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急性疾患、そういうことか。

ニューロパチー??

ギラン・バレー症候群は、「急性免疫性ニューロパチー」の
代表的な疾患と言われています。

自分で病気について調べられるようになって出て来た時、
「急性免疫性ニューロパチーってなんだ??」と
最初に思いました。意味の想像すらつかなくて。

(疾患・用語編) 免疫性ニューロパチー
 「免疫性ニューロパチー」とは、何らかの免疫反応が末梢神経に対して生じることによって発症するニューロパチー(末梢神経障害)です。
免疫介在性ニューロパチーとも言います。
多くの場合、体内の免疫細胞(リンパ球、マクロファージなど)、
あるいは免疫細胞によって産生された自己抗体が、タンパク質、糖脂質などの末梢神経成分を攻撃し、機能不全を起こすことによって生じると考えられています。急性、亜急性、慢性に発症するタイプがあり、症状としては四肢遠位から始まるしびれ、筋力低下が最も多く、診断に有用な検査として、
脳脊髄液検査、神経伝導検査、血清自己抗体測定、膠原病や悪性疾患の
有無、Mタンパク血症の有無に関する検査、神経生検などがあります。

(一般社団法人 日本神経学会「脳神経内科の主な病気(疾患・用語編)」より引用)

日本語の方が、断然分かりやすいニューロパチー。

ニューロパチーって、「末梢神経障害」って意味だったのか・・。
いやいや、「免疫性末梢神経障害」でよくない?
その方が断然分かりやすいんだけど、と思いました。

ちなみに、ニューロパチーは、「Neuropathy」と綴るそうで、
発症から5年近く経っても、全く覚えられていません。

とりあえず、末梢神経を自分の免疫が攻撃してしまい、
神経が傷ついて手足が動かなくなったのだと理解は出来ました。
そして、難病の1つで、急性疾患であることも。

急性なんだったら、意外と・・?

急性疾患について、私は次のように考えていました。
「急に症状が進むけど、短い期間で治る病気」
確かに、前半は合っているというか、そうなのでしょうけど
後半はかなりイメージと違っていると知ります。

主治医曰く、「急激に発症して、経過の短い病気」。
つまり、症状の重さは別物ということ。

ビックリしました。そうなの?と。
じゃあ重い急性疾患もあるってこと、か。

考えてみれば、急性心筋梗塞、急性心不全等
決して私が急性に持っていたイメージとは
かけ離れた病気はたくさんあります。

でも、急性免疫性ニューロパチーの代表とされる
ギラン・バレー症候群のことを聞いた時、
私は聞いたことのない病名と、寝返りも打てない現実と
考えたくなくても色々考えてしまう、唯一変わらなかった
意識部分が混ざり合って、そう思いたかったんだと
今更ですが、思います。

4週間ほど経って、確かに治まって来た、けど。

混乱しながらも、ギラン・バレー症候群が回復に向かうとされる
4週ほどが経ちました。

症状が進むにつれ、元気だったはずの意識部分も、
大変なことが起きている身体に遠慮してか、大人しくなって。
正直に言うと、何もかも周りにしてもらわないといけない
生活の1つ1つが辛くて、忘れたくて、考えたくなくて
何にも感じなく、考えなくしていたように思います。

でもその4週目を過ぎた頃、少しずつ意識部分がまた
余計なことを考えようとし始めるのです。

「治まって来た?ならば・・」

もしかして、良くなっていくんじゃないか。
だって急性なんだし。

今は急になぜそうなったと思うのですが、
当時は必至で、真剣にそう思っていました。
朝起きたら、普通に体が動いたりして。
ベッドから、飛び起きちゃったりして。

そんな奇跡は当然起こるはずもなく、
私は翌日も、その次の日も寝たきりでした。
ナースコールが押せずに、看護師さんを叫んで呼び、
「待っててね」と言われじっと待つ。

急性って言ったのに。
自分では拭えない涙がボロボロ出ました。
治らないじゃないか。急性じゃないのか。

毎日毎日、「動く様に念じながら動かそうとしてみて」
と言われた療法士の言葉を信じて、神経に念じる日々が続きました。
少しずつ反応しそうな気配がしてきて、動く部分も少しずつ
増えていきました。

そのうち、回復期とされる半年が過ぎました。
病院から退院時期を決める様に言われて退院。
リハビリに通ったり1年位はしましたが、今は全く。
自己管理でリハビリする日々が続いています。

変化があって相談したいと思うのですが、
感染症の事も有り、遠慮している内に言いづらく。
急性だし、もう治療とかおわってるし、ね。
周りはそういいますが、自分はまだそうは思えない。

「これでいいかな」と思うのは、あくまで自分。

もう少し頑張りたい。
治療は終わっているかもしれないけど。
リハビリも自分でやってる感じだけど、諦めたくない。
そういう話をした時、オンラインサロンに来ていた人に言われました。

「貴女の身体なんだから、それでいいと思う。
    お互いまだまだ続けていこうね」

嬉しかったです。諦めなくていいんだって。
その時の感激がきっかけで、話す場を増やしたいと思いました。

そして何年もかかって、全く反応がなかった口の右側に
何となく感覚が戻りそうな感覚が。

やっぱり頑張ってみよう。また想いを新たにしました。

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