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オンラインとリアル

コロナのお陰で、オンラインコミュニケーションという選択肢が爆発的に増えた。

リアル派の私も時々、美肌モード付きのカメラ(笑)や高性能マイクを使って、スタジオ風にオンライン活動をしていたりするけれど。

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増えたのはあくまで「選択肢」で、目的に応じて最適な手段を選ぶという優先順位を忘れないようにしたい。

いま日本だけでなく世界中で、ロックダウンや緊急事態宣言するしないに関わらず、同じようなペースで陽性者が減っているという。

コロナ騒ぎはもうすぐ終わる。その時残るのは何だろう。

実効再生産数2以上のClubhouseが短期間に爆発的に流行るのは、新しく知った感染症的知見からもわかるけどね。

音声SNSが有望なのは、イケハヤさんなどが昨年から言っていたし、他にも面白いツールはいろいろあるので、一つにハマり過ぎて可処分時間の配分を間違わないように気を付けたい。

個人的感想を言えば、メンバーをある程度絞った対話の方が、良質のクリエイティビティが生まれると思うけれど、今の所はカオスに近い偶発性が新鮮なのかもしれない。

コロナ前にリアルの場で生まれていた体温と熱気に満ちた時空の価値は、新たな魅力と感動の羽をまとって再登場する日が必ず来ると確信している。

というか早く来い!(笑)

とある講演で頂いた2千人のスタンディングオベーションの空気感と感動は、オンラインでは到底味わえないものだから。

MDRTin神戸3

今回に限らないが、大きな変化の時に気を付けたいのは、慌てふためいて(誰かの煽りに乗って)世の中の流れに過剰に便乗、または反応してしまうこと。

情報化時代とは「世の中の流れを操作・扇動が可能な時代」とも言えるという負の側面を持っていて、それが昨年から今年にかけて、あからさまに発動しているように見える。

修学旅行の代わりに、教室で先生が旅行先の映像を見ながら解説するとか、ちょっと待て~!な残念な現実があるらしい。

それはあくまでバーチャルリアリティ(仮想現実)であって、リアリティ(本物の体験)ではない。

ゴリラ研究の世界的権威にして京都大学総長の山極壽一(やまぎわ・じゅいち)氏は、「バーチャルリアリティは、視聴覚を通じた脳のつながりであり、本来の人間関係においてもう一つの礎となっていた身体的なつながりは失われています。こうしたアンバランスな傾向を突き詰めていくとどうなるのか。将来に不安を感じます」と看破している。

操作されているかもしれない「世の中の流れらしきもの」よりも、自分の感性を磨き、それを信じて従う、という視座が、これまでになく必要な時なのだと思う。

自分軸を持ち、個性を発揮する時代に入っているのは間違いないので、信じるに足る自分の感性を磨くことが、テレビを観るよりもはるかに大事なことになるだろう。

世の中の流れに翻弄されるのではなく、情報を精査し、自分が信じるに足る感性を磨き、流れを創るクリエイターの側でいる人が増えてほしいと心から思う。


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