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10年後の自分をビジュアル化してみると、良さそうな気がする

いろんな人の「将来」を聞くのが好きだ。誰かに会うと、今後どうするの?と聞いてばかりいる気がする。人の将来ヴィジョンを聞くと、自分の想像力が広がっていく。ヴィジョンは誇大妄想とか実現できそうにない夢とかでもいいし、今の延長線上のものでもいい。目の前にいる人の違う可能性が立ち現れてくるのが、とても面白い。

ライター仲間として知り合って友達になった堀香織さんが、6月に、京都の川端仁王門に日本酒サロン「粋」をオープンする。たったひとりで。東京でライター・編集者として長らく働いてきて、京都に越してきて日本酒Barをしたいんだよねって言って、日本酒Barあさくらで働いて経験を積んで、満を持してスタートなわけです。

いや、ほんと、客商売の経験は豊富だし、人をつなぐのが得意だし、あっという間に京都中に知り合いを増やしまくる彼女が日本酒サロンをやることに何の不安もないし、知り合ったときからやりたいと言っていたし、やりたいと言っているのを信じていなかったわけではないけれど、本当にやってしまうのだなあとしみじみ感慨深い。

ライターから日本酒サロンの店主へという人生は、他人から見たら、急にキュッと舵を切ったかのように見えるかもしれないけれど、彼女の中にはもうずっとお店に立ってお客さんに囲まれている絵が見えていて、そこに向かって突き進んでいたのだろうと思う。

わたしも文章を綴ったり、年表を作ったり、日記に書き散らしたりして、将来を考えてみることは、よくある。でも何だかそうやって文章で表した将来像は、何となくわたしを動かさない。文章は分析したり解きほぐしたりするのにはいいけれど、何もないところに最初のイメージを立ち上げるのには、向いていないのかもしれない。文字通り「ヴィジョン」が大事なのかもしれない。

写真を撮ってみるのもいいのかも。なりたい自分の「コスプレ」して、なりたい自分がふさわしい場所で、なりたい顔して、写真におさめてみたい。いろんな人とそれをやって、そういうシリーズの写真集とか作っても面白そう。「みんなの理想の10年後」なんてタイトルで。

締切に追われ過ぎて、そんなことをしている時間がないけれど、写真に撮るとしたらどんなシーンにするか、どんな服を着て、どんな小道具を持って…と考えるだけでも、わたしの理想の将来像ははっきりと見えてきた。

小説の賞をとって授賞式をしているところ。作家としてインタビューを受けているところ。対談しているところ。自分の作品が映画化されて舞台挨拶をしているところ、などなど、出てくるのは、小説家としてスポットが当たっているシーンばかり。逆にそれしかいらないというくらいにはっきりと、小説家としての場面だけだった。

子どものときから、ずっと、それを夢見てきたのに。どうして見えなくなってしまうのだろう。文章で表そうとするといろいろと言い訳が出てきて、逆に自分の望みがわからなくなるのかもしれない。

早くまっすぐ向かいたい。けれど、今抱えている仕事が終わらない。5月末には終われると思うけど、まだずるずるとかかりそうな気がする。

大学院を修了したとき、博士号は取得したけど、まだ論文にできていない実験途中のデータがあって、修了したあとも1年くらい居残りで実験して論文を書いていた。研究をやめて小説家を目指すことを決めたのだから、そんなことをする必要はなかったのかもしれないし、いつまでかかるのかわからなくて焦る気持ちもあったけれど、何とかもう1本、論文を出すことができたとき、これでようやく終われると思った。出せてよかったなと思う。

ライター業は続けるけれど、ブックライティング(ゴーストライター)は、今請け負っているものと約束しているもので、終わろうと思う。その時間を小説を書くために使いたい。

終わるのは断ち切るのとは少し違う。時間がかかる。修めるという言葉が似あうかもしれない。これまでやってきたことをしっかりとやりきって、その経験も次につなげて活かしていけるのが、理想の終わり方のような気がする。

終わらない原稿はない。10万字の道のりも1字から…!




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