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鰤の肛門と目が合う

 鰤の鱗を包丁で梳いていました。鰤の鱗は滑らかで細かく、普通にかいてもきれいにとれないので、包丁で梳いてやるのですが、これが中々に神経を使うものです。身に対して平行に刃を入れなければならないので、鰤の背の方を梳く際は、背伸びをするように、一方で腹を梳く際は少し屈んで、どちらも覗き込むように鱗を梳いていました。この作業に完全に集中しているとき、そこには、一匹の魚と向き合うというよりも、背中の部分なら青、腹の部分なら白の色をした、漠然とした壁と向き合っているようで、振り返るとあれが忘我の入り口のようなものだったようにも思います。
 そんな中で、白い壁と真剣に向き合っていると、ふと壁から私を覗き込む視線を感じました。白い壁の中に深い洞察力を持った何かがこちらに働きかけてくるような感覚です。その正体は鰤の肛門でした。白い壁に突如現れた薄暗い点。鰤の肛門に覗かれて、私はふと我に返り、自分が教室の前方で鱗を梳いていることを思い出しました。よく、比喩で、海が語りかけてくる、お花が笑っているなどの、非人間のものに人間の感覚を当てはめるといった詩的な表現をすることがありますか、あの時あの肛門は、確実に私のことを覗いていました。そんなことある訳ないというのはもちろん承知なのですが、少なくともその瞬間の私にとっては、肛門が本当にこちらを覗いていて、目が合ったとしか思えなかったのです。
 さて、話は少し逸れますが、以前短歌を嗜む友人から、「寄物陳思」という言葉を教わりました。「寄物陳思」とは、「物に寄せて思いをのべる」ということで、自分の抽象的な心模様を、具体的な物事を述べることで表現することを表します。(調べてみると以下のリンクに説明と具体例が掲載されていたので、気になる方は覗いてみてください。https://tankanokoto.com/2018/03/kibututinsi.html )人間の感情を、それを持たない物に載せて表現する方法ですが、もしかすると物は実は何かしらのメッセージを発しているのではないか、少なくとも、歌の詠み手にとっては、本当に物が何か感情を発露していたり、人間的な動作を行っていた可能性が考えられます。
 あの時、鰤の肛門は、絶対に私に何かを語りかけていました。こう言っている私の話を冗談半分に聞くのも真剣に聞くのもみなさんの自由ですが、生きていく上で、このような瞬間がある、ということは、是非この機会に念頭に置いておいて欲しいものです。もし読者の方に、自分も何かの肛門と目が合ったことがある人がいたら、どこかでこっそり教えてください。

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