脱毛広告のある生活

 そういえばこちらに引っ越してからYouTubeで脱毛の広告を見る回数がめっきり減った。島にくる前は学園都市で若い人がたくさん住むつくば市に在住していたので、「つくば市にお住まいの20代のみなさーん!!!朗報です!!!」みたいなやつが動画間によく流れていたものである。広告主からすれば、若者の多いつくば市は恰好のビジネスの場であろうし、島根の離島なんかは広告費を出すだけ無駄なのだろう。近年の脱毛広告によるフーコー的な権力に怯えながら生活している私にとっては、居住地が脱毛広告の手が届かない範囲にいるというのはありがたい。
 高校の頃の世界史の授業で、先生がちょっとしたエピソードとして、近代化を進めていた頃のロシアは法律で男性の顎髭に罰金を与えていたみたいな話をしていたのを覚えている。ヨーロッパでは、子どもの成人祝いで、親が脱毛コースをプレゼントしたりするところもあるらしい。現代的であることと脱毛は、ある種では一枚岩であり、資本主義社会の浸透は脱毛文化の浸透と表裏一体である。脱毛広告を目にする度に私は、有無を言わせぬ圧力を感じ、毎回何だか少し嫌な気持ちにさせられる。
 先日は夏休みをいただき、久しぶりに本土へと上陸した。原付も連れて、久しぶりに走った片側二車線は、巨大な車の圧力に飲み込まれそうだった。市街地を抜け、島根のやや山間部の国道を走っていると、ある看板が目につく。鷹の爪団のキャラクターの吉田くん(作者が島根出身らしいので、島根では吉田くんの広告をまあまあ見かける)が、目を輝かせながら、「島根でも脱毛できるんですか!?」みたいなセリフを発している看板広告だった。
 島根の田舎までもが脱毛広告の触手に侵食されている事実が、私には恐ろしかった。きっと彼らはまもなく私の住む隠岐諸島まで、じわじわと侵略を始めるだろう。ここまで根深く侵されてしまった日本はもうダメかもしれない。アフリカあたりまで逃亡すれば大丈夫だろうか。でもきっと、それももって数十年だろう。20世紀には、資本主義へとアンチテーゼとして、共産主義国家が勃興しては崩壊していったが、あの国では資本家からの解放とともに、脱毛の圧力からも解放されていたのだろうか。きっと今の赤ん坊が大人になるころには、全人類脱毛が当たり前みたいな世界になっているのだろう。嫌だなあ。

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