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間違い乗車


生まれて初めての一人旅は、小学4年生の夏休みだった。


当時私の住んでいた福岡市から、祖父母のいる広島市の横川までの一人旅。
家から博多駅までバスに乗り、新幹線で広島駅まで、広島駅から各駅停車の電車で隣駅である横川駅で降りて、歩いて5分で祖父母のアパートに着くという実に簡単な行程だった。


従姉妹もいたので、毎年、夏休みには広島に遊びに行っていた。だから、絶対に迷子になることはないと思っていた。


親からは「わからないときは、人に聞くんだよ」とだけ言われ、往復の新幹線の切符と小銭のたくさん入った財布を持ち、私は意気揚々と家を出た。


問題は、広島駅のホームに降り立ったときに起きた。横川駅に乗り換える電車のホームが分からない。親に言われたとおりに、人に聞けば良かった。


しかし、ここまで難なく来れたのだから、という変なプライドが働いて、人の流れのままに、2番ホームに下りた。
横川駅は広島駅の隣駅だから、ホームにあるプラカードに横川駅の方向が書いてある。だから、このホームの電車が横川駅の反対側から入ってくれば、必ず横川駅に行くはずだ。私はこう考えた。


しばらくすると、電車が横川駅の反対側から入ってきた。
私は、内心ガッツポーズをとりたかったが、ここは平静を装い、毎日この電車に乗っているかのように、堂々とこの電車に乗り込んだ。
すぐに祖父母の喜ぶ顔が浮かんだ。


やがて、電車が走り出した。
その瞬間、私の心臓は張り裂けんばかりに、大きく鼓動した。なんと、私の乗った電車が広島駅に入ってきた同じ方向に動き出したからだ。


これが、私の人生における最初の間違い乗車になった。


これからどうすればいいのか分からないまま、最初の向洋駅で降りた。
全く知らない駅に降り立って、初めて自分が親から遠く離れて、今ここに1人で立っているという事実を認識した。


1980年の話である。携帯電話は、まだドラえもんの世界の話だった。
駅前の公衆電話BOXに走り、恐る恐る家の電話番号を押した。すると、全然別の人が出た。市外局番を押すのを忘れていたので、当然だった。


また、10円玉を入れて、今度は市外局番も押した。
「お母さん・・・・・プチッ」
落ち着いて、この現状を説明しようと思うのだけれど、すぐに電話が切れてしまう。こんなことを2~3回繰り返した。何かの間違いだと思った。
私は、いよいよ何がなんだか分からなくなってしまった。


最後の10円玉を握りしめて電話すると、ようやく私の状況が飲み込めたらしく父親が、
「たくさん10円玉を入れて電話しろ」
と一言だけ叫んだのを聞いて、電話が切れた。


やっと県外に電話するときには、10円玉がたくさんいることに気づいた。しかし、もう財布の中には10円玉は入っていなかった。
電話BOXの中で、一瞬思考が止まった。百円玉でも電話できることは、気づかなかった。


その後、我に返り、近くにいた若い女性に「電話するから、百円玉を10円玉に替えてください」とお願いした。すると、彼女は気を利かして、私に10円玉を1枚くれた。


私は、この10円玉を受け取ると、抑えていた涙が一気に流れ出した。電話することさえ、許してくれないように感じたからだ。
しかし、あまりこんなところで1人で泣いているわけにはいかない。向洋駅の隣には、交番があった。見つかったら、補導されてしまう。


涙を拭ったら、不思議に冷静になれた。
横川駅も広島駅の隣にあり、この向洋駅も広島駅の隣にあるのだから、この2つの駅の距離はそんなに遠くないはず。
こう思いついた瞬間、私の目の前に1台のタクシーが止まった。私は、あまりの偶然にビックリした。しかし、タクシーの運転手もビックリしただろう。まさか、向洋駅から横川駅に行く客を乗せることがあるなんて!


こうして、私は無事に祖父母の喜ぶ顔を見ることができ、その後の広島での楽しい夏休みを送ることができた。


福岡に戻ってからのこの出来事に対する人々の反応は、父親が
「バカ、また広島行きの電車に乗ればよかったんだ」
と言ったことを除けば、みんな意外にも好意的だった。


             ☆


あれから現在に至るまで、私は様々な間違い乗車を繰り返してきたように思う。しかし、間違い乗車自体悔やんでも仕方がないし、どうしたらBESTかなんて、誰も電話で教えてくれはしない。


間違い乗車こそ、我が人生。泣きながら、前に進んでいくしかない。


そして、確実に言えることは、私の初めての一人旅も、この出来事のおかげで鮮明に思い出すことができる。今思えば、愛しい思い出である。

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