あなたが棄てた一票は、ある人が、どんなに望んでも得られなかった一票です。

選挙のたびに投票率の低さが問題になる。投票率の低さは、ある種(例えば政治不信)の民意の表明であるという考えもあるだろうが、あなたが有する選挙権は、どんなに望んでも手に入れることのできない人もいる中で与えられた、貴重な一票であることを忘れないでほしい。

説教くさくなると、読むのに疲れてしまうだろう。だから、私は、その貴重な一票を手に入れるために戦ったある女性のエピソードを語ろうと思う。

2013年3月14日、東京地方裁判所の傍聴席は、拍手喝采に包まれた。この裁判は、最高裁の判決を待たずして、国が控訴を諦め、和解に応じた。この裁判のヒロインは、ある女性であった。彼女は、社会的に弱者とされる人であった。しかし、彼女は、この国との戦いによって、選挙権を勝ち取った英雄、まさしく、ジャンヌダルクとなり、この判決による福音は、実に約13万6000人の社会的弱者にもたらされた。しかし、彼女について語らなければならないのは、彼女が、馬に乗って剣を振るう、あるいは、著名な人権活動家ではないということである。ただ、彼女は、国民の権利である選挙権の享受を望むいわゆる「一般」の女性であった。ただ、彼女がダウン症を抱えていたということを除いては。

成年後見制度は、精神の障がいなどにより、弁識能力を欠いた当事者について、その当事者の財産などを保護するために、契約の自由を制限し、成年後見人が、代わりに責任を持って、財産の管理などを行うことができる制度である。しかし、改正以前の公職選挙法では、成年被後見人は選挙権を有しないとされていた。

彼女の父は、彼女の将来のために、成年後見制度を利用した。しかし、それによって、彼女の選挙権は失われた。彼女は、欠かさず選挙に行っていた。特別な理由なく、選挙権を放棄する人々がいる中、彼女は、選挙権という当然の権利を、決して、棄てることはなかった。その彼女に、ハガキが来なくったのは、彼女が、成年被後見人となってからである。

彼女と彼女の父は、この不正義に立ち向かった。公職選挙法11条1項1号の合憲性を巡って国を相手に訴えを起こしたのである。弁護団の尽力、そして、何よりも、「選挙に行きたい!」という彼女の熱意は、裁判所を突き動かした。滅多に出ることのない、違憲判決が出たのである。

裁判所は、

「憲法15条3項は,成年者による普通選挙を保障し,未成年であること 以外の制限を設けておらず,成年者については選挙に関する能力を何ら要 求していないこと,障害者の権利に関する条約(以下「障害者権利条約」 という。)も障害のある者の選挙権の存在を前提としていることからすれ ば,選挙の公正確保を理由に成年被後見人が選挙権を有しないとすること は,障害􏰂能力を理由に選挙権を制限しない憲法等の考え方と相反するも のであり,公職選挙法11条1項1号の目的自体が正当性を欠いている。 また,成年被後見人が選挙権を有することにより,実際に選挙の公正が確 保できないという弊害􏰂不利益は考え難い(中略)成年被後見人の選挙権を一律に剥奪することは,成年後見制度の導入に 当たり􏰁確化あるいは追加された理念,すなわち,障害者と健常者の共生 社会の実現をめざし,障害者の権利擁護,自己􏰀定の尊重,残存能力の活 用を提唱するノーマライゼーションの観点と相容れない。
このように,成年被後見人に対する選挙権を一律に剥奪するという手段 は,選挙の公正の確保という目的との適合性を著しく欠いている上,その ために必要最小限の制約ともいえず,平等原則􏰂ノーマライゼーションの観点にも反するから,公職選挙法11条1項1号は,違憲無効である」とし、目的・手段の合理性のなさを指摘し、年被後見人は選挙権を有しないと定めた公職選挙法11条1項1号は,憲法15条1項及び3項,43条1項並びに44条ただし書に違反するというべきであるとし、公職選挙法11条1項1号を違憲とした。

障がいを持つ人々こそ、選挙を必要とする。その当然の考えを、裁判所は、当然に、認めたのである。

裁判長は、最後に、原告の女性に以下のように語りかけた。裁判所の傍聴席は感動に包まれた。

「どうぞ選挙権を行使して社会に参加してください。堂々と胸を張っていい人生を生きてください」


参考・引用



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