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インタビュー①

ーーお久しぶりです。

お久しぶりです。

ーー本当にお久しぶりです。

はい、お久しぶりです。

ーーそれにしてもお久しぶりですね。

いきなり不穏な感じですね。

――さて、前作の出版から13年が経ちました。子供がいたら中学1年になっているわけです。その間一体何をしていたんですか?

何をしていたんでしょうね。本当にあっという間でした。正直、13年という数字を聞いて自分でもびっくりしています。

――その13年を振り返ってみましょう。前作『レヴォリューションNo.0』の出版が2011年の2月でした。

出版してすぐに東日本大震災がありました。震災当日に版元の角川書店に行ってサイン本を作ったのをよく覚えています。その日は映画『SP 革命篇』の公開前日でもありました。2011年はゾンビーズシリーズとSPシリーズに区切りがついた年でした。それを機に次のフェーズに行く前に少し休みたいと思ったんです。

――映像関係の仕事は大変だった?

大変というかなんというか。詳しくは別の機会に話せればと思うんですが、とにかく2011年当時は精神的にしんどかったです。映像業界に関わることは二度とないだろう、と思っていました。そんなわけで、東京を離れて小説執筆に専念しようと沖縄で暮らし始めました。正確には二拠点生活ですが。ところが、沖縄暮らしには大きな誤算がありました。

――なんですか?

まったく仕事にならなかったんです。初めの頃はリハビリのつもりで、朝御飯を食べたら近所の海岸に行って読書をして、眠くなったら昼寝をして、起きたらもう夕方で、みたいな毎日を送っていました。そんな毎日はすぐに飽きると思っていたので、頃合いが来たら一気に小説を書き始める予定だったんですが、不思議なことにまったく飽きなかったんです(笑)。

住んでいた家のシーサー

――(笑)じゃないでしょ。あなたの他には誰も笑っていませんよ。

すいません。気がついたらあっという間に2年が経っていまして、そろそろ真面目に書き始めるか、と思ったタイミングで連続ドラマ『BORDER』の話が持ち上がりまして、そこから先は大きな渦に巻き込まれるようにして映像業界でずっと仕事をすることになりました。

――映像業界には二度と関わらないはずでは?

そのつもりだったんですがね。人生は予期せぬことばかりが起こるものです。詳しくは別の機会に。ともあれ、『BORDER』をやることに決まってすぐに沖縄の家を引き払い、二拠点生活に終止符を打ちました。

――ところで、脚本執筆の合間に小説を書くことはできなかったんですか?

小説ときちんと向き合うためには一旦脚本の文体を頭から追い出さないといけないので、そのための時間が必要なんです。でも、『BORDER』以降映像関係の仕事が立て込んでしまい、その時間を取ることができませんでした。小説は僕にとってとても大切なものなので、中途半端に向き合いたくなかったんです。

――もっともらしい言い訳ですね。

ひどい(笑)。

――ごまかすために(笑)を使わないでください。

すいません、気をつけます。ただ、まったく書いていなかったわけではありません。短編をいくつか書いたのですが、本にする分量にはならなかったんです。

――その短編が世に出ることはありますか。

はい、いずれ出してあげたいと思っています。

                              (つづく)

                       インタビュアー:兼城和樹


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