排水

 新生活の住居には浄化槽がついておらず、排水がそのまま川に流れるらしいので、洗剤等は川を汚染しない素材を使うように、と大家さんに伝えられた。トイレはどうしようもなくないか?と思ったけれど、トイレは普通に流していいらしい。基準があまり分からないけれど特段困ることもなさそうなので、とりあえず化学物質の含まれていない洗剤や石鹸を使っている。
 家のすぐそこには排水が流れる小川が通っていて、お風呂に入るとき、湿気が溜まらないように窓を少し開けると、せせらぎの音が聞こえてくる。これが雨の音ととってもそっくりなので、雨の音なのか川の音なのか、わざわざ目視で確認しなければならず、これには困っていないけれど困っている。
 我が家の水が流れる川が一体どうなっているのかが気になり、小川を覗きに行くと、その川は水量は少なく、ところどころ川底があらわになっている。生物の影が見えないのはうちの排水のせいだろうか。そんなふんわりした憶測を裏付けるように、小川の一角の泥溜りが白っぽく濁っている。その斜面には排水のノズルが顔を見せているのでどうやらうちの水はここに流れているらしい。天然由来とはいえ口には入れないような白い物質がそこからじんわりと広がって、少しずつ川へと浸透していく。うちから排出された生活水が少しずつ川の水へとなっていく。
 大丈夫とは言われつつも、こういった光景をみると流石に少し不安になってくる。とはいえこのくらいの洗剤も使えなくなるとすれば、どうやって社会で生きていこうか、などと考えていると、河童が自転車に乗ってむこうからやってくる。ママチャリを漕ぐカッパの姿勢はとてもピンとしていて、まっすぐすぎる背中に甲羅は背負われているというよりは吸盤か何かで張り付いているという感じである。見慣れない私にもなんの頓着もなく挨拶をする河童に、ここに流れている排水は大丈夫かと尋ねてみると、このくらいは問題ない、なんなら僕らもこのくらいは流してると話していた。
 じゃ、と言って河童はまた、品のいい背筋で向こうへ走っていってしまった。
 近所を散歩していると、家から徒歩3分くらいのところにあのママチャリが几帳面に立てかけられていた。河童はわりと近所に住んでいるらしい。昨日はいただいた冬瓜を炊いたのだけれど、河童は冬瓜を食べるだろうか。同じウリ科なので美味しく食べてもらえると信じたい。

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