何回も繰り返し僕ら乾杯したんだ
ミスチルの櫻井さんが歌うyouthful daysの歌詞。
それを聞きながら、まだお酒の飲めない僕は乾杯に思いを馳せた。
みんなにとっての乾杯
大人になっていろんな席でお酒を飲んだ。
親しい友人と飲む場。
初対面の女子と飲む場。
会社の上司と飲む場。
そのどの場でも少し遅れてくる人がいる時、何故か乾杯するのを待とうとする人がいる。
「時間通りに来ている人がなぜ遅れてくる人を待つんだ?」
そんな屁理屈とも取れる、自分なりの正論を抱いていた。
自分だったら待ってほしくないし、早く乾いた喉を潤してほしいし、楽しい雰囲気の中、遅刻の申し訳無さを濁したい。
そんなことを考えているうちにだんだん歳を取り、言いたいことが言える様になってきた。
その中で思い出したのは冒頭の櫻井さんのyouthful daysの歌詞。
何回も繰り返し僕ら乾杯をしたんだ
乾杯なんて何回だってすればいい。
減るもんじゃない。グラスの中身は乾杯しなくたって自然と減る。
2人以上揃ったら乾杯する。
遅れてきた人が揃ったら乾杯する。
飲みの場にいる人の過半数のグラスが満杯だったら乾杯する。※注文のタイミングなど。
1人で飲んでいる時も、SNS上で他の場で飲んでいる友人と遠隔乾杯と称して、お酒の画像を送り合ったりもした。
そうしてお酒を飲む度に何回も乾杯を繰り返すようになった。
そしてコロナ禍
コロナ禍の世の中では乾杯ができなくなった。
それは遅れてくる誰かを待っているわけでもなく、ただ単に物理的に乾杯ができない。
お酒を飲むようになってから、乾杯できないなんてなかった。
乾杯なんか我慢しなくても良い。酸素みたいに気がつけばそこにあるものだった。
ふざけてSNSで使っていた「遠隔乾杯」という言葉が当たり前に、リアル乾杯の代替として行われるようになった。
僕もZOOMを使って何度か遠隔乾杯した。
でもリアル乾杯の代替に遠隔乾杯はならない。
それを如実に表すように、2回以上オンライン飲みをやるケースは少なかった。
たいてい1つの友人グループで久しぶりにオンライン飲みやろうと盛り上がって開催され、その炎はオンライン飲みの不自由さにかき消され2度目の開催はほとんど叶わなかった。
これからの乾杯
最近では外で飲むことは以前よりは増えた。
もちろん乾杯だってしている。
でもすぐに僕は忘れてしまうと思う。
コロナ禍で乾杯もろくにできなかった日々を。
でもそれでいい。
乾杯なんてありがたがってするもんじゃなくて、当たり前の事のように雑に何回もやるほうが良い。
ただし、今までよりもこれからの方がみんなでする乾杯は少し気持ちいいだろうし、お酒は美味しいと思う。
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