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モザイクもざいくモザイク、マスク

 テレビのワイドショーを見ていると、あおり運転の映像が流れていた。ナンバープレートにモザイクをかけ、運転手にもモザイクがかかっている。ドライブレコーダーが普及して、スマホでも撮影できるので、一般視聴者の映したいろんな映像が世に出る。けれど、テレビで流れる映像は全てモザイク。
 モザイク、モザイク、モザイク。
 冤罪の心配があるものや、軽犯罪ならまだわかるが、完全に暴力をふるっているものや、殺人未遂にあたるものまでモザイク。顔を出せばすぐに犯人が見つかるだろうものまでもモザイク。モザイクにするにしても、「警察が捜査しています」というのなら、その担当の警察の電話番号を出せばいいのに、そんなテロップもつかない。
 なんのためにテレビで流しているのか。ただおもしろがっているだけの映像のように思える。

 昔、犯罪捜査の生放送番組があった。「こんな事件があり、こんな犯人を捜しています」とテレビで流し、視聴者からの通報を電話で受け、放送する。ショー化しすぎて、やり過ぎの部分もあっただろうが、現実にそれで逃走犯がつかまったりもしている。
 テレビの力だろう。生放送の力だろう。ネットに負けないテレビの力だろう。それなのに、何を遠慮しているのか、そんな番組はなくなった。冤罪を気にしているのか、苦情が来るのを気にしているのか。リスクがあることをテレビは何もしなくなった。

 あおり運転の犯人や、暴行や窃盗の犯人の映像があるのなら、モザイクをかけずに流せばいい。そうすることによって犯罪の抑止力にもなるだろうし、防犯への国民の協力意識も生まれるだろうに。


 そんなことを思っている時に、学校のホームページを開いた。学校生活の様子を映した写真がたくさん載っている。あれっ。その写真の顔に全部モザイクがかかっている。
 モザイク少年少女。
 モザイクがかかった写真は、テレビに出てくる犯罪者のようだ。モザイク=犯罪者という認識になってくる(昔はモザイク=エッチな写真だったが……)。
 学校のホームページは、事前に「ホームページに写真を載せてもいいですか」と聞いて、同意書をもらった人の写真だけ載せる。そもそも写真のサイズを小さくして画質を落としておけば、ホームページ上では顔がなんとかわかるが、写真を拡大すればモザイクをかけたようになり、顔が判別できなくなる。モザイクをかけたのと同じ効果がある。

 モザイク写真を見た大人の我々は、「あーあ」と嘆くだけだが、この写真を見た子どもたちはどう思うのだろう。自分の写真が、友だちの写真がモザイクがかかっている。どういう思いをもって心が成長していくのだろう。テレビの犯罪行為にモザイクがかかっているものばかり見ていて、自分の写真にもモザイクがかかっている。

 モザイクどころか、現在の現実生活はマスク社会だ。モザイク越しに顔が見えないのもつらいが、マスク越しに目しか見えない社会で子どもたちは暮らしている。われわれ大人と違って、子どもは日々の生活からいろいろなことを学び、「人間」になっていく。一番大切なのが、人と人との関係。

 幼児は、人の顔の表情を見ることによってコミュニケーション能力が発達する。人の気持ちがわかるようになる。その顔の半分が隠れたままで社会生活を送っている。目だけの人間との関係をつくっていかなければならない。
 

 もっと小さい子は、人の顔を、「目」「鼻」「口」の三点で判断するそうだ。「目」「鼻」「口」があることによって、それは「人間」だと判断する。
 我々大人も、三点のシミがある写真や壁などを見ると、人の顔に見えてしまう。心霊写真ができあがる。目だけでなく、鼻と口があってはじめて「人」として認識できる。人間の脳はそういうふうにできている。

 今の子どもたちは、マスクをしていない絵や映像の二次元の世界でしか「目」「鼻」「口」のある人物を知らない。

 三次元の現実世界では、三点で判断する機会が少ないまま、鼻と口のない身の回りの人々の間で子どもたちの心と体は成長している。


 見出し画像は久々にtome館長からお借りしました。やっぱり何か心に響きます。縮小する技術がないので、大きくなった絵をそのまま貼り付けています。画面下の名前をクリックすると元の絵が見られます。



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