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一年間~グミの花を見て思うこと

 晴れて暖かい日に歩いていたら、グミの花が咲いていた。咲いているのかどうかわからない、目立たない葉っぱのような花だ。
 こんな季節になったのか。もう一年経ったのか。

グミ小


 そういえば前にもグミの話を書いたなあと思い、その記事をさがすと、4月18日の日付だ。

 もう一年経ったかと思っていたのに、まだ一年経っていない。

 グミにはナツグミとアキグミがあるが、同じ木で前に花を見たのは春だった。
 暖かい陽気に誘われて花を咲かせたのだろうか。今年の春のように枝中に花がついているわけではない。


 グミの記事は、その前にも書いていた。その日付は3月16日。こちらも一年経っていない。

 一年も経たない間にグミの記事を二つも書いていたのか。

 なぜかグミに惹かれるようだ。大きな実のビックリグミは食べたいけど、あの小さくすっぱいグミを、そんなに食べたいわけではない。それなのに、グミが気になってしまう。目立たない、小さな花に惹かれるのだろうか。

菫(すみれ)ほどな小さき人に生まれたし  夏目漱石



 目立たないグミの花を見たとき、ああ、もう一年経ったのかと思った。
 若い頃は一年なんてあっという間だったが、今の一年は長い。今年も生きていられることに感謝する。生きているから今年もあの花を見ることができた。
 来年も見ることができるだろうか。



いちはつの花咲きいでて我目には今年ばかりの春行かんとす  正岡子規

 初夏を告げるいちはつの花が咲いた。春が終わる。病床の私には、今年が最後となる春が終わろうとしている。

 正岡子規は、翌年の春も迎えている。そして秋に亡くなっている。
 たった一年増えただけの人生だけど、子規はどんな気持ちで翌年の春を迎えたのだろう。たった一年が大切な一年となったのだろうか。

 正岡子規のこの歌も、季節の変わり目になるとなぜか思い出す。
 前の文章を読み返したら、同じことばかり書いている。グミのこと。この歌のこと。変わらないなあ、自分。


 来年も何も変わらなければいいのに。
 そうはならないのが人生。思い通りにならないのが人生。人は、その中で生きていかなければならない。


 目立たない小さな自然にも目をやりながら、一日一日を大切に生きていきたい。


 こんな記事を見つけた。「お花とエッセイ」になるかどうかわからないけど、おもしろそうな企画なので参加します。



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