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水の国、葦原中津国の線状降水帯と毎年の洪水と

 日本神話で、日本のことは葦原の中津国(あしはらのなかつくに)と呼ばれる。
 この世は上中下の三層になっていると考えられた。神の国、高天原(たかまがはら)とあの世、黄泉の国(よみのくに)の中間にある葦(アシ)の原っぱという意味。豊葦原(とよあしはら)の中津国、つまり葦が豊かに生えている土地と呼ばれることもある。葦は水辺に生えるから、葦の国というのは、水の国という意味になる。日本は水があふれる水の国なのだ。


田子の浦ゆ うち出(い)でてみれば真白にそ 富士の高嶺に雪は降りける  山部赤人「万葉集」

 田子の浦を通って見晴らしの良いところへ出てみれば、真っ白に雪をいただいた富士が見えた。(「百人一首」の元歌)
 富士山を毎日見ている人にとっては、富士山はいつもの山だが、旅人にとっては富士山は、「オー、フジヤマ」ということになる。地方在住の我々も新幹線の車窓から富士山が見えれば「オー」となる。そういう感動を詠んだのがこの歌だ。

 この感動と同じようなことが「葦原の中津国」という言葉にもいえるだろう。日本人にとっては葦は水辺の当たり前の草で、わざわざ「葦」という名で呼ぶこともない。ただの水辺の草だ。ところが葦を見たことのない人にとっては、初めて目にする風景。水辺に群生する一面の背の高い草は、「オー」と言いたくなる情景だ。日本を「葦原の中津国」と名付けた人にとっては、日本は「葦の国」であり「水の国」だった。つまり、水の少ない地方からやってきた人々による命名だと想像する。


 今年の夏は豪雨に見舞われた。被害の少ない神戸でも、何度も警報が出され、8月13日14:10~15日11:32まで休みなく大雨警報が発令されていたこともある。九州などは大きな被害を受けた。
 線状降水帯(せんじょうこうすいたい)は、積乱雲が次々わいて雨が降り続く状態。昔はそんな言葉がなかったように思うが、雨雲レーダーを見れば線状がよくわかる。集中豪雨という言葉は昔からあったが、容量以上の雨が降る。地球温暖化の影響もあるだろうが、日本は神代の昔から水の国だった。


 私の田舎の家は川の近くにあったので、梅雨になれば少なくとも1年に1回は畳を上げて洪水対策をした。
 対策といっても、大事な物が水に濡れないように高いところへ置き、人間も2階へ避難するだけ。1階は濡れてもいい状態にする。それ以外のことは自然に対して何もできない。
 上流で堤防が決壊すればほっとする。自分のところが助かるからだ。堤防が決壊するのはどこかはわからない。どこかの地域が優遇されているわけではない。どこも同じ条件で、いつ水浸しになるかわからない土地に住んでいた。
 運良く私が生まれてから近くの堤防が決壊することはなかった。川の改修工事があり、川幅が大きくなった。これで川が決壊することはなくなったが、我が実家は改修工事のために消滅してしまった。消滅した家には、かつて洪水が来たときの跡がちゃんと残っていた。じいちゃんばあちゃんか、それよりもっと昔の人か、そういう印を残し伝えていた。

 堤防決壊は経験ないが、橋は何度か流された。木造だがバスも通る大きな橋だ。上流からの流木などで壊れた。大水になると、川にはいろんなものが流れてくる。我が家は下流域にあったので、いっぱいいろんなものが流れてくる。山の流木も、小さい木ではなく、大きな木が流れてくる。洪水のときは川の水自体が濁っており、水中に何があるかわからない。小さな木々も流れていただろうが、濁った水で何も見えない。大きな木だけが水中から姿を現すのでよくわかる。ときには家らしい物体も流されてくる。
 橋が流れなかったら流木がダムを造り、堤防が決壊する。ものすごい量の物が流されてくる。それがせき止められたらすごい量になる。大きなダムができてしまう。濁流に流されないコンクリートの丈夫な橋なら、橋の横の堤防が決壊する。あるいは違った場所の堤防が決壊して、川の水の量を少なくしようとする。どうころんでも自然には勝てない。人間は自然には勝てないものとして接していた。

 それが日本人だったはずだ。東洋の思想だったはずだ。人間は自然の中で生きている。自然を破壊して、人間の住みよい環境を作るという西洋的な考えではなく、自然の中の人間という意識を持っているのが日本人だったはずだ。
 被害を受けられた方々にはお見舞いを申し上げるが、ハザードマップを見れば、安全な地域なんてないのが我が日本だということを理解して生きていかなければならない。
 一度ハザードマップを見て、周囲を見直したい。


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