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災い転じて福となれ―ハッピーエンドのドラマを創ろう

長引くコロナ過の中、日本が未曽有の災害を経験した、あの東日本大震災からもう少しで11年になります。

日本人が示した「規律」と「協調性」の美徳は、世界中に驚きと感動を届けました。

残念ながら、コロナ過の日本人は今、それが反転してしまったかのような「同調圧力」や「〇〇警察」と呼ばれるマイナスの事象が増えているようです。

11年前のあの時、皆で力を合わせ立ち向かったドラマを思い出し、検証しながら、もう一度世界に誇れる日本人の振る舞いを取り戻したいと思います。

拙著『ドラマ思考のススメ』(2015年刊)に書いたエピソードに、そのヒントがありました。

当時、東京ディズニーリゾートのキャストたちの素晴らしい対応などがニュースになりましたが、実は同じくあの時、感動的な対応をしたリゾート施設が東北にあったのです。

では、その時の様子を書いた文章を見てみましょう。

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 再びあのフラガールたちの踊りを見たのは、新宿高島屋百貨店の特設会場だった。

 スパリゾートハワイアンズ。

 映画『フラガール』で一躍有名になった、福島県いわき市にあるリゾート施設。石炭から石油へと国家エネルギー政策の転換に伴う常磐炭鉱閉山という大きな危機を乗り越え、東北のハワイという一大レジャー施設を創った人たちの物語。

 1966年、廃業寸前だった常磐炭鉱の起死回生の一手として建設されたのが「常磐ハワイアンセンター」でした。1990年に50億円もの総事業費をかけ大リニューアルしたのがスパリゾートハワイアンズです。

 映画では、街を守るために立ち上がった炭鉱の娘たちがフラガールに成長していく姿が、多くの人の心を打ちました。
 それから45年が過ぎた2011年3月、あの世界を震わせた大震災がいわきの街を襲いました。

 地震と津波と原発事故と風評被害の四重苦の中で、必死に立ち上がろうと模索する人たちの中に、あのフラガールたちもいました。
 自ら被災しながらも踊り続けることを決意し「フラガール全国きずなキャラバン」が始まりました。

 あの時のように笑顔で踊ろう。

 開業前年に行った先輩フラガールたちによる全国キャラバンを、現代のフラガールたちが46年ぶりに復活させたのです。
 それは復興を目指す象徴的な活動となり、5月3日を皮切りに、海外を含む全国125か所を訪問し、累計247回もの公演をやり切りました。

 東京公演のときに、偶然私はその場に立ち会うことができました。
 新宿高島屋の特設会場で、涙を浮かべながら踊るフラガールの姿を見たとき、私も感極まってしまい、一日も早くあのいわきのステージで踊れるようにと、心の中で静かに祈りました。

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 震災から二週間ほど経過したある日、インターネットで情報収集していた私は、震災のまさにその日に、偶然スパリゾートに家族と旅行に行っていた、日刊スパの記者の方が被災したレポート記事を見つけました。

 「知らない土地、さらには水着のままの避難という、非日常的な状況下での悲劇ではあったが、ここで被災したことは不幸中の幸いだったのだと、今にして思う。それも、特上の」

 という書き出しで始まるその記事は、私の心を釘付けにしました。

 その記事からわかったことは、スパリゾートハワイアンズも相当な被害を受けていたこと。しかし幸いなことに、建物のライフラインはすべて生きていたこと。食料の備蓄もあり、東京に帰ることになる日曜日の朝までの計5食、すべて十分な量を提供してくれたこと。

 震災当日はバスが動けないことが判明したため、被災者たちは大会議室、あるいはロビーや廊下で雑魚寝となったことなど、当時の様子が臨場感を持って伝わってきました。
 
 スパリゾートハワイアンズのスタッフの方々は、家族や友人知人が被災しているかもしれないという過酷な緊急事態の中、施設に残りお客様第一主義で利用者のために誠心誠意職務を全うし、体だけでなく心をも救ってくれたのです。

 水着の人にはタオルを、寒さに震える人には防寒具を、座りたい人には毛布を、どこからか持ってきて渡す。慣れない場所で被災し、怯えるほかない利用者たちにとって、それはまさに“奇跡”のように見えたそうです。

 そして圧巻のシーンは震災から3日後の朝6時に起こりました。
 館内に起床のアナウンスが流れ、朝食が始まり、ひと段落したところで、支配人が拡声器を片手に静かに話し始めました。

 「本日、皆さんを東京駅までお送りできることがわかりました」

 満場の拍手が沸き起こる。その中で、さらに支配人は続ける。

「昨日、弊社の従業員を実際に、東京駅に向かわせたところ、”走行可能”という判断を下しました」

 その瞬間、巨大な拍手が会場を包んだそうです。記者の方が感じたその時の感想が心に響きます。

 「それは、命がけの行為だ。拍手で手が痛い。ジンジンと響き、熱くなる手のひらを見つめ、記者はこのとき、拍手には大小のみならず、軽重があることを知った」

 常識では考えられないほどの大きな余震が続くなか、まったく安全が担保されない道を、被災したお客様のために、4人のスタッフが2班に分かれ、ハワイアンズから東京までの帰宅経路を検証してくれたのです。

 「常磐道は無理だという情報は入っていたので、ひとつのチームは海沿いを走る6号線ルート。私たちは、内陸の49号線から入って4号線を使うルートで東京に向かうことになりました」

 しかし、海沿いの6号線ルートは津波の被害がひどく、ほぼ通れない状態だったため、もうひとつのチームは早い段階で東京行きを断念しました。
 
 「『海沿いのルートはダメだった』との報告を受け、『これは、自分たちが行けないとまずいな……』と責任感が増しました。また、乗客数が多いとなると、トイレなどもコンビニで借りるわけにもいかないので、『ここには道の駅がある』など、実際に帰宅時に立ち寄ることになりそうな休憩所や店の情報も収集していました」

 そして、ハワイアンズ出発から約12時間後。小山さんは、無事東京に到着。その朗報は下山田支配人に携帯メールで伝えられ、翌日13日の早朝9時に、18台のバスが東京への帰路に就きました。

 ビジネスは、熾烈な競争を勝ち抜く戦いだと、多くの人が考えています。
 ライバルに後れを取れば市場では生き残れないし、開発競争に敗れれば劣勢に立たされる。だから綺麗ごとではなくビジネスの世界は戦いだと。

 それはたぶんそうなのでしょう。

 一番になるには競争を制さないと実現しません。
 しかしそれは、ビジネスの本質ではないはずです。

 あの時、スパリゾートハワイアンズのスタッフは、他社よりいいことをやろうと思ったのでしょうか?
 他社を出し抜く感動のサービスを提供しようと思ったのでしょうか?

 答えは、はっきりとNOだと思います。

スパリゾートハワイアンズを運営する常盤興産会長の斎藤和彦氏は、「正社員の解雇は絶対にしない」という想いを貫き、半年間の休業中も社員に給料を払い続け、復活1年で来場者数を震災前に戻し、V字回復を果たしました。

 前身の常磐炭鉱には、「ひとつの炭鉱はひとつの家族」という意味を持つ「一山一家(いちざんいっか)」という言葉がありました。
 
 その価値観は、震災時に再びよみがえり、お客様まで届かせました。

 支配人始めスタッフ全員が、お客様のために何ができるかを考え、お客様をご自宅へ安全に送り届けることを最重要課題として動いたのです。

 一山一家に象徴される価値観(困っている人を助ける、ピンチの時こそみんなで力を合わせて乗り切る)を大切にしながら、お客様の最優先価値観(無事に家に帰りたい、この困難な状況をハッピーエンドで終えたい)につないだ行為だったのです。

 ビジネスの本質は、競争ではなく、勝ち負けでもなく、お客様と価値観を共有するという行為です。

 ライバルに勝つことや出し抜くことも時には必要ですが、そればかりではお客様が見えなくなってしまいます。お客様抜きの競争が始まってしまいます。
 
 お客様は、共にドラマを創る「共演者」であること。
 ライバルは、競いながらより素晴らしい市場を創る「競演者」であること。

 いつの世も、お客様により感動を届けた企業に、結果的に勝利がもたらされる、それこそがビジネスの本質なのだと思います。

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マイナスとプラス、陰と陽、裏と表、禍(わざわい)と福は、いつでもどこでも必ずセットで存在します。

コインが片側だけでは存在しないように、マイナスにしか見えない現実でも、必ずプラスの出来事や現象が「同時に同量」存在しています。

それは、哲学の話ではなく、自然の摂理の話です。

陰転じて陽となすには、一人でも多くの人が、自分の周りに灯りを燈す行動をすることから始まります。

天台宗の開祖、最澄が言った「一隅(いちぐう)を照らす、これ則ち国宝なり」に通じる人のあり方なのだと思います。

自分の持ち場で、自分らしい灯を燈して、自分の半径3メートル以内を照らして行きましょう。

*写真はスパリゾートハワイアンズの公式サイトからお借りしました。


 




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