch?v=a4AtxQWhN6I


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