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#02 なぜ市議会議員になったのか。

「なんでまた会社も辞めて大変な政治家を目指そうと思ったのか」。

私の場合、
2014年に増田寛也さんが出された「地方消滅」という、
通称「増田レポート」がきっかけの一つでした。
「2040年に全国約900にものぼる自治体が消滅しかねない」
という衝撃的なものでした。
石川県内にある19市町の内、5市4町が消滅可能性都市とされていました。
(加賀市・七尾市・輪島市・珠洲市・羽咋市・志賀町・宝達志水町・穴水町・能登町)
このままでは、大切な故郷石川県の街が無くっていく!?

30歳になる年、
東京から12年ぶりに金沢へUターンした私は、かなりの故郷不足でした。
地元で人脈を作りたいと、金沢市に本社を置く広告代理店の日本エージェンシーに就職し、お世話になっていました。
「能登の花嫁」という映画のスピンオフ企画として、能登の女性に光をあてたまちづくり企画の担当となり、能登にも通っていました。
能登は自然が溢れ、素敵な人たちばかりで、風土よし、人よし。
これまで金沢しか知らなかった私は、能登の大ファンになっていきました。
しかし、どの商店街を歩いても、キーパーソンと話をしても、
人口減少や、子供たちを含めた地域の担い手不足が深刻な課題でした。
そんな声を直に聴き、現実を目の当たりにしていたからこそ、
そのレポートに記された未来は決して離れていないと確信もしていました。

金沢は能登や加賀からの修学・就労による人口流入で人口を維持していますので、その能登や加賀から特に若年層や生産年齢人口が減っていけば、自然と金沢も減少や衰退に向かいます。
そのこともあり、政治に、まちづくりに強い興味を持つようになりました。

それからは政治家やまちづくりの勉強会に参加するようになりました。
より金沢市政が身近になっていく中で、
当時の金沢市議会には、30代の若い市議も数名いましたが、
議会全体の高齢化感を強く感じていました。

そんなに遠くない2040年の未来に対し、
長期目線で子供たちや次世代のためにも、
責任を持って仕事をしてくれている市議がどれくらいいるのだろうか。
そんな想いに駆られているところ、
金沢市議会議員の補欠選挙があることを知りました。

今は「情熱」しかないかもしれない。
でも、首都圏で12年間過ごした様々な経験を活かせれないか。
外から金沢を見れる一人として若い世代の声を反映していけないか。

よし、自分でやってみたい、挑戦したい!

その想いは、日に日に高まり、私を行動に移させました。
結果、今日現在も市議として活動できています。
あの時、一歩踏み出せた31歳の私は、
まさに多くの人たちに支えられての挑戦でした。