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身体拘束 2023/1/16

 僕等の身体は、あらゆるものに拘束を受けている。学校、会社、法、倫理、理性、欲求、時間、天気。挙げればキリがないのだろう。
 僕は新年早々、1月2日に精神病棟に運ばれ、そこでの大暴れの末、3日から4日まで身体拘束を受けていた。両手両足と腹部の拘束で、寝返りすら満足に打てず、腰や背中が痛くなる。おむつを替えてほしくて呼んだ同い年くらいの女性看護師には逃げられる始末。
 舌を噛み切って死のうと思い、何度も思い切り噛んだが案外傷一つ付かないものだ。きっと炭火で焼いてレモン汁でも付けなければ、噛み切れないことになっているのだろう。
 人としての尊厳を失った2日間。当然、人生の中でも最も辛い時間だったが、不思議とその2日間を思い出すことができない。何もしていないから、思い出すことも何もないといえばその通りなのだが、僕が過去の記憶を映像に出来ないことも関係しているのだろうか。いつか、過去の記憶は映像で再生されるのか静止画なのかを、統計をとって何らかの因果関係があるのか、調べてみたいと思う今日この頃。
 自己を拘束するものはもう一つ簡単に思いつく。それは自分自身。意識的にも無意識的にも人は自分で自分の可能性(良くも悪くも)を縛る。理性や倫理も内包されている。
 次に僕自身の拘束を解くのは、医者や看護師、家族でもなく、自分自身だと信じている。

自分は自分によってのみ否定されなくてはならない。自分を自分によって否定するということは自分を自分によって規定するということ、つまり自己の創造だとぼくは考えているんだ。

規定の否定 2023/01/02

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