心の動きを書けていない失敗パターン

 大好きな食べ物が目の前にあるとします。その時のあなたの感情を言葉にしてみてください。そんな課題を出したとき、一番に出てくる代表的な失敗パターンが「おいしそう」と書いてしまうことです。


 さらに自分の体の状態を書く人もいます。「唾が湧いてきた」「お腹が鳴った」。もうひとつの失敗パターンはセリフを書いてしまうことです。「ああ、ようやく食べられる」とか。


 なぜこれらが失敗なのか、ひとつひとつ見ていきます。


 大好きな食べ物が目の前にあれば「おいしそう」という気持ちが湧いてきますよね。これがなぜ感情を表す言葉ではないのか。ある意味、気持ちを表す言葉ではあるので、ちょっとややこしいのですが、おいしそうという言葉だけでは、読んだ人は書き手の気持ちはわからないのです。

 たとえば、それが亡き母の残したレシピを再現した料理だったとします。そのときの「おいしそう」には、なつかしさと悲しみが潜んでいるかもしれません。一方、一時間並んでようやく食べることができた話題の人気店で期待通りの料理が出てきたときの「おいしそう」は、興奮と期待の最高潮の感情から発せられているでしょう。また、見栄ばかり張ってでも中身が空っぽなことがわかってきた相手とのデートで出されたフルコース。料理に罪はないから「おいしそう」だけれど料理がおいしければおいしいほど、相手に対して冷え冷えとしたうんざりした気持ちが湧くかもしれません。ここに登場した人たちはみんな「おいしそう」と思っています。でも、全員全く違う心の動きをしていますし、その心の動きこそが味わい深いのです。


 感情は脳内に化学物質が放出されることで作られます。興奮したり、幸せな気持ちになったり、夢中になったり、恐怖を感じたりという感情は生きるためにあるのです。いちいち頭で考えていたら間に合わない状況や、反射だけでは対応できない複雑な状況に対応するための信号なのです。感情に支配されて、生物は逃げたり警戒したり、仲間と協力したり、子どもを作ったりなど、生きるための行動に駆り立てられます。感情というのはれっきとした実在するものなのです。でもそれは、くっきりと区別できない体の感覚です。人間はそれに名前をつけて区分をして外に取り出す作業をしているのです。これをワインソムリエのように体で感じて想像力で言葉に直すということを繊細にやってのけることができたら、味わい深いエッセイを書くことができます。

 何かに出会ったとき、無意識に感情が湧きます。そしてわたしたちは何かを思ったり、何かを思う前に行動をしたりします。本当にわずかな時間です。「おいしそう」というのは、この工程の最終出力段階で、エッセイを書くときにはもうひとつ前に戻って、湧いてきた感情そのものを観察して言葉にしてほしいのです。

 そのためには、自分の感情を表す言葉と、対象を描写する言葉を分けて考えられるようになると、心の動きが書きやすくなります。書いた言葉が対象を描写する言葉になっていたら、その前段階の感情を表すことができていません。その時どんな気持だったかとさらに自分に問い直す必要があります。
・おいしい
・美しい
・かわいい
・難しい
 これらはすべて「対象」を表す言葉です。美しいという思いの底には、美しくて悲しい、美しくてテンションが上がる、美しくて悔しいなど、いろいろな感情が考えられるでしょう。ほかも同様です。こういう言葉を書いてしまったときは、「で?どんな気持ち?」と自分に質問します(講座のときにはわたしに突っ込まれます)。ただし、中には感情を表す言葉か、対象を描写するものかわかりにくいものもありますので、厳密な区別に悩まず、一つの目安として考えてみてください。

 体の状態を書いてしまったときは、そのときの気持ちはどうなっているのか、改めて自分に問い直してください。「唾が湧いた」「お腹が鳴った」状態は、期待感に満ちて待ち遠しい気持ちかもしれませんし、お預けを食らわせれてじれったくてイライラしている気持ちかもしれません。どういう気持ちになるかで、書き手の個性が見えてきますよね。


 セリフを書いてしまう人は要注意です。「おいしそうだなあ、ようやく食べられるなあ」と、すらすら書いてしまうとその奥底にある気持ちを見つめるステップを飛ばしてしまうからです。言語化する前の気持ち、セリフとして言葉になる前の感情に注目して、やっぱり「で? どんな気持ち? 快?不快?」とさらに自分に質問して、感情を表す言葉をひとつでもいいので拾い上げてください。ひとつ拾い上げられたら、ふたつ、三つと増やしてみてください。


 感情を言葉にするという作業はとてもじれったいものです。しかも、出てきた言葉は小学生みたいに素朴で単純なものなので、文章を書くことに自信がある人には、なんでこんな小学生みたいなことをしなくてはいけないのかとイライラして飛ばしてしまいたくなると思います。でも、すらすら文章を書いてしまう人ほど、このステップを大事にしてほしいのです。書けてしまうと自分の心を見つめなくなってしまうからです。


 自分の感情を言葉にしようとした途端、どんなに文章が上手い人でも(わたしでも)ぴたりと筆が止まります。それはとても不愉快な時間です。うまくいかなくてイライラします。車で気持ちよくドライブしていたのに、外に放り出されて自力でこの崖に登って、と言われたようなものです。でもそれに耐えて自分の筋肉と頭を使って何とか登り切ったとき、初めて見える景色があります。それは、車から降りないと見れないのです。


 苦労して出てきたそれは「悔しかった」とか「さみしかった」のように、たわいのない言葉です。小学生でも知っている普通の言葉です。でも、そのシチュエーションでそんなふうに感じていたことは、あなた自身も知らなかった発見です。伝えるべき価値があります。ここを出発点にしてほしいのです。「悔しかった」という言葉をそのまま書いても充分面白いのですが、そのまま書くのが嫌なら別の表現で大人っぽく書いてもいいでしょう。技術を尽くしてください。でも、技術は書くべきものがあってこその、技術です。真心のない形だけのもてなしを受けて嬉しい人はいません。

 たったひとこと、感情を表す言葉が入るだけでも文章はまるで違ってきます。生き生きします。対象を表す言葉ばかりになっていないか、情報の羅列になっていないかを見直して、一か所でもいいから、その時どんな気持ちだったのかを時間をかけて想像し、言葉を見つけ出してみましょう。とたんにその部分の文章が輝くのが分かると思います。

 エッセイは心と心がつながる文章ジャンルだとわたしは考えています。まずは、書き手であるあなたが自分の心と真摯に向き合うことが大事なのです。車から降りてね。大変だけど。

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京都在住の小説家です。医学(博士)です。理系ライターもやっています。

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コメント1件

昨日エイリアンを見まして「これは人の感情について書かれた物語だ!」思ったところなので、この記事はとても心に刺さりました。
私はどちらかというと、右脳人間で感情をすっ飛ばす方なので、訓練しようと思います!
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