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目指せメタルロード(原題:Metal Lords)

初期衝動に理由はない。ただやってしまっただけ。


例えばそれは、初めてJimi Hendrix Experienceの“Purple Haze”のイントロを聴いた時かもしれない。例えばそれは、ギターのDコードを弾いてSex Pistolsの“Holiday in the sun”と同じ音を鳴らせた時かもしれない。例えばそれは、下手なギターで自分だけの曲を歌った時かもしれない。例えばそれは、目指せメタルロードを観た時に感じた、あの気持ちなのかもしれない。

僕はこの映画を観終わるや否や、大切な友達に居ても立ってもいられずラインをした。作品のシェアに、これを観てほしい、とだけ添えて。いや、本当はこんなにかっこよくなんていかずに、抑えられない気持ちに任せ、言葉になる前の青臭いモヤモヤしたものを綴った、格好にもつかない文章を送った気がする。面白いとか、面白くないとか、僕の意図することがひとつも伝わらずに観終わってしまったとしても、それでよかった。青臭いメタルの音が鳴り響くこの映画には、若い頃に何かに影響され突き動かされた、あのなんとも言えない多幸感に満ちた初期衝動があったから。

童貞だろうが、陰キャだろうが、拗らせていようがメタルはいつもそこにある。

本作は2022年4月にNetflixで配信されたオリジナル映画だ。メタルロードは、邦題に“目指せ”と書いてあるので“メタルの道”と勘違いしてしまいそうだが、Metal Lords(メタルの神たち)という意味だ。それはさておき、まずはこの最高の青春メタルバンド映画のあらすじを俺に今すぐ紹介させて欲しい。僕というより、俺という根拠のない自信を感じさせる一人称の方が、この映画には似合ってる。

舞台は高校。マーチングバンド部でドラムを担当する主人公のケビンは、メタルに傾倒するギターバカの親友ハンターと、メタルバンドを結成する。理由は学校で行われるバンド・バトルに出場するためだ。しかし、バンドに必要不可欠なベーシストがおらずメンバー募集をするも、性格に一癖も二癖も難があるハンターによってすべて却下。そんなある日、同じマーチングバンド部に所属するエミリーが、顧問の教師に叫びながらブチギレる姿を見て興味を抱く。彼女の内に抱えた種火のような怒りと、チェロの名手であることを知って、エミリーをバンドに入れようとケビンはハンターに提案する。ハンターはメタルバンドに女はいらないと一蹴。二人の友情関係に亀裂が生じてしまう。学校で開催されるバンド・バトルが迫るなか、ケビンたちはなんとかバンドを組んで、バンド・バトルで優勝することができるのか!?というのがこの映画のあらすじだ。

メタルバンドを題材にバカバカしくも切ない青春映画を製作したのは、脚本にあの『ゲーム・オブ・スローンズ』のD・B・ワイスと、監督は『ハンズ・オブ・ラヴ 手のひらの勇気』のピーター・ソレットだ。メインキャストの三人は、主人公のケビンに、日本で大ヒットしたことで有名な『it /イット “それ”見えたら、終わり』のジェイデン・マーテルが。ドラッグもお酒もやらないケビンのクリーンな悪友、ハンター役には、ほぼ無名といってもいいエイドリアン・グリーンスミスが。可憐な容姿の内側に原子力のようなエネルギーを秘めるチェリスト、エミリー役には、近年テレビシリーズなどで活躍するアイシス・ヘインズワースが。

今作でもっとも白眉なキャスティングと言えるのが、ハンター役を演じたエイドリアン・グリーンスミスだろう。長身でありながら、子供のような可愛らしいギャップのある顔立ちは、バンド内で1番モラトリアムを抱えているハンターそのものと言っていいほどのハマり役だ。そして、本作がバンド映画であればこそ欠かすことが出来ないのが音楽だ。音楽プロデューサーには、90年代に一世を風靡した生きる伝説のバンド『レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン』のギタリスト、トム・モレロが参加しており、この映画がよくあるただの青春映画にならなかったのも、彼の素晴らしい選曲があってこそだ。

青春の始まりと終わりをメタルロードが駆け抜ける!

ブラック・サバス、アイアン・メイデン、ジューダス・プリースト、メタリカ、アンスラックス、スレイヤー、メガデス、モーターヘッド、ガンズ・アンド・ローゼス、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン、パンテラ、エンペラー、トゥール、ディオ、メシュガー、オーペス、スリップノット、マストドン、ラム・オブ・ゴッド。

今挙げたバンド名をひとつも聞いたことがなかったとしても安心して欲しい。メタルの知識がなくても誰もが楽しめる間口の広い映画だ。これまで数多く作られてきたこの手の青春ものの王道を行くストーリーは、予想の範囲を超えることはないが、音楽の力に一点賭けした雑味なしのシンプルなプロットは、主人公たちの演奏シーンに圧倒的な説得力と爆発力を生むことに成功している。子供の頃にスーパーファミコンの“Rock n' Roll Racing”というゲームで、ブラック・サバスや、ディープ・パープルを嗜んだ程度のメタル弱者の俺でも、映画内でエネルギッシュに鳴り響くメタルの楽曲たちには、ヘッドバンキングせずにはいられないほどノリノリで楽しめた。

そもそも主人公であるケビンも、メタルに何の興味もない平凡な高校生だ。しかし、ハンターの身勝手な趣味嗜好の押し付けによって、徐々にメタルに嵌まっていく展開なので、観客もケビンと同じ目線でメタルを一から学ぶことができる。

本作は、青春の始まりの物語であり、同時に青春の終わりの物語でもある。ケビンはある物理的な行為によって途中で大人になるし、ケビンも自己中心的なメタル好きから、演奏によってそれを周りに分け与える愛情に変化させていく。エミリーも自分のうまく操れない感情をハンターを移し鏡に、大嫌いな彼を受けれることで自分の殻を破っていく。メタルの、奇抜なコスチュームを身に纏い、白塗りのコープス・ペイントを施した顔は、何処か厨二病のような滑稽さと退廃的な哀愁が入り混じる。まさに痛々しくも尖った感性を持ちながら、一瞬の刹那を通り過ぎていく青春そのものだ。そんな疎外感を持つ若者の青春を描くとなれば、今流行りのヒップホップや、王道のロックではなく、一般的な音楽と比べて少し異質ではみ出し者のメタルが必然だった言えるだろう。

アップデートすることで、メタルは自由の翼を手に入れる。

この映画の素晴らしいところは、フェミニズムや、ダイバーシティといった動きが世界的に活発になるなかで、“男らしさ”を誇示してきたメタルが、時代遅れになってないことを示しているところだ。

この映画ではメタル界から豪華なキャスト陣がカメオ出演してる。その中の一人が、メタル界の重鎮、ジューダス・プリーストのフロントマン、ロブ・ハルフォードだ。彼は過去に、自身のバンドで“Do it(やれ)”というサブリミナルメッセージが入った曲を発表し、それを聴いた二人の少年がショットガンで自殺するという痛ましい事件で訴えられた経験を持つ(もちろんジューダス・プリースト側は勝訴。詳しくはジューダス・プリースト裁判で調べてほしい)。ケビンがある自分の信念に欺く行為に手をかけそうになった時に、ロブ・ハルフォードが目の前に現れ“don't be an asshole
(馬鹿なことはするな)”と諭すシーンは、そんな経験をした彼だからこそ重みを持つメッセージだ。

そしてロブ・ハルフォードは、1998年にゲイをカミングアウトして世界中に多様性を訴えた人物でもあり、メタルの価値観を大きく変えた張本人でもある。そんな彼から新しい世代に同じ二の轍を踏ませることなく、バトンを渡していく様は非常に希望に満ち溢れている。

その意味で、学校で馴染めずメタルの世界に独り閉じこもっていたハンターが、日々の努力で培った超絶ギターソロをライブで演奏することで、学園中から称賛を受け外の世界と繋がっていく姿はそれだけで感動的だ。

反抗すべき相手がいなくても音楽は鳴り続ける。

興味深いのが、反体制、反権力を原動力にしてきたメタルというジャンルを扱いながら、その反抗するべき相手がこの映画では明確にいないことだろう。バンド・バトルの出場を校長に申し出る際、ハンターはメタルが反社会的で、悪魔崇拝を信仰しているから排除されるだろうと鼻から決めつけ直談判しにいくが、校長に「排除は良くないわよね。参加は歓迎よ」とあっさりと認められてしまう。そして、エド・シーランの『Shape of You』を微妙な演奏でカバーするライバルのバンドに「お前らの演奏は下手くそだ。本物じゃない」と喧嘩を売ってみても「それは悪かった。じゃあバンド・バトルで会おうぜ」とこれも爽やかに返されてしまう。

ハンターは父子家庭ではあるが、父親は医者で経済的に何の不自由もなく暮らしている。ケビンも貧困とは無縁の平凡な中流家庭だ。エミリーも精神的な問題は抱えているものの、両親に愛されて育っている。メタルは社会への怒りや反逆を内包している音楽だ。その音楽で自己表現することが彼らにとって“必然”ではない。みうらじゅん氏の名著『アイデン&ティティ』から言葉を借りれば“不幸なことに不幸なことがなかった”若者なのだ。

そんなどこか空虚な馬鹿騒ぎと、刹那が漂う映画のなかで、きらきらと光輝くのはトム・モレロがセレクトした珠玉の楽曲群だ。ケビンとエミリーが初めてセッションする曲は、ブラック・サバスの『War Pig』だ。この選曲は、ベトナム戦争に対する反戦歌として作られたという意味合いより、何よりただただかっこいいの一言に尽きる、というのが重要だ。メタルのメの字も知らない人だって、チェロの音色とドラムが重なり『War Pig』が奏でられた際には、あまりのかっこよさに体を揺らさずにはいられなくなるだろう。この曲には、まだ何も知らない思春期の少年たちを突き動かす、何かがある。

音楽の素晴らしさは、メッセージの尊さよりも、言葉や年代を超えて魂を揺さぶることにあると思う。その点で、ハンターがあれほど嫌がったエミリーをバンドに加入させた動機や、ケビンとエミリーが惹かれ合う理由を、ストーリーではなく彼らの演奏シーンの説得力だけで描き切ったのは、製作陣が音楽の力を信じていたからこそ出来た演出だろう。肌の色や、考え方や、生まれや階級、言語が違ったって、一度音楽を鳴らせばすべてを超えて繋がることができる。彼らが終盤ライブで演奏する、本作のために書き下ろされたオリジナル曲『Machinery Of Torment(拷問マシーン)』には、心を突き動かす力強い初期衝動と、そのピュアネスを信じさせてくれる音楽のマジックがかかっている。

最後に余談だが、今回三人のメインキャストは実際に演奏はしていないそうだ。そもそもメタルをまったく知らなかったらしい。そんな三人をトム・モレロの素晴らしいコーチングによって、楽器の持ち方からメタルの美学まで伝授され、実際にフェイクと思えないほど見事な演奏シーンを仕立てて見せた。俺がこの映画を観て感じた初期衝動も、彼らが初めてメタルに触れ、実際に嵌っていくその一瞬の輝きをフィルムに焼き付けることが出来たからかもしれない。

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