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入院中に見ていたもの

ギラン・バレー症候群で入院中、見ていたもの

病室の天井がダントツだけど、
2番は点滴が1滴ずつ落ちていく様子。

その次は経鼻経管栄養。
鼻から通した管を通じて胃に栄養が送られる。
栄養剤が少しずつ減っていくのを見ていた。

天井以外に見るものが珍しくて
寝たきりで光にも弱くなって、外の景色は見られないし
その単調な感じが、ボーッと見ているには良かった。

特に点滴は飽きもせず眺めていた。

IVIgと言われる、血液製剤を点滴する治療の時
私は自分の体のありとあらゆるところで
ギラン・バレーと体の内部で闘っているなと
感じる程体力がなかった。

自分の命を繋ぐために、体の中で
ありとあらゆることをやってくれてるんだな。

その感覚は初めてだったし、頑張る体内の為に
意識側が活動を控えようとしている感覚だった。
本当なら治療についてや、今後のことも考えるのだろうけど
全くそんな余裕はなく、頭の中が空っぽになって
毎日人と接している時間以外は、無の境地だった。

そんな時、目に入ったのが点滴だった。
IVIg以外でも、自分で水を飲むことが出来ないのもあってか
点滴はずっとされていた。

だから喉乾いたと感じる事も少なかったけど、
尿を出すために、水を飲むように言われていたので
看護師さんが来てくれた時に水を飲ませてもらい
体勢を変えてもらって、また無になる。

合間は点滴が落ちるのを眺めて過ごし、
食事の時は、栄養が体内に入っていくのを見ている。

あれだけ何も考えなかった時期は他にはない。

その内、体力が少しずつ戻ってくると、
急に何も考えられないことが不安になった。
こうしたい、こうなりたいも、何もない。
ただ、されるがままに食事や水分を摂り、
身体を拭いてもらい、合間は眠りにつく。

すぐ後の未来も考えられなかったし
自分がどうなっていくのかなんて思うのも怖かった。

だって動けないんだから。
頭の中は病気になる前のままなのに
私は今、動けないんだから。

考えたって無駄じゃないか。
動けないのに。
何も自分で出来ないのに、何を思えばいいんだ。

体力は戻って来ても、メンタルは落ち込んだ。
むしろ、治療が進むにつれ、落ち込んでいった。
自分の状況を分かってしまったから。
何も出来ないんだ、と思い知らされた。

また、点滴を眺める日々が続いた。
口から食事を摂る様になったら、
更に人にやってもらうことが増えただけで
自分も苦しさが増えただけだった。

また、栄養が通っていくのを見たい。
経鼻経管栄養に戻して欲しい。
してもらっている事を思い知らされるのが
単につらかったんだと思う。

天井と、点滴と、栄養と。
私の世界はそれだけで出来ていた。
それが急性期病院での私だった。

もう少しなんかあるだろうと思うのだけど、
どうやら封じ込めてしまったらしく、
それしか浮かばない。

なので、急性期病院時期について聞かれるのが
実は一番困る。
話す方も聞く方も、なんとも言えない気持ちになる
そんな話しかなくて。

素で話したら、恐らく泣いてしまうから
たいてい、泣かずに済む話になる。
もう5年近く前なのに、まだ駄目なのかと
我ながら思う、急性期病院時期の自分。

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