映像作品についてのインタビュー① イントロ

――金城さんが関わってきた映像作品について色々と伺っていこうと思います。個々の作品について伺う前に、まずは金城さんの“映画遍歴”について伺わせてください。生まれて初めて映画館で見た作品は覚えていますか?

はい、5歳の頃に母親に連れられて見た『男はつらいよ 寅次郎忘れな草』と『チョットだけョ全員集合』の二本立てでした。

――その歳だと普通はまんがまつりなど、子供向けの上映作品を見るものでは?

アニメや特撮ものなどにあまり興味のない子供だったんです。テレビでなんとなく見てはいましたが、映画館で見たいとは思いませんでした。

――内容は理解できましたか?

寅さんのほうはほとんどわかっていなかったと思いますが、『チョットだけョ全員集合』は単純なドタバタコメディなので、面白く感じたのを覚えています。当時の映画館はゲラゲラ笑ったり、ヤジを飛ばしたりする客が多くて、映画よりもそっちのほうが強く印象に残りました。映画館は面白いところだと思ったんです。この原体験がのちに映像関係の仕事に進むきっかけになりました。

――それは次回以降で詳しく伺いたいと思います。子供の頃から映画はよく見たほうですか?

はい、僕が子供の頃に住んでいた町には映画館が三つもあって、めちゃくちゃ通っていました。三つとも日本映画をメインに上映していたんですが、当時封切られた映画はほとんど見ています。当時は年齢制限などなかったので、どんな映画でも見ることができました。たとえば、小学生の頃に見た『犬神家の一族』と『犬神の悪霊』の“犬神界隈”の作品はトラウマになりました。外国映画はテレビの洋画劇場で欠かさず見ていました。中学一年でその町を出ることになって、それ以降は映画館で見るのは外国映画がメインになりました。

――中学時代もよく映画を見ていた?

当時は息をするように映画を見ていました。封切り映画はすべて見たかったんですが、さすがにそんなお金はないので、試写会によく通っていました。応募用の葉書を常備して、せっせと送っていましたね。どうでもいい話ですが、『ブレードランナー』の日本初上映の試写会にも行きました。上映前の盛り上がりと上映後の微妙な雰囲気は今でもよく覚えています(笑)。


所収の「太陽がいっぱい」は半自伝的(÷2)ぐらいの作品です(笑)。

――高校、大学も変わらず映画を見続けた?

高校からは小説を読む時間が増えていきましたが、映画もコンスタントに見続けていました。大学に入ってすぐに小説家になることに決めたので、そこからは楽しみというよりストーリーテリングの勉強のために映画を見るようになりました。一日に一本は必ず見る、と決めてがんばって続けていました。名作の脚本を読んで勉強もしました。

――幼い頃から情熱的に映画を見続けてきて、映画制作の道に進もうと思ったことはなかったんですか?

思いませんでした。僕には映画制作の道に進めない重大な欠陥があったんです。団体行動が苦手だったんです(笑)。父親が8ミリを持っていたので、子供の頃からそれで色々撮ったり、編集したりして遊んでいたんですが、仲間を集めて何かを撮ろうと思ったことは一度もなかったです。

――それで一人で物語を紡げる小説家になったということですね。

その通りです。でも、映画制作に対する漠然とした憧れのようなものは常にありました。

――わかりました。本日伺った背景を前提に次回以降個々の作品について色々と伺いたいと思います。よろしくお願いします。

お手柔らかに。

                                (つづく)

                         インタビュアー:兼城和樹









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