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スギ花粉となって飛び散る前のスギの実(?)を見て

 スギの木の先に、堅そうな小さなツブツブの実がついていた。これが熟れるとスギ花粉を飛ばすようになる。……と、書いてきたが、これは「スギの実」ではない。花粉をつけるものだから、これは「雄花おばな」になる。本当の「実」になるのは「雌花めばな」の方だ。子どもを作る役割はメスになる。
 雄花は小さな小さな楕円形のもの。雌花は、松ぼっくりを小さくして丸めたような、丸い玉。ここに種ができる。スギは風媒花ふうばいかなので、雄花から花粉を出し、風の乗せて雌花に届ける。その花粉が出過ぎて、人間に花粉症を起こさせている。


 子どもの頃、スギの青い雄花を手でしごいて、球だけを取り、それを口に含み、筒をくわえて吹き出すと、吹き矢になる。口に入れただけの球を吹き出すと、球は周り中に飛び散るが、筒をくわえて吹くと、けっこうまっすぐに飛ぶ。武器になるわけだ。

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 スギの青い雄花を口に入れると、苦い。ヤニ臭い。……と言いつつ、今、スギの雄花を口に入れていないから本当の味はわからない。今から雄花を取ってきて、口に入れようとも思わない。コロナだから、感染症の危険があるからとか、理由をつけては、口に入れようとはしない。でも、子どもの頃は、苦かろうが、しばらく口がしびれようが関係ない。吹き矢にして飛ばしたかったのだ。何十年も前の記憶で、ヤニ臭かったはずだ。
 吹き矢といえば、スギの雄花じゃなく、紙で吹き矢の矢を作っていた。作るのに、けっこう手間がかかる。矢の先っちょには虫ピンをつけて、木に刺さるようにしていた。

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 人に当たったらどうするのだ、とか危険だろう、怒られるかなとかは考えない。ただ吹き矢で遊びたい。吹くからには、木に、ブチュッと突き刺したい。
 忍者に憧れていた。缶詰のフタを切って、十字手裏剣や八方手裏剣を手作りしていた。缶詰のフタだから、モロに木に刺さる。危ない。人に当たれば大ケガをおわせる。子どもが、そんなことをしていたら、大人の自分は、すぐにやめさせる。なのに、自分が子どもの頃は、平気で危険な遊びをしていた。遊ぶことが楽しかった。



 もう何十年も昔に、オランダの歴史学者、ホイジンガ(1872~1945)は、「ホモ・ルーデンス」という言葉を作った。「遊ぶ人」という意味だ。「遊び」こそが、人間活動の本質であると言ったのだ。人間の文化はすべて「遊び」の中から生まれたというのだ。
 日本でも「梁塵秘抄りょうじんひしょう」の中に、「遊びをせんとや生まれけん」という言葉がある。「梁塵秘抄」ができたのは平安時代、1180年頃に作られたと思われる。当時、歌われていた今様いまようの歌詞を載せたもの。編集は、後白河法皇といわれる。ホイジンガよりもはるかに古い、そんな昔から、人と遊びは切り離せないものだという認識があった。

 「遊びをせんとや生まれけん」の全文は、

遊びをせんとや生まれけん
たわぶれせんとや生まれけん
遊ぶ子どもの声きけば
我が身さえこそ ゆるがるれ


 子どもが遊んでいる様子は、大人の心もざわつかせる。遊びたくなる。けれど大人は、なかなか遊べない。子どもは休みなく遊ぶ。何が楽しいのか、疲れることなど考えず遊ぶ。見返りも考えない。それが大人も心動かされる「遊び」だろう。

 スギの吹き矢で遊んでいた頃のような純真な心を持って、物事に取り組めたらいいな。
 そんなことを思った春の日。


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