まだ何も変わってない。
先日ちょっとした時間に、最近のマスコミはどうなってるのだろうと思い、テレビをつけてみました。
ニュースとしてはアメリカの国務長官が、北朝鮮や韓国・中国を訪問しているとかで・・・軽快に報道してました。
それよりも、私はあるドキュメンタリ―番組に見入ってしまいました。
それは、朝鮮戦争時からある「保導連盟事件」のことだったのです。(この事件は、多富洞方面のヌリ路開発の時に知って、衝撃を受けたものでした。関連エッセイはこちら。)
保導連盟事件(ほどうれんめいじけん)とは、朝鮮戦争の最中である1950年6月25日、韓国国軍、韓国警察、李承晩大統領支持者らが共産主義からの転向者やその家族を再教育するためとして設立されていた統制組織である「国民保導連盟」の加盟者や収監中の政治犯や民間人などを大量虐殺した事件。被害者は公式に確認されているもので4934人、20万人から120万人とする主張もある。1960年の四月革命直後に、この事件の遺族会である全国血虐殺者遺族会が遺族の申告をもとに報告書を作成したが、その報告書は虐殺された人数を114万人としている。 (Wikpedia保導連盟事件から)
実際、私を自分の子どものように良くしてくれる方のお母さんは、当時小学校の先生だったそうですが、北朝鮮からの共産軍に捕まり「ピアノでふるさとの曲を弾け。弾かないと殺す。」と言われて弾いたそうです。
その後、韓国の国軍が戻って来て命拾いをしたと思ったら「こいつは共産軍のためにピアノを弾いていた。」ということで、共産主義者のレッテルを張られ、長い間、獄中生活をされたそうです。
その時お母さんは殺されはしなかったものの、拷問がひどかったので若くして他界されたそうです。また残されたご本人も、「共産主義者の子ども」というレッテルを張られ、就職など難しく・・・・
本当に、想像を絶する、凄まじい時代を生きてこられました。
このドキュメンタリー番組では、大量虐殺された場所からたくさんの遺骨が発掘され、遺族会が訴えても国が動かないことを報道していました。
それも、現在の政権(進歩派)の国が動かないことよりも、今までの政権(保守派)への批判でまとめていた番組でした。
とにかく韓国ではこの事件に触れること自体、今までタブー視されてきました。
保守派は「虐殺は共産主義者によっておこなわれた」といい、反対に進歩派は「保守派の軍事政権が大量虐殺した」と言ってます。
もう、どっちがしたかとかは、どうでもいいことです。
とにかく、無念にもまだ葬られていない方々とその遺族の方々が、一日も早く心休まる時が来ることを願うだけです。
朝鮮特需で経済復興をしていた島のお隣では、二つのイデオロギーによって半島が分断され、ひとつの民族が引き裂かれて・・・今でもその傷跡が、生々しく残っています。
現実はまだ何も、変わってません。
最後まで読んで下さって、ありがとうございました。