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「好き」について本気出して考えてみた

皆様

観月橋でございます。
140字でつぶやく手軽さと面白さにどっぷり浸かってしまい、なんやかんやnoteがご無沙汰になっていました。
どっぷり浸かっている分、日々お笑いファン界隈の様子をリアルタイムで見ているわけですが、一連の投稿を見て、改めて、「好き」とはなんだろうと、考えてみました。

私の推しは、今のところナイチンゲールダンス、だと思います。
私は、ナイチンゲールダンスのネタや2人のワードセンスが面白いな、と思って動画を見たりライブを見に行ったりしつつ、私の所属する全コミュニティで、趣味はお笑いを見ることで好きなコンビはナイチンゲールダンスと言って、日々布教活動に勤しんでいます。

しかし一方で、全ての単独ライブの抽選に申し込んでいるわけではないですし、くじは引かないしグッズも買ったことがないし(転売チケットは当然買わないし、)ファン同士の交流を活性化させる副次的効果のある某コレカも買っていません。

だから、たまに思うのです、私は本当にナイチンゲールダンスが「好き」なのか?と。Xで、私が行かなかったイベントに行った感想の投稿や、ヤスさんのインライに気づけず落ち込んでいる投稿を見ると、急に自分の「好き」に自信がなくなるときがあります。
冒頭で、「だと思います」と書いているのもそのためです。
「好き」の定義を、単独ライブは全部行くしイベントも全部行くしグッズも全部買ってくじも回せるだけ回して某コレカも全パターン集める、だとすると、私の今の状況だと、客観的に見て「好き」とは言えないのでは?とたまに考えてしまうのです。
現に、今もそう思ってしまったため、こうして筆を執っているわけなのですが。

まあでも結局、自分が「好き」だと思えばそれでいいか、とも思います。
よく考えれば「好き」って誰かに定義されるものではないし、客観的に評価されるものでもないかなと、個人的には思います。
「好き」にグラデーションがあるのは事実そうだと思いますが、どんな濃さでも「好き」は「好き」なのだから、その人が「好き」と思えばそれでいいじゃないか、と。
私は、自分の「好き」に自信がなくなって、ぐるぐる考えてしまうループに入ったとき、こういう風に自分の中で整理するようにしています。

自分の「好き」を、他の誰かから「それは好きとは言えない」と否定されるの、考えてみると怖いですね。今のところ経験はないですが。
主観のみで「好き」って言っていいのは、個人的には心が軽くなる考え方です。

ヤスさんのインライに気づけなくても特に何も思いませんし、オープンチャットにも参加していませんが、動画で2人の笑顔を見ると幸せな気持ちになりますし、去年のM-1でナイチンゲールダンスが準決勝に進んだことを知った瞬間一緒にいた非お笑いファンの友達に早口で報告してしまったし、ナイチンゲールダンスが出演する某ライブが即完で買えなかったときはかなり落ち込みます。

まあ、こんなにナイチンゲールダンスのことでつらつら書ける時点で割と好きだとは思いますが(笑)

もしかしたら同じ感情になったことがある方がいるかもしれないと思ったのと、この件について自分の中で整理したいという気持ちがあったので、文章にまとめてみました。

ここまで読んでくださってありがとうございました。

ちなみに、ポルノグラフィティの曲の中では、「Sheep~Song of teenage love soldier~」が好きです。よろしければぜひ。


・次回予告
 そろそろ私の推しの原点、ロザンの記事を書きたい。



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