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宮崎駿監督の遺言『君たちはどう生きるか』ネタバレ解説

映画『君たちはどう生きるか』を観た。

宮崎駿監督の遺言、と言える作品だと感じた。

面白いかどうかでいうと、微妙なところ。
だけど後になってきっと観ておいて良かったと思う作品だと確信した。

そんなことを考えながら劇場を出ると、目の前を歩くカップルの会話が聞こえてきた。
「わかった?」
「いや、こんなんわかるわけないでしょ」
「だよねぇ」
「わかる方が頭おかしいよ(笑)」

たしかに、わかりづらい部分の多い作品だった。

映画作品には、謎が解けないままでも面白いものもたくさんある。
けれどこの作品は、わからない部分が多いせいで、スッキリと楽しむことができない作品になっている。

物語に直結する部分にはだいたい自分なりの答えが出せたと思うので、読み解いた内容を書いておこうと思う。
ラストの展開までネタバレ全開で書いていきます。



話の骨格はシンプル

わけが分からない話ではあったけれど、話の骨格は意外とシンプルだ。

”お母さんをなくした少年がいて、新しいお母さんができるんだけど、その新
しいお母さんが不思議な世界に取り込まれてしまったから、助けにいく話。
そしてその世界でいろんな仲間が出来て、冒険しながら少しおとなになって、現実にもどってくる話。”

映画を観た人ならば、このあらすじを聞いて、おおざっぱに言えばそのとおりと納得してもらえるだろう。
そして同時に、そんなことは分かっている、分からないのはそこじゃないんだという反応になると思う。

話の骨格は十分わかっているのに、物語がよくわからない。
そのモヤモヤはどこから来るのだろう。


モヤモヤする理由

この作品のわけが分からない部分はたくさんあるけれど、大きく分けるとだいたい3つに分類できる。

・海の世界の秘密
・登場人物の動機
・裏のメッセージ

この3つがからみあって「こんなんわかるわけないでしょ」な作品になっている。

もう少し具体的に分かりづらいポイントを説明すると、こういうことになる。

まずは、海の世界の秘密。
海の世界がどういう世界だか、良くわからないのだ。

大叔父さんが作ったらしいというのは分かるけれど、何のためのどんな世界でどういうきまりで動いている世界なのかはっきりした説明がない。
明らかに現実とは違う世界だけど、一体なにをどうするとどうなるのか。
説明がないまま後半で唐突に積み木が出て来て、この世界を君に任せたいとか言われても、モヤモヤする。

海の世界の秘密を明かしてほしい。
これが1つ目のポイントだ。


次に、人間や鳥いろいろな登場人物が出てくるけど、みんな何がしたいのか良くわからない。
ナツコさんがいなくなった理由もはっきりしないし、インコが何で追ってきて何でヒミが捕まったのかもボヤ~っとしてる。
なにより、マヒトが何がしたいのか全然わからない。
お父さんのためにナツコさんを助けに行ったの?
責任感じたから連れ戻そうとしたの???

みんなが何したいのか分からないのから、感情移入できない。
敵が何を狙っているのかわからないから、倒したら勝ちなのか、逃げたら勝ちなのか、ゴールが見えない。
ここが意味不明な作品だと言われる、切実なポイントだと思う。

登場人物の動機。
これが2つ目のポイントだ。


さらに、なんだか裏のメッセージがありそうな雰囲気をひしひしと感じるけど、何が言いたいのやら難しい。
タイトルからして哲学っぽい。
君たちはどう生きるか。
観客になにかを問いかけている気はする。
だけど、結局どう生きろとかそんな話をしたかな??
お墓のメッセージが意味ありげだったり、大叔父さんがなんか直接語りかけて来てるような気がするけど、うーん、謎だらけ。

裏のメッセージ。
これが3つ目のポイントだ。


この3つのポイントについて、自分なりに考えたことを順に説明していきたいと思う。

海の世界の秘密

海の世界はどのように設計されたか

大叔父さんがつくった海の世界は、争い奪い合うことのない美しい世界だ。

海の世界は、鳥であふれている。
世界の主役は、空を飛ぶ美しい鳥たちだ。
本を読んでいてふと窓の外を見たときに目に入る、あの美しい生き物こそこの世界にふさわしい。

この美しい世界にも、もちろん肉食はいる。
ペリカンは、ヒトの卵(ワラワラ)や魚を食べる。
ただ、ペリカンも、同類である鳥を食べることはできない。
(マヒトはアオサギの羽を持っていたからペリカンに食われずに済んだ)
同類を食べることは、残酷で美しくないからだ。

この世界では、明るいところに虫はいない。
虫は目立たないところで生きている。
虫が登場したのは、鬱蒼とした森のなかと、建物の抜け穴のなかだけ。
暗い場所では、虫はこれでもかと大量に描かれている。
大叔父さんは「虫”だって”湧く」と口にしているように、きっとあまり虫が好きではない。
虫は世界に必要だけどあまり美しくないので、目につかないところで生きてもらうのだ。

人間(外から来たヒトは除く)は、殺生をできないようになっている。
それがこの世界の絶対のルールだ。
外の世界とはちがって、人間が生き物を絶滅させてしまうような残酷なことにはならないのだ。

人間はみんな、同じような見た目をしている。
外の世界とはちがって、みんな同じだから、差別が起きないのだ。

外から入ってこられるヒトは、(基本的に)大叔父さんの親族だけ。
他人は怖い存在だけど、親族ならちょっと安心。
現実から離れたい人が、海の世界に入って来られる。
できればそういう人にこの世界を継いでほしい

世界のほとんどは、海の水でできている。
陸地は、ほぼない。
それから、ときどきヒトの卵が外の世界に上っていき、命となっていく。
母の胎内に似せたのだ。
生き物が一番安心できる理想的な場所は、母の胎内なのだ。

大叔父さんは、このようにして、無駄な殺生や無駄な争いのない美しく安心できる世界を作った。

その結果、海の世界はどうなったか

まず虫が見えるところにいないので、水面に魚がなかなか現れず、深海魚のような魚が主流になった。
(ヌマガシラ=深海魚ではない魚もいるようだが)

水面に魚が現れないから、ペリカンのように魚を主食にする鳥が生きるのに苦労する世界になった。
ペリカンはほんらい小鳥も食べるけれど、この世界は同類を食べることができないきまり。
なのでペリカンは、ヒトの卵を食べて細々と生きるしかない。

ペリカンが小鳥を食べられないので、インコが捕食されることがなくなった。
インコは雑食なので、天敵がいなくなればのびのびと繁殖する。
まるで現実世界の人間のように繁殖して、どの部屋にもインコがぎゅうぎゅうで窮屈だ。

陸地がほとんどないので、陸に棲むどうぶつ(獣)は存在しない。

人間は、個性がなくて、覇気のなくて、まるで亡霊だ。

これが大叔父さんが作った世界のなりゆき。

争いのない美しい世界を作ったのは良いけれど、とてもいびつで、いまにも壊れそうな世界になってしまった。


登場人物の動機


今度は登場人物のみんなが何を考えて行動しているのか。

ペリカンは何がしたいのか?

これはさっきも書いたとおり。
本当は魚が食べられるなら、それが良い。
小鳥を食べられるなら、それも良い。
だけど、魚はいないし小鳥を食べることは許されない。
なので、ヒトの卵を食べるしかない。
老ペリカンが死にぎわに話したように、そうするしかないのだ。


インコは何がしたいのか?

天敵のいなくなったインコはとても繁殖した。
まるで現実世界の人間のように、楽しく生きている。
歌を歌い、酒を飲み、とても楽しそうにしている。

ただ、インコは繁殖しすぎた。
どの部屋も、いっぱいいっぱいのぎゅうぎゅうだ。
現実の世界でも人口増加で問題が起きているように、インコ増加問題が起きている。
一部の賢いインコは、この問題は世界のしくみに原因があると考えた。
なので、神にこの世界を少し変えるよう直訴することにした。
世界の創造主の一族と思われるヒミを捕らえれば、話を聞いてもらうだろう。
ヒミを傷つけるつもりや食べるつもりはない。
あくまで創造主である大叔父さんとの交渉材料。
インコの王様はそのためにヒミを捕らえ、大叔父さんと交渉した。


アオサギは何がしたいのか?

どうやらアオサギは大叔父さんのつかいとして、後継者を見つくろう役割をまかされていた模様。
鷺としての美しい見た目と、詐欺師としての汚いおじさんの見た目の両方をもっている。
大叔父さんの作った美しい世界において、汚い面を持つレアキャラ。
汚い面も持っているからこそ現実世界と海の世界を行き来できたのだろう。
役割はこなしつつ、それ以外は自分の感情のおもむくままに行動していたんじゃなかろうか。


ヒミは何がしたいのか?

ヒミもこの世界に来ているということは、おそらく現実世界にいたくなかったのだろう。
現実の時間で1年も離れていながら特に寂しそうにすることなく、海の世界に馴染んで生きていた。
大叔父さんのように現実世界に嫌気が差していたわけではなさそうだ。
若くして焼け死ぬ未来をアオサギあたりから知らされたために、こちらの世界で生きようとしたのかもしれない。


ナツコさんは何がしたいのか?

ナツコさんが家を飛び出して海の世界に行った理由は明かされていない。

ただ、ナツコさんは違和感のある行動を3つ取っている。

①頭に傷を負ったマヒトをしげしげと見て、その後、森へ入っていった。
②「マヒトさんに傷を負わせてしまった」と独り言を言っていた。
”責任を感じる”という域を超えて、自分が直接の原因であるかのような発言だ。
③せっかく迎えに来たマヒトを遠ざけようとした。

この3つの行動からの想像だが、ナツコさんは、マヒトが自分で頭の傷をつけたことに気付いていたのだと思う。

姉が死んでたった1年で結婚し、子供まで作ったせいで、多感なマヒトさんを追い詰めてしまったのだと考えた。
10歳やそこらの子が、頭からあんなに血を流す痛いことをためらいなくできてしまうほどに、追い詰めてしまったのだ。
そんな私やお腹の子は、マヒトさんと同じ世界にいてはいけない。
そう考えて、海の世界に吸い寄せられていったのだろう。


マヒトは何がしたいのか?

一番問題なのは、マヒトだ。
マヒトが海の世界で何をしたいのかイマイチ分からないから、主人公なのに共感したり応援したりするのが難しくなっている。

マヒトは口では「ナツコさんを助けなきゃ」と口にしている。
しかし、物語後半までお母さんだと認めていないナツコさんのことを、本当に助けたいのだろうか。

マヒトは「お母さん(ヒサコ)がいるか確認しなきゃ」とも口にしている。
ではお母さんの安否確認が”一番の動機”かというと、それは違う。
お母さんが生きているというのは、アオサギの嘘だと確信している。
あくまで、念のため確認するという心持ちだからだ。
危険な大冒険をする動機としては、弱い。

やはりマヒトは、ナツコさんを助けたくてこの世界に来ているのだ。
助けたい理由は、「父さんの好きな人だから」だろうか。
…違う。
マヒト自身がナツコさんのことを好きだから、だ。
どこまで意識しているかはともかく、異性として、ナツコさんが好きなのだ。

その根拠はいくつも描かれている。

ナツコさんが妙に艶っぽく描かれていることが、一番の根拠だ。
ナツコさんは登場シーンから一貫して、清楚ながら色気のある描かれ方をしている。
唇の赤さがとても瑞々しく目立っている。
お見舞にいったベッドでの寝姿は、息を呑むような美しさだ。
産屋での寝姿も、母性的というよりも(異性としての)女性的な印象だ。

一般的に、物語に妊婦が登場する場合、若い女性的な魅力はノイズになるので、極力削られる。
にもかかわらず、ナツコさんは、さりげなく色気が強めに描かれている。
むしろ、妊婦の特徴であるお腹は初登場時以外、全くといっていいほど強調されておらず、妊婦らしさの方が削れらている。

そして重要なのが、この色気のあるナツコさんは、マヒトの目を通して見た姿なのだ。
これが、マヒトがナツコさんを異性として意識しているわかりやすい根拠だ。

他にも根拠はたくさんある。

ナツコさんがマヒトにお腹を触らせるシーンが、一瞬ドキッとするような演出になっている。
普通、血のつながった叔母さんのお腹を触っても普通はなんとも思わない(マヒトくらいの歳に叔母のお腹を触った経験があることがあるが、もちろんドキッとなどしなかった)。
この場面は、明らかに、なにかいけないことをしているような気分にさせられる演出だ。
マヒトがナツコさんを異性として意識してしまっていることを、暗に描いているのだろう。

ナツコさんの存在に戸惑っている割に、嫌悪を抱く描写がないのも重要だ。
新しい家族が突然できて戸惑う物語には、定番ともいえる展開がある。
新しい家族がズカズカと入り込んできたり、元の家族(父さん)の興味が新しい家族に移ってしまったのではと心配になったりする展開だ。
一言で言うと、家族の絆を破壊される展開。
マヒトにもこういう気持ちがないではないのだろうが、そこが戸惑いのメインであれば、当然、上に書いたような展開が仄めかされるはず。
マヒトは、ナツコさんの存在自体に戸惑っているのだ。

ナツコさんと父さんのキス。
マヒトは、ナツコさんと父さんがキスをして抱き合うところを目撃する。
キスの生々しい音がして、マヒトは後ずさりするのだが、その直前にマヒトは二人のキスにいったん見入っている。
父親と再婚相手がキスをしていても居心地が悪いだけで、普通、凝視しない。
マヒトがナツコさんを異性として意識していることを裏付けていると思う。

マヒトが、父のようにナツコさんを守りたいと意識する場面がある。
自室のベッドで寝ているナツコさんを見舞ったとき、父さんのジャケットがかかっているのをチラッと見る。
ナツコさんが父さんに守られていることを意識したと見てよいだろう。
また、このとき部屋にある弓矢も見る。
その直後、マヒトは爺に教えを乞うて弓矢を自分で作り始める。
弓矢を借りるのではなく、自分で作るのだ。
父ではなく、自分の力でナツコさんを守りたいという気持ちから出た行動とみて良いだろう。

ナツコさんが叔母だと明言されるのが、遅い。
観客は、話の流れからナツコさんは叔母なのだろうと察しながら観てはいるものの、明言されるのは中盤をすぎてからだ。
初登場の場面で察することができるし、ナツコさんがマヒトの傷を”姉さん”に謝っているので、序盤でほぼ確定できるとはいえ、なぜか明言されない。
わざわざ曖昧にする理由は、本来ない。
おそらく、マヒトの目には「叔母さん」としてよりも、「母さんの生き写しの女性」として映っていたことを暗に表現していたのではないか。

最後にもう一つ。
「ナツコさんのことが好きなのか?」と問われて、「ナツコさんは父さんの好きな人だ」と答えている。
この答え、リアルで聞いたら、きっと誰もがニヤニヤしてしまうだろう。
君はあの子のことが好きかと聞かれて、僕は好き/僕は好きじゃない(もしくは分からない)と答えれば良いところ、問題をすり替えて「父さんの好きな人だ」と答えたのだ。
明らかに、ナツコさんのことを意識しているからこそのゴマカシだ。

小学生の男の子が叔母に惚れるなんていう気持ち悪い想像をするなとお叱りを受けそうだが、まったく不思議なことではない。
お母さんをなくした少年の前に、お母さんにそっくりな、しかも若くてきれいなおねえさんが現れた。
そのおねえさんがとても自分に良くしてくれて、艶があって、距離感も近いのだ。
血縁上叔母ではあるが物心ついてから初めて会うので、叔母さんという実感もないだろう。
母を求める気持ちと、異性への気持ちとがごちゃ混ぜになり、さぞかし混乱したと思う。
異性として意識してしまう方が自然ではないだろうか。

熱く語ってしまったが、主人公が危険な旅をする動機というのは、物語を楽しむ上でとても重要な要素だ。
ここが曖昧なままだと、良くわからない話のままになってしまうので、こってりと書いた。

小括

このように、後から頭をひねって考えれば、それぞれのキャラクターが何をしたいのか、想像をすることはできる。

なのに観ている最中には、動機がはっきりと描かれていないので、おそらく多くの人がモヤモヤしながら観たことだと思う。
自分もそうだ。

制作側はもちろん意図的にやっているのだと思う。

他人の気持ちなんて簡単に分かるはずがない。
自分の気持ちすらわかったようなわからないような。
そんな現実世界の難しさ、他人と接する難しさ、自分の理解して折り合いをつけることの難しさを、マヒトと同じように経験してほしかったのだろう。

物語の整理

いったん話を整理する。

マヒトは、ナツコさんを助け出すために海の世界に来た。
その気持ちには、好きな異性を求める気持ちと母を求める気持ちとが混然としていた。
他人と接することに現実への忌避感もあって、理想の世界である海の世界への適性があった。

しかしマヒトは、いくつもの出会いと経験の末、大叔父さんとの対話をして自分を知り、善意によって作られた美しい世界よりも、悪意もあり醜くても人と対話する世界が良いと考えるようになった。

冒険をつうじて、ナツコさんを母として受け入れられるようになるとともに、一見嫌なヤツでも友達になってみることが大事だと考えるようになったのだ。
ついでに、1年間この世界に入り浸っていたヒミが、現実世界に戻るきっかけにもなれた。

「それは木ではない。石だ。」というセリフがあった。
石は、固定化されているものの象徴
木は、柔軟に変化できるものの象徴
石の力によって作られた変化のない世界。
マヒトはこれを拒んだのだ。

大叔父さんと同じように現実を受け入れられなかった少年が、理想郷にいって、理想郷を拒んで帰ってくる。
この話は、そういうお話だ。


裏のメッセージ

さて、まだ解消されていない謎がある。

君たちはどう生きるか、だ。
この言葉の意味がまだ良くわかっていない。

もちろん、いま書いたようなマヒトのたどり着いた結論が、この言葉の意味だ考えることもできる。
つまり、君たちはどう生きるか、とは、「自分の世界に閉じこもっていないで現実を受け入れて生きていこうね」というメッセージだと受け止めることもできる。

しかし。
それが言いたくて宮崎駿監督がこんな仰々しいタイトルを付けるとは、どうも思えない。
個人の感想でしかないが、強い違和感がある。

この文章のいちばん最初に、『君たちはどう生きるか』が宮崎駿監督の遺言のように感じられたと書いた。
そのあたりを考えていきたい。

少し話しが飛ぶが、この作品を観ているときに、いろいろな作品のことが頭をよぎった。
行って帰ってくる物語として、『千と千尋の神隠し』。『ブレイブ・ストーリー』。『オズの魔法使い』。映画ドラえもんシリーズ。
他者を受け入れる物語として、『新世紀エヴァンゲリオン』。
そして、理想郷の管理者から後を継いでほしいと託される話として、『レディ・プレイヤー1』。

レディ・プレイヤー1では、作中に出て来るバーチャルな世界に、ものすごい数の作品が詰め込まれている。
マリオ、スパイダーマン、ガンダム、シャイニング、タートルズ、バックトゥザフューチャー、等々等々。
ユーザーが好きなキャラクターの姿かたちになりきって暮らせる最高のバーチャル世界のある世界設定なのだ。
主人公は、その理想のバーチャル世界を、管理者から託される。
それがレディ・プレイヤー1のラストだ。

このレディ・プレイヤー1は、監督であるスティーブン・スピルバーグの遺言のような作品と評された。

たくさんの作品を作ってきたスピルバーグが、自分の作品群を誰かに託したいのか、それとも託したいわけではないのか、作中からは読み取れなかったが、なんらかの形で精算していという読みのできる作品であった。

そして『君たちはどう生きるか』は、レディ・プレイヤー1と同様に、いやそれ以上に遺言的に感じられる作品なのだ。

『君たちはどう生きるか』の作中には、スタジオジブリの別作品のセルフオマージュが数えきれないほど登場した。
湯婆婆みたいな女中。
トトロで見たような通路、森。
ポニョの海。
あの王様は、ムスカかカリオストロ伯爵か。
たぶん、逐一チェックしたら何十個とあるだろう。

このジブリワールドを、大叔父さんはマヒトに引き継いでほしいと頼んだ。

まずはそのまま引き継がせようとして、断られた。
そして、新しい石を使っていいからと言って頼んだが、また断られた。
最終的にこのジブリワールドは、崩壊する。

では、マヒトはなにも受け継がなかったのか、というと、実は1つだけ持ち帰っている。
小さな石を1つだけ持ち帰った。
この石があるとジブリワールドのことをうっすら覚えていられるが、たいした効果があるものではなくそのうち忘れてしまうらしい。

これをリアルに引き直すと、いままで宮崎駿監督が築き上げてきたジブリの世界はもう終わり、作品もそのうち忘れられていくということだ。

大叔父さんはこのジブリワールドが崩壊することを嫌がったが、映画の結論としては崩壊し忘れていくことを良しとするラストだった。

ということは、宮崎駿監督が言いたいのは、こういうことだ。

自分の作ったものなんかみんなもう忘れてしまっていい。
いつまでもありがたがってセルフパロディみたいなことを喜んでこすり続けるんじゃない。
作品のことは忘れたって、みんなジブリを通って成長したじゃないか。
忘れたってみんなの中に残っているんだ。
それでいいんだ。

これからのクリエイターたちは、宮崎駿をなぞることのないように。
これからの観客は、宮崎駿ワールドを求めすぎないように。


『私ニ学ブ者は死ス』

作中の墓を守る門に書いてあったとても尖ったメッセージだが、まさにいま書いたことを一言で表している。

君たちはどう生きるか。
私に学ぼうとせず、私の世界ばかりを追わず、独自の道を見つけなさい。

これこそが宮崎駿の裏のメッセージなのではないだろうか。
これが宮崎駿の遺言なのではないだろうか。



補足

・映画を1回だけ観て書いているのでセリフなどだいぶ不正確です。
・キリコさんの存在は謎でした。
 なぜあの世界に来たのかも不明。ヒミと同じ年代に帰る理由も不明。
・一番よかったシーンは、産屋の外についた場面。
 産屋の布の質感が圧倒的で目を奪われました。


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