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オナ禁 その後

以前、オナ禁29日目まで達成した記事を書いた。
その後、音沙汰もなく投稿しなかった。
きっと、誘惑に負けてただシコって、記事にするのもバツが悪かったのだろう。そう思われたに違いない。よくありそうな話だ。

そう思われたも何もない。こんな記事を更新しまいが、誰も気にしやーしないのだが、日も少したち、自身への振り返りとしても、現在の状況をここに綴っておきたい。

オナ禁は48日続けることができた。我ながら、まあまあの進捗だったと思う。50日達成を目前にして、このまま達成へとひた走るのかどうするのか、それを悩んだ土曜の夜だった。日曜、月曜と乗り切ると50日達成となる。

しかし、48日目、土曜の夜にリセットした。妻とのセクリセである。

オナ禁を久々に始めた目的は、思考を性欲支配から離脱させることだった。
とにかく射精したい、妻を抱くのか、抱けないならどの動画でヌクのか。
そんな思考回路から抜け出したくて、オナ禁をはじめた。

けれども変わらなかった。オナ禁48日目を迎えても、妻になにやらモテる。そんなことはみじんも起きなかったし、そんなことを期待している時点で思考回路は相変わらずだ。自分も成長してなかった。

一般にスーパーサイヤ人期に突入するといわれる30~50日目、その只中にあって、僕は相変わらずだった。悟りも無敵感もなかった。
一月半も我慢しているんだけど!
そんな女々しい言葉で妻にセックスを要求していた。
女々しい言葉で勝ち取ったセックスはさほど盛り上がらず、隣室の子供たちの寝相の音も気になりつつ、溜まったムスコの早々とした昇天で終了した。

そうして自分への失望、オナ禁への失望とともに、リセットした。
以来、毎週末に1-2回程度抜いている。
抜くまで、”ヌキたい”に思考が支配される。性欲の奴隷に逆戻りである。

思うに、オナ禁への過剰な期待に目を奪われ、ただその効果にあやかってようとしていた。もっと無心に100日くらい目指せば、開ける新たな世界があったのかもしれない。するもしないも自己責任、過剰に期待しちゃダメだ。活かすも活かさないも自分次第なのだ。
愚かなムスコもいつしかそのことに気付いてくれるだろうか。わからん。

今度は、ふた月以上続けることができたなら、改めてオナ禁日記も書いてみよう。人生は続く。じゃあその日まで、さよならオナ禁のカテゴリー。

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