041 大人しい大人
何か「いい」としているものごとがある。
それには何らかの理由をつけている。
それで間違いない絶対と扱っている。
その何かとは自分自身以外のものごとである。
「いい」とするのは、その方向をいいとすることである。
何かを自分自身より「いい」とすることである。
何かを自分の上に置くことである。
何かに屈していることでもある。
すべての「いい」は従属なのである。
すべての「わるい」は反従属である。
反従属とは従属の一種である。
「いい」も「わるい」も対象に対する従属である。
しかし、「いい」とは、まだ完全に従属していない状態でもある。
それがまだ自然な状態でないということである。
あって当然の物事としていなのである。
そこにはほんのごくわずかな躊躇(ちゅうちょ)がある。
それは、まだちょっと疑問に思っている状態なのである。
まだまだ心底、納得していないのである。
本当は見直してみたいと思っているのである。
何かを自分自身より上に置いて気分が「いい」はずはないのだから。
深層は従属しているものから一旦、距離をとりたいのである。
従属から独立した見方をしてみたいのである。
その要求に応えるには、一旦、枠の外に出て枠を見るしかないのである。
その見立てができれば、新たな従属と独立のバランスが取れるのである。
「いい」と思ったら、それ相応の「わるい」面を考える。
「わるい」と思ったら、それ相応の「いい」面を考える。
そう心構えをすると、是非がなくなる。
はっきりとした意見が無くなり、大人しくなるのである。
大人しくなった人を大人と呼んだ。
少し前の大人の常識である。
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