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宝塚公演「うたかたの恋」を見た。

関西にいるのだから一度くらい、宝塚歌劇を見てみたい。そう思ってる人は、ちょっとあちこちで呟いてみてください。あなたの周りの意外なところに、宝塚ファンは潜んでいて、じゃあ行きますか?と、さらりと案内してくれるはずです。

一昨年、ずっと付き合いの長い仕事仲間が、宝塚ファンだと知って、宝塚デビューをして、3ヶ月に1回くらい見に行っている。そして気がつくと、わたしは周りから「宝塚ファン」認定されていた。

わたし程度でファンを名乗るのはおこがましいが、甘んじて受け入れよう。ゼロと経験者の間にははるかに高い壁があるのです。

そして今日は初めて、その壁の先の案内役になって、初めての人を連れて行った。宝塚っぽい演目がいいなら、これがおすすめと、宝塚ファンの友人からのアドバイスをもらい、チケットの取り方も教えてもらい、何から何までお世話になってようやく実現したのでした。

宝塚の舞台を見ていると、全員女性なのに、男役はちゃんと男に見えて、性別って何だろうといつも不思議に思う。生物としての性があって、その上に役割としての性がある。

わたしは普段、女役を演じているのだ、と思った。そして衣装や振る舞いを変えると、がらりと人間性が変わって見えるのを目の当たりにすると、演出次第でなりたい自分になることができそうだ、と思う。

ひかえめでしとやかに、とか。スマートでジェンダーレス、とか。仕事ができそう、とか。お金を持ってそう、とか、持ってなさそう、とか。元気いっぱい、とか。真面目そう、とか。何も考えてなさそう、とか。

選んで、それに合った服を着て、それに合ったふるまいをすれば、人からそう思われることができる。それなのに、なんで、しないんだろうな。

理由のひとつは、自分がどう見られたいのかの考えがないことだけど、もうひとつは、そんなふうに自分を演出したり、演出を考えたりすることが「悪いこと」のような気持ちがあるからかもしれない。嘘をついて演じているような。

でも、演じること=嘘をつくこと、ではないはずなのにな。他人によく思われたいから、という理由で、演出方針を決めたら、自分に嘘をついていることになって嫌なのかもしれない。成りたい自分をはっきり持って、それに近づけるように演出するのなら、いいのかも。

自分をどう演出するか問題は、HPどうするか問題につながっている。結局、わたしが見せられるもの、見せるべきものは、作品や仕事の履歴のリストではなく、何を感じ何を考えているかという言葉なのではないかと思った。

このnoteがその役割を果たしている。ここはみんなが歩きすぎる雑踏だと思う。わたしはこの日記を書くことで、同じ場所に座り続け、路上ライブをしている。HPという素敵な建物を建てて訪問者を待つよりも、なんだか、しっくりきている。

〈本日の小説活動〉
宝塚歌劇「うたかたの恋」を見た。何度も上演されている演目。これぞ宝塚という感じで、とてもよかった。

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