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愉快なオーナー〜鴨料理店と歩む日々〜

おら鴨とオーナー

 多くの飲食店が軒を連ねる大阪ミナミに「おら鴨」という鴨料理専門店がある。鴨鍋と鴨の炭火焼きを取り扱い、2022 年で15周年を迎える。
 今年、私はアルバイトとしてこのお店で働くようになった。鴨料理専門店なんて今まで聞いたことがなく、偶然アルバイトの求人サイトで見かけたこのお店に興味本位で応募した。初めて飲食店でのアルバイトだったことや、慣れない環境に不安を抱くこともあった。しかし、働き始めるとこんな居心地のいいアルバイト先は本当に存在するのかと疑ってしまうほど働きやすかった。心地いい環境の秘密には、お店を経営するオーナーの存在があった。  

 少しダサくて、愛嬌がある「おら鴨」という店名について、「ちょっとカッコ悪いものって忘れられへんし、いつまでも愛されるかなと思って」。こう楽しそうに話す人物が、「おら鴨」オーナーの上村貴也である。少しふざけた愉快なオーナーは、実家が大きな建設会社であり、大学院で土壌汚染などを研究していた。そんな彼がなぜ飲食店を、なぜ鴨料理店を経営するようになったのか。アルバイトの私から見たオーナーの単に愉快な面、そしてその真面目さについて明らかにしていく。

おら鴨オーナー

「おら鴨」オーナーの上村貴也さん(本人提供)

きっかけと出会い

 お店を経営するきっかけは、大学院生のときにジムで出会ったおっちゃんだった。ジムに行くたびに顔を合わせていたが、ある日、ジムの風呂場で声をかけてくれた。当時、オーナーは22歳、おっちゃんは40歳ほどだった。話すうちにどんどん仲良くなり、おっちゃんが遊びに誘ってくれるようになった。それから毎週水曜日は、おっちゃんやその友人のお姉さんたちとよく遊ぶようになった。おっちゃんは経営者でもあり、その友人たちも経営者が多かったことから憧れの気持ちを抱くようになっていた。
 オーナーには昔から友だちと商売をしたいという夢があった。大学院卒業後は、そんな夢とは関係なくゼネコンで働き始めた。しかしサラリーマンは性に合わず、長時間拘束されることや上司の指示に従うことが苦痛だった。そんなとき商売の夢を叶えるため、高校時代の同級生2人を誘った。そのうちの1人は、現在の「おら鴨」のマネージャーである。なぜ急に思い立って行動に移したのかを問うと、「自分の考えたことが思い通りにならないことが嫌やった。社会に適応できない自分がおったから、自分がおるコミュニティーで社会生活を送りたかった。そしたら自分のコミュニティ以外の社会と関わらんくていいやん」と笑った。
 お店を経営するなら、鴨料理屋がいいと以前から考えていた。その理由は幼いころから家族で鴨料理を食べる習慣があったからだという。いつも行っていた地元奈良の鴨鍋屋さんで食べた鴨鍋が絶品で、それを手本に店をやりたいと考えていた。手本にするとは言ったものの、まるまる真似するわけにはいかない。鴨鍋以外のメニューや鴨仕入れ先など、自分なりに考えて奈良の鴨鍋屋さんとの差別化を図ろうとしていた。
 「おら鴨」は大阪ミナミの法善寺の目の前、ビルの3、4階に位置している。物件探しのためにミナミをぶらぶらしていたとき偶然入った不動産屋さんで紹介されたのが、串カツ『だるま』が建てていたビルであった。早速『だるま』の会長に会いに行って出店への熱意を伝えると、「真面目そうやし、やったらええわ」と言われたという。お店の内装にはこだわり、ビルの3階と4階を螺旋階段で繋げ、シンプルで洗練された全席個室の風変わりなお店ができあがった。お店を始めた当時は創作和食屋ブームで、現在あるようなインスタ映えがするモダンでおしゃれな居酒屋が流行り出したころだった。しかし、そのような流行には乗らず、真逆なことをやろうと思っていた。「誰もやっていないことをちゃんとやれば、一等賞取れると思った」。
 ジムで出会ったおっちゃんたちとまた遊ぶようになったとき、「鴨料理屋をやろうと思っている」と相談すると、その場に居合わせた人が美味しい鴨屋さんとして河内鴨のツムラを紹介してくれた。ツムラは明治3年に創業し、最高級国産合鴨肉河内鴨を取り扱っている専門店である。
 歴史ある鴨屋さんから鴨を卸してもらおうと思い、ツムラに訪れてここの鴨で鴨料理屋をやりたいと素直に伝えた。当然、ど素人のオーナーに対してツムラの店主は少し怒りながら「よくわからない人には鴨を卸せない」と言った。しかし、もう店の工事も始まっていて後は鴨を仕入れるだけだった。それを聞いた店主はとても驚いていたという。
 ツムラは、奈良の鴨料理屋にはなかった鴨の刺身やオーナーが知らなかった部位を取り扱っていた。さらにツムラと出会って鴨肉の炭火焼きができることも知った。もともと鴨鍋と牛肉の鉄板焼きのお店をやろうとしていたオーナーは、それを知ってから牛肉の鉄板焼きを鴨肉の炭火焼きに変更して、鴨料理専門でお店を始めると決めた。あまりの熱意と一生懸命さに、ツムラの店主も「これはほっとかれへんな、大阪でこんな規模で鴨料理専門店をやってくれる人はおらん」と応援してくれるようになったという。
 25歳から1年間かけて準備して、2007年12月にオープンした「炭火焼きと鴨鍋の店 おら鴨」は長く愛されるお店となった。

挫折から学ぶこと

 鴨料理店の他に、オーナーはケーキ屋も経営していた。そのきっかけは、知り合いにケーキ屋さんがいたからという単純なものだった。オープン当初は興味本位のお客さんがたくさん来たが、数日で嘘のように人が来なくなった。半年ほど経った末にケーキ屋は潰れ、3000万円ほどの借金を背負うことになった。「めっちゃ落ち込んだよ。でも、たまたま買ってたタワーマンションを売り払って借金を消してなんとか撤退することができてん。そのとき他の何かに手を出すんじゃなくて、鴨屋さんだけをきちんとやろうと思った」。
 大阪ミナミの法善寺前のお店を始めてから数年後、ビジネス街である大阪の本町と地元である奈良でも鴨料理店を構えた。しかし、オーナーにとって従業員をたくさん抱えることも、複数のお店を経営することもストレスとなっていた。
 何より、自分や家族との時間がなくなっていった。そんなとき、本町のお店を買ってくれる人が現れたため、オーナーはそのお店を手放した。その後、奈良の店舗を任せていた人から独立したいと申し立てがあったため、奈良のお店も売った。「たくさんの従業員を雇ってみたり、たくさんの人と関わってみたりして商売をしてみたけど、その才能はなかった。多くのことを行うのではなく、何かを選択し、それを集中的に行うことが自分には合っていた」と振り返った。

ブレない価値観

 お店を経営する上で大切なことは何かと問うと「従業員を大事にすること」とすぐに答えてくれた。「お客さんたちを丁寧に接客することも、美味しい料理も大事。でもそれをやるのはオーナーひとりじゃなくて、従業員みんなの力が必要やん。従業員たちがある程度楽しく、機嫌よく働いてくれないとお客さんの満足度は下がるから、一緒に働く人たちがご機嫌に働くことのできるような環境づくりがお客さんに満足してもらうためには大事ことや」。一緒に働く人を優先して考えるオーナーの考え方は、コロナ禍で困難に陥ったときでもブレなかった。
 コロナ禍で時短営業が余儀なくされたが、ランチ営業やテイクアウトを始めることはなかった。その理由を聞くと「変化に対して変化で対応したら、元に戻った時に元ある一番よかったものがなくなっちゃうやん。いっときをしのぐために従業員に無理をさせて、そのストレスを抱えることは、お店にとってマイナスになると思った」と話してくれた。新型コロナウイルスが流行り出した2020年3月、ミナミから人が消えても「おら鴨」は国や自治体のルールに則りながら店を開けていた。従業員を大事にするオーナーにとって、働いてほしくないときは来なくていい、働いてほしいときだけは来てほしいというお店の都合で従業員を振り回すことは信頼関係を失うようで嫌だったという。どのような状況であっても営業を続けることで、従業員との信頼関係を守っていた。困難に陥っても何かを変えるわけではなく、コロナ禍以前と同じようにお店を続けることにした。
 オーナーは常に「商売は人付き合い」と心がけている。コロナ禍となり、多くの飲食店が休業になったため、鴨肉を卸していたツムラに鴨肉が大量に余った。しかし、そんな状況に対して「閉めないとダメだから買いません、必要だから買いますってことはしたくなかった。それは商売じゃないと思っていたから、他の人がそれをしていても自分だけはそうありたくなかった」と心中を語った。店を開け続け、店にお客さんが来なくても鴨肉は仕入れを続けた。買った肉は常連さんが鴨鍋の出汁と一緒に買い取ってくれることもあった。それは今まで築いたお客さんとの絆でもあった。ツムラから仕入れ続けてくれと頼まれたわけではない。それでも、今までとこれからの関係性を大事に思い、「あの大変なときでも仕入れ続けてくれたな」と思ってくれるだけでいいと思った。おら鴨の商売はネットショッピングではなく、対面で行われる。仕入れ先であるツムラ、従業員、お客さん、すべての人のこと考えた末の行動だった。

コロナ禍と未来

 コロナ禍の対応について聞くと「どうもせんとこと思った!」となんとも明るい調子の答えが返ってきた。正直、これほど長引くと思っていなかったという。それでもその答えの裏には、信念が詰まっていた。オーナーはお店を始めて以来、ゴールや目標を立てずに今まで営業を続けてきた。どこかに向かうことや、達成しなければいけない目標もなかったから楽に営業をできたのだという。先の読めない未来のことより、今日やらなければいけないことをきちんとやることを第一に考えている。「みんなすぐ目標を立てたがるけど、それって現状に満足してない証拠やん。目標は通過点やのに、いつの間にか目標を達成することが目標になっちゃうのは意味ないやん。大谷翔平選手もゴールがないからまだまだ頑張れるって言ってたで、それと同じやん」とケラケラ笑いながら話していた。
 今日正しいと思って下した判断が明日には間違いになっているかもしれない。だから今日やるべきことをやった。「自分の判断で、ダメな環境を変えられる状況なら行動する。でもそのような状況でない限り何もしない!」とオーナーの表情は清々しい。「目の前にあることを瞬間的にする、明日に後回しにするようなしょーもないことは今日もやらんでいいやん」。
 時代の変化に流されないために、変化しない経営がオーナーのモットーである。変化に対して変化で対応するのではなく、何か困難が起こっても変わらずにお店を経営してきた。「一回変わったら、時代が変化するたびに経営のやり方も変えていかなあかんやん。何事もどこかで失敗して、どこかで成功するから成功している今を変えなくていい」。
 特別な目標があるわけではない。これからも変わらず、関わってくれる人を大切にしながら、「おら鴨」は15年目を迎えようとしている。(大葉祐子)