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10年10万kmストーリー 第34回

手入れの痕跡はライフログだと思っている

マセラティ222E(1989年型)26年14万5000km

 今から40年近くも前のこと、マセラティ・ビトュルボの出現はセンセーショナルを巻き起こした。
 ボーラやメラク、さらに遡ればギブリやクワトロポルテなど、それまでのマセラティはみな流れるように麗しいスタイルをしていたのに、それらとはまったく似ても似つかない四角四面の出で立ちをしていたからである。
 おまけに、当時の花形新技術であるターボチャージャーをふたつも装備していることを車名にしていて、実際に走らせるとジャジャ馬のような猛烈な加速をしてシーンを驚かせた。
 驚かされたのは速さだけではなかった。ウッドや本革をふんだんに用いた豪華なインテリアもビトゥルボの一大特徴だった。
 当時、クルマの時計はアナログの針タイプからデジタル表示のものに移行しつつあったのに、ビトゥルボはあえてアナログ針タイプの、それもベゼルが金色にメッキされた瞳の形を縦にした特徴的なものを、センターコンソールの真ん中に目立つように配置していた。
 あえてアナログ針タイプを持ってくる辺りに、当時のマセラティの美学というかツッパリが現れているように感じた。模倣する日本車メーカーがいくつも現れたほどだった。
 ビトュルボは、それまでのマセラティとは何から何まで違っていた。違って見えることを最優先していたとしか思えなかった。
 だから、1960年代や70年代のマセラティ・オーナーたちは静観していたが、マセラティに縁がなかった人たちからは大歓迎され、世界的にヒットした。



 僕の知り合いにも、それまではマセラティにも、イタリアのクルマにもほとんど興味の無かったオジさんがビトゥルボとそのバリエーションを4台乗り継いだ人がいたほどだ。
 それほど、バブル当時、マセラティといえば、この真四角なビトゥルボとその派生車群のことを指していたように憶えている。また、それが時代の雰囲気に似合ってもいた。
 さまざまな高性能版や4ドアモデル、スパイダーなど、マセラティは矢継ぎ早にバリエーションを送り出していた。モデルは代わっても四角四面のシルエットは変わらなかったから、あの頃、マセラティと言えば、すべてがビトゥルボに見えてしまっていた。
 しかし、1981年のデビューから延々と同工異曲とも呼べる展開を続けてきたのも長過ぎたようで、1994年にマセラティがデ・トマソからフィアットへ売却されると、「ギブリⅡ」と名前を変え、大幅なマイナーチェンジが施された。
 その後、フィアット傘下となったマセラティはギブリⅡを顧みることなく、発展させることもなかった。1998年には、まったく新しいスタイリングと設計の3200GTが生み出されていった。
 だから、ここ20年ぐらいのマセラティからはビトゥルボを思い出されるものは掻き消されたように何もないのだけれども、マセラティに何の縁もない僕でさえもちょっと寂しい気持ちがしてくるのだ。週末の六本木や西麻布であれだけたくさん走っていたのに、今ではほとんど姿を眼にすることがない。
 しかし、いたのである。ビトゥルボ直系の1989年型マセラティ222Eを26年14万5000km乗り続けている人が!
 待ち合わせ場所の駐車場に着くと、222Eが他のクルマの陰に隠れていた。角度によってはまったく見えなくなってしまうほど小さい。

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