【短編小説】みーこそっくり (2/2)

「みーこ……いや、ミカエルが」
「みーこでいいですよ。なんだか嬉しいです。愛称がついて」
 作者にそう言われると恐縮してしまう。しかし今更引っ込めるわけにはいかない。
「はい、では、みーこが真っ黒な姿を生かして黒い景色の中にまぎれて、敵から隠れるシーンがありますよね。あのシーンとっても好きなんです。それで、そこは見開きで絵だけのページにしたらどうかなと思いました」
「真っ黒なページですか?」
「はい。でもよくよく見たら、ちゃんとみーこがいるんです。子どもたちがみーこを探して遊べるページにしたいな」
「そんなことできるんですか?」
 まちが嬉しそうに言った。とたんに圭介は不安になって片岡に向き直った。
「そんなことできる?」
「できる。やろう」
「やったー。さすが片岡さん」
「では、これで、進めていきます。よろしくお願いします」
 圭介が言うと、まちは
「こちらこそよろしくお願いします」
 と、ソファーに座ったまま深々と頭を下げた。それから、冷めたコーヒーを飲み干すと、ちょっと遠慮がちに切り出した。
「来た時からずっと気になってたんですが、この部屋、本当に素敵ですね」
「そうでしょう?」
 と答えたのは、圭介ではなく片岡だ。まるで部屋の主のような口ぶりだ。
「日曜日におうちに押しかけて申し訳ないと思ったんですが、片岡さんが、一度でいいから、ケースケさんの家をぜひ見てほしいって言うから、好奇心が湧いて、ずうずうしく来ちゃいました。本当に来てよかったです。会議室や、喫茶店だったら、こんなふうにアイデアが湧かなかったかも」
「創作のヒントになるでしょう?」
 これも片岡だ。いったい誰の家だと思っているんだ、と圭介は腹の中で毒づく。
「なりました。この部屋にいると、どこかからミカエルが出てきそう。それに、ケースケさんの絵がここから生まれるんだって思ったら感激して……」
 今まで遠慮していたのか、まちは部屋のあちこちを楽しそうに眺めはじめた。
「どうやってこんなに素敵なものばかり集められるんですか?」
 片岡はこの問いには答えない。答えられるくせに、ここは圭介のターンなのだ。
「全部、妻の趣味なんです」
 圭介が告白すると、まちが目を見開いた。
「意外でした。ケースケさんにすごく似合った部屋だったから、ケースケさんの趣味かと……」
 きょとんとしているまちの横で、片岡が笑い始めた。圭介はため息をついた。「創作のヒント」を提供しろということだろう。
「ここにある家具のほとんどは、結婚前に妻が買ったものなんです。妻にはずっと思い描いていた理想の部屋があって、それをいつか実現させるために、コツコツお金を貯めて家具を買い集めていたんです。でも、肝心な何かが足りないと思っていたときに、ちょうど僕に出会ったそうです」
「どういうことですか?」
 まちが首を傾げた。説明の続きは片岡が引き取った。
「つまりこいつも、まちさんがいま座っているソファーや、この趣味のいいテーブルと同じように、奥さんに選ばれて運び込まれてきたんだ。理想の部屋にぴったりだということで」
「部屋に合ってるから選ばれたんですか?」
「そうなんだよ。だから、こいつが部屋に合ってるのも含めて奥さんのセンスなんだ」
 まちは、ため息をついた。あきれているのか、感心しているのかわからない。片岡は笑っている。これを披露した時の相手の反応を見るのが、片岡の楽しみなのだ。
 中学校から一緒にいる片岡は、圭介が今まで暮らした部屋をすべて知っていた。中学、高校、大学、独身時代・どの部屋にも何のこだわりもなかった。だから、結婚後、この新居に招かれたときに、これが圭介のセンスで作られたものではないことはすぐにわかった。それで問い詰めたら、件の事情が判明したわけだ。以来、この話は片岡の持ちネタのひとつになっている。
「本当に、似合ってますよ。この部屋、ケースケさんに」
 と、まちは言った。
「そうですか? 自分ではよくわかりませんが」
「確かに、似合っている。前よりも今の方が似合ってる。だんだん似合ってきている気がするよ」
 と、片岡は言った。

 ふたりを見送った圭介は、無事に打ち合わせが終わったことにほっとしてソファーに深々と体を沈めた。
 だんだん似合ってきているという片岡の評は当たっているかもしれない、と、圭介は思った。この部屋で過ごすようになって、圭介は、昔やめた絵を再び描くようになったからだ。会社と家を往復するだけの人生だと思っていたのに、こんなわくわくした時間をもてるようになるなんて、ゆかりと出会う前は想像もできなかった。
「さあ、仕上げだ。これからよろしくな、みーこ」
 ラフスケッチに話しかける。
 そのとき、ドアがガチャリと開いた。
 空いたドアの隙間から、ゆかりが顔を出す。アンティーク家具屋で働いているゆかりは、今は勤務時間のはずだ。どうしたのだろう。
「ちょっと忘れ物を取りに帰ったの。すぐ出る」
「そう。でもコーヒーくらい飲んでいけば? 淹れるよ」
 圭介がソファーから腰を浮かせると、すかさず、
「いいからそのまま、そのまま」
 と、ゆかりが言った。
 再びソファーにおさまった圭介を、ゆかりはドアの外からしみじみと眺める。
「ああ、いい部屋。癒される」
 満足そうにつぶやくと、ゆかりはバタバタと去っていった。

〈了〉

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