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B面の「10年10万kmストーリー」 その1  トヨタ・セリカXX2000GT (1985年型)37年14万8000km

記事で書き切れなかったことやクルマそのもののディテイル、自分の思い出などを書いてみました。

ダルマとLB、フォード・マスタング、リーダーズダイジェスト、パレスサイドビル、『メディアの興亡』、毎日グラフ、丸ビル、日比谷三信ビル、赤坂飯店、坦々麺、シャーヨーバン麺、ブラックセリカ、コム・デ・ギャルソン、ヨージ・ヤマモト、“黒の衝撃”、リック・ジェソン、『コンバット』、bZ4X、ビジーフォー、
グッチ裕三、モト冬樹、ウガンダ・トラ。

 初代セリカが登場したのが1970年。バリエーションとしてセリカ・リフトバックがシリーズに加わったのが1973年。

 子供心にも、初代セリカはカッコイイと思っていた。小学校への通学路によく停まっていたセリカの、黄土色のボディに黒のビニールトップが良く似合っているところが好きだった。まだクルマへの関心もそれほどでもなく、知識もなかったから、純粋にカタチの鮮やかさから好意を抱いていたのだろう。町を走っている他のクルマと違って見えていた。

 モスグリーンのセリカ1600GTを買った高校大学の同級生が“ダルマ”と呼んでいて、

初代のクーペ型セリカのことを“ダルマ”と呼ぶことを知ったのは、だいぶ後の1980年代に入ってからのことだった。

 それに対して、彼はセリカ・リフトバックのことを“エルビー(LB)”と呼んでいた。

 僕の中では、ダルマとLBはまったくの別物だった。それは、2022年の今から都合よく記憶を美化しながら思い出さなくても、2台は違うクルマだった。ダルマもLBも併売されていたから気にならなかったけれども、セリカとは、小股の切れ上がったクーペしかあり得ないのだ。リフトバックはフォード・マスタングの亜流と見做すことができると気付いたのは後からだけれども、当時でも、間延びして見えていた。

 だから、オーナーさんから「コダワリはなかったので、気になりませんでした。どっちもセリカですから」と聞いた時には、実は内心、大いにズッコケていたのだ。

 リーダーズダイジェストも懐かしい。定期購読を募るダイレクトメールは、僕も受け取っていたような気がする。オフィスが竹橋のパレスサイドビルに入っていたことを確かめるためにウィキペディアを読んでみたら、杉山隆男の『メディアの興亡』を引用して、なんとパレスサイドビルは毎日新聞とリーダーズダイジェスト、三和銀行系列の不動産会社が合弁会社を設立し、1966年に竣工したと書いてある。いかに当時のリーダーズダイジェストが力を持っていたかの証左だ。

 パレスサイドビルは内堀通りに面していて、横に長いビルの左右に付いた白いタワーが特徴的だ。僕は1990年代に毎日新聞社が発行していた「毎日グラフ」という雑誌でクルマの連載を何度かさせてもらっていた。まだインターネットは一般的でなかったから、フロッピーディスクに収めた原稿を毎回、編集部に持参していた。写真はフィルムだった。

 パレスサイドビルは名建築としても有名で、それは今、訪れてみても感じることができる。2本の白いタワーはエレベーター棟で、丸い断面のフロアの壁に沿ってエレベーターが上下している。呼び出しボタンが壁に設けられているのではなく、床から生えたポールの上に設けられている辺りが1960年のSF映画っぽくて好きだ。

 3階より上がオフィス用で、1階と2階はアーケード街になっている。オフィスと商業施設が併設された複合施設のハシリのようなものだ。今だったら、六本木ヒルズやミッドタウン、あるいは渋谷スクランブルスクエアなどだろう。もっと昔だったら、丸ビルや日比谷三信ビルなどだ。

 昔は、ここに店を出すのがステイタスだったらしい。本屋、文房具屋、テーラー、ブティック、カフェ、レストラン、バーバーなど。全盛期こそ知らないけれども、1990年代でも老舗や良い店が連なっていた。原稿を渡した後、タイミングが合うと担当編集者がランチに連れていってくれたのが赤坂飯店だった。

 坦々麺が人気だが、担当編集者から勧められたシャーヨーバン麺が好きだった。どういう漢字で表すのか知らないまま、サウンドだけで覚えて店員に伝えていた。今で言う“汁なし五目混ぜソバ”で、エビ、野菜、豚レバーなど具沢山。2年前に行った時も、メニューには「エビ五目ソバ」としか記されていなかったけれども、そのサウンドだけで通じた。

 ブラックセリカのことは憶えている。発売されたのが1977年だから、もうクルマについて興味と関心を抱き始めていた。自動車雑誌こそ買っていなかったが、新聞の広告や挟み込まれてくるチラシを読んでいた。

 セリカLBのようなスポーティカーに、あえて黒を設定した意外性は中学生にも伝わってきていた。その頃の日本では、クラウンやセドリックのようなフォーマルセダン以外でボディカラーにブラックは採用されていなかったからだ。そういう風潮がなかった。

 クルマに限らず、この頃は、まだ“黒”というのは“色”ではなかったのかもしれない。他の色どうしの間隔よりも、他の色と黒との間は広く空いていた。レイヤーが異なっていた。コム・デ・ギャルソンやヨージ・ヤマモトらによる“黒の衝撃”はもう少し後のことになるし、学生の就活スーツがほとんど黒一色になるのももっと後のことだ。ある時まで、黒はうっすらと禁忌だったのだ。だから、カジュアルなスポーティカーなどには採用されなかったし、採用しようという動機も持たれなかったのではないか。

 今から考えてみれば、トヨタと塗料メーカーはそれを打破しようとして、ブラックセリカで様子を伺ってみたのかもしれない。だいたい、“国内登録累計38万5000台を記念した385台”という限定台数も中途半端だし、使われているアメリカ仕様のアイボリー色の内装や5マイルバンパー、シート生地などあり合わせのもので仕立て上げた感がある。現代のフェラーリのスペチアーレ各車のような“限定車”とは意味が違う。

 しかし、それで好感触を得たのか、次の2代目セリカにはブラックメタリックが採用され、カタログでも見開きで掲載されていた。

 その2代目セリカから始まった派生モデルの「セリカXX」に関して憶えているのは、テレビCMだ。白いタキシード姿のリック・ジェイスンが「Celica double X」とカタカナ発音ではなく、ちゃんと英語で発していた。

 俳優のリック・ジェイソンはアメリカのテレビドラマ『コンバット』のヘンリー少尉役で、部隊を率いるリーダーだ。第2次大戦のヨーロッパ戦線が舞台だったが、戦争そのものよりも人間ドラマとして描かれ、モノクロながらTBSテレビで1960年代に何年間にも渡って放映され、僕も親と毎回観ていた。

 ヘンリー少尉はいつも冷静沈着な行動を採り、部隊を率いていく。頼もしく、理想的なアメリカ軍人として描かれていた。その、懐かしいヘンリー少尉が10年ぶりぐらいに、セリカXXのテレビCMに、それも真っ赤なドレス姿の女性と一緒に現れたので最初は眼を疑った。


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