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オースチンの流儀やアメリカ車からの影響を日本人なりに消化した、日産セドリック・ワゴン

 日本の自動車産業が1960年代から急激に発展していった背景として、その直前までのヨーロッパメーカーとの提携の影響を無視できないだろう。
 日産はイギリスのオースチンと、いすゞもイギリスのヒルマンと、日野はフランスのルノーと提携し、既存の乗用車を日本でノックダウンやライセンス生産し販売していた。
 トヨタやスバルは単独で自力開発を進め、ホンダやマツダは後発組だから、ようやく4輪車開発に着手し始めるくらいのところだった。
 日産がライセンス生産を行っていた「日産・オースチンA50ケンブリッジ」に代わる独自開発の中型セダンとして1960年に発表されたのが「セドリック」だった。
 日産や同クラス初となるモノコックボディや4速マニュアルトランスミッションなどにオースチン流の設計の影響が見受けられると評されていた。
 その2年後には、ワゴンとバンが追加された。さらに、セドリックはマイナーチェンジを受けて後期型へと発展する。前期型で縦に二つ並んでいたヘッドライトは、後期型ではなんと大胆にも今度は横に並べられた。
 その後期型にあたる1965年型セドリックワゴンを所有する梛野大輔さんと妻の洋子さんを訪ねた。

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 外見からだけでは、オースチンからの影響を伺い知ることは難しい。イギリスというよりも、むしろ、この時代のアメリカ車の匂いが色濃く漂っている。
 前傾したAピラーや長く伸ばされたリアフェンダー、白い屋根に青いボディのツートーン塗装、ふんだんにクロムメッキされた横幅一杯のフロントグリル、ホワイトウォールタイヤなど、エクステリアデザインは明らかにアメリカ車の影響を受けている。
「まさに、“時代のデザイン”というのでしょうか。アメリカ車のデザインにオースチン由来の技術が息付いています」
 そういう梛野さんもフィフティーズのアメリカが好きそうなのは、この日の出立にも現れている。ブーメランがプリントされた青いシャツやジーンズなどはビンテージもので、サイドにギャザーがあしらわれたローファーもそれらしく見える。腕時計も独特な形をしたハミルトン・ペーサーだ。ファッションだけでなく、音楽や映画などもフィフティーズのものを好んでいる。
「初期のエルビス・プレスリーやバディ・ホリー、ロイ・オービソンなどがいいですね」
 新婚旅行は、ハワイからラスベガスを回ってきた。
「オースチンの流儀やアメリカ車からの影響を日本人なりに消化して、独自のものが造り上げられたところが、このクルマの魅力です」
 そう言いながら、梛野さんはボンネットを開け、小さなネジを指し示した。エンジン後方のヒーターコックのネジだった。十字のネジ山とは別に、ネジの頭の外縁部分に細い滑り止めが刻み込まれている。
「子細なことですが、一所懸命さが現れていますね」
 同様の例が、フェンダーミラーのケース内周に刻まれた無数の細い溝。防眩加工だ。

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 梛野さんがこのクルマを手に入れたのは2011年。その前は同じ1965年型セドリックのセダンを19歳の時から20年間所有していたというから驚いた。
「高校への通学路に初代セドリックがガレージに収まっている家があって、“あのクルマはなんというクルマなのだろう?”と気になっていました」
 調べてみたら、日産の初代セドリックだというのがわかり、18歳で運転免許を取ったら絶対に手に入れると決めたのが高校2年生(17歳)の時だった。
 大学に進学し、自動車雑誌の個人売買欄に売り物として出ていたのが、そのセドリックそのものだということが判明。持ち主に連絡すると、価格は200万円と言われ、高過ぎて諦めた。その時で、すでに製造から35年を経過していた。
 その時は売れなかったらしく、半年後に、また個人売買欄に今度は150万円で出品され、梛野さんが買うことになった。
 楽に買えたわけではない。寿司屋と工場のアルバイトを掛け持ちしてようやく貯めた資金だった。
 そして、このワゴンを見たのが2005年のことだった。かつて存在していた初代セドリックのオーナーズクラブの20周年イベントだった。
「ワゴンの実物を見るのが初めてで、セダンにはないアメリカンな感じに惹かれました。ツートーンカラーのボディとリアウインドに強くそれを感じました」
 2009年に売りに出されたことを知り、動揺した。欲しいけれども、数年ごとにあちこちと転勤する“転勤族”なので、2台同時には持てないと諦めていた。
 梛野さんは剃髪こそしていないが、仏教の大きな宗派に属する僧侶で、主に渉外活動を担当している。
 幸いにも他の誰かに買われることもなく、2年間悩んだ末に、セダンを手放してこのワゴンを買う決心を下して今にいたっている。

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「20年前に全塗装されていたので、ボディのコンディションは良かったです」
 買い物などの日常的な用途のために、現在は日産マーチも持っているのだが、それまではずっとセドリック1台でやってきたというから、もっとビックリさせられた。
 それにしても、このセドリックワゴンは珍しい。現役で街を走っていた頃のことは空憶えだし、最近でもクルマのイベントや博物館で眼にすることもない。セダンですら珍しいのに、ワゴンとなったら輪を掛けて貴重だ。
「いま、日本でナンバーが付いていて走行可能なセドリックワゴン後期型はこのクルマを入れて全部で3台です」
 梛野さんによれば、後期型ワゴンは1万台以上造られたのにもかかわらず、だ。それでもバンは10数台残っていて、オーストラリアやニュージーランドなどにもワゴンは5、6台は残っているらしい。
「前期型のタテ眼のワゴンは少数造られましたが、おそらく現存してはいないでしょう」
 梛野さんは初代セドリックに関することなら、なんでも知っている。メカニズムについては、購入前から整備解説書を買って読み込み、工場に通って疑問を解決していっていた。
 購入してからも、整備や修理の度に工場に任せっ放しにするのではなく、一緒に手伝いながら学んでいった。大分県に転勤していた時には、エンジンのオーバーホールをお爺ちゃんメカニックが一人で運営している工場に依頼し、ちょくちょく通って手伝っていた。
「教わりながら手伝ったことで、このクルマのエンジンの理解が大きく進みました」
 セダンでは、トランスミッションやデフもオーバーホールした。

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「日本全国のイベントに参加するために、多い年は年間1万km以上走ることもあるのでメインテナンスは大事です」
 仲間の存在も大きい。昨年までは、初代セドリックに乗る仲間たちと集まっていた。セドリックに乗って集まるイベントもあれば、近い人たちとの飲み会もあった。
「居心地が良いんです。私などより長く、30年や40年以上も乗り続けていらっしゃる方々もいて、教わることも多いです」
 セダンに乗り始めた29年前は、仲間ともまだ知り合っておらず、インターネットもなかった。パーツの入手には苦労させられた。やがて、インターネットが一般化するとe-bayに海外で出品されるパーツを高い送料を負担しながら確保していった。
 今は、仲間同士でお互いに融通し合ったり、仲間たちと一緒に数をまとめてメーカーに発注したりしている。実際に、各種のベアリングやウエザーストリップ、ブレーキホースなどは再生産してもらった。
 すべてのパーツが再生産可能なわけではないが、日産には「部品供給可否申請」というシステムがあり、そこで認可されると再生産されることになっている。数の多いハコスカのパーツはずいぶんと行われているらしい。
 日産は昔のクルマに乗っているユーザーに親切なようで、大分でセダンのエンジンのオーバーホールを行った時に、梛野さんが必要なデータを問い合わせたところ、他のパーツと一緒に送ってくれたりした。
「今までパーツの確保では苦労してきたので、新しくセドリックに乗り始めた人たちにはその苦労をしてもらいたくありません。だから、なるべく融通するようにしています」

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 購入して9年が経過するが、これからもなるべく当時の雰囲気を大切にしながら乗り続けたいと願っている。
「親鸞(浄土真宗の宗祖)の教えに、“自らの愚かさに気付いても解決できないものだ”というものがあります。つまり、修行を重ねたところで、人間には自ずと限界があるという意味です」
 仏教の他の宗派の多くでは、“修行せよ。修行して徳を積めば、煩悩は解消され、自ずと悟りは開かれる”と教えているから、親鸞の教えは独特だ。僕ら凡人に対して優しいとも取れるし、期待していないとも解釈できるのではないか。
「私とセドリックなどは煩悩そのものですよ。ハハハハハハッ」
 梛野さんは自嘲気味に笑った。たしかに、昔のクルマに乗って一喜一憂しているのは煩悩そのものだ。クルマに興味のない人から見たら“愚か”に見えるかもしれない。
 そうであったとしても、仲間と集い、喜びを分かち合う尊さに代えられるものはない。コロナ禍でイベントやミーティングなどが中止されるのが悔やまれるが、“ニューノーマル”を受け入れながら、事態が収束されることを梛野さんも切に願っている。

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文・金子浩久、text/KANEKO Hirohisa
写真・田丸瑞穂 photo/TAMARU Mizuho(STUDIO VERTICAL)

(このテキストノートはイギリス『TopGear』誌の香港版と台湾版と中国版に寄稿し、それぞれの中国語に翻訳された記事の日本語オリジナル原稿と画像です)
文・金子浩久、text/KANEKO Hirohisa
写真・田丸瑞穂 photo/TAMARU Mizuho (STUDIO VERTICAL)
Special thanks for TopGear Hong Kong http://www.topgearhk.com

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