見出し画像

遺書

 30歳、新卒で入った大企業に8年だか所属して、ある日突然衝動的にやめた。夏になるまであと少し、梅雨があけるのが待ち遠しいだなんて無駄口を叩きあう同僚を背に、有給休暇を全部消費して、公休と合わせて、退職届を出してから一週間も経たないうちに最終出勤日を迎えた。

 「次の会社は決まっているの?」

 同僚の女に訊かれて、決まってないねと歌うように他人事のように答えると、じゃあ起業?と馴れ馴れしく続けるので何も言わずに無視をした。デスクまで出張ってきて送別会いつがいい?と言った上司には来週には最終出勤日ですから調整できないでしょうし結構ですよと断った。

 感じのいい会社だった。感じのいい、余裕のある人たちが、余裕のある会社の中で、分厚い窓ガラスで泥臭い世界から隔離されて温室培養されている。仕事なんてやってもやらなくても昇給するし、終業時刻のずっと前からみんな夜ご飯のことや飲み会のこと、ジムやピラティスだのと考えている。

 それではお世話になりました。僕の声が17時30分のオフィスに小さく、しかしながら、はっきりと響いた。椅子の肘掛けを下までおろしてデスクの奥まで入れるとウォーターサーバーの入れ替えにやってきた業者のようにそそくさと出口に向かった。

「先輩8年間お疲れ様でした」

 誰かが僕の背中に向かって言うと、何人かが拍手をしはじめた。なんて感じのいい会社なんだろう。でも同時に、こんなときでも「ああ、手が痛くなってしまうだろうから早く出ないと」なんて思ってしまって、後ろを振り向かずさっきよりずっと早歩きでドアに向かうと、少し床の絨毯に足を取られて躓いて、一瞬「あっ」という声が聞こえた。

 それから2日間、荷物をまとめては実家に送って過ごした。社宅を出てここに引っ越した時に使った大きめのダンボールたった4つ。送料は5000円だかそれくらいのものだ。これが僕が東京で過ごした8年間の全て。ダンボール4つで収まる。荷物が何もなくなった部屋の真ん中から夕方になりそうな外を眺める。はじめてここに入居した日の逆再生をしている。ただ違うのは僕はもうあの日の自分には戻れないということだ。不可逆過程のように、熱量が東京という何もない街に奪われていって、等温になって、抜け殻になった。

 番町の狭い1DKから見える特に見るものもない景色が、僕のたかが知れた人生を嘲笑っているように見えた。変な間取りの部屋。ちょうど邪魔なところにでっぱりがある。だから安いんだったね。しみじみと、もうこの部屋にうんざりしていたと感じる。

 「ねえ、遠距離になるってこと?」
 電話越しの彼女は困惑していた。全部が面倒になって衝動的に電話を切った。さようなら、僕のような人間にもう期待をしないで下さい。そうメッセージを送ると2度着信があって、それから分かったとだけ返信がきた。

 さようなら、僕にはあなたを幸せにすることができません。経済力や将来性みたいなものは僕たち平民の中の優秀層にとってまるっきり会社に依存したもので、そういう意味では僕には世間一般の普通の人が望む未来があったかもしれません。しかし、僕は僕を僕たらしめるはずのアイデンティティである会社をやめました。何かに依存することに疲れたのかもしれません。

 僕が新大阪に向かう新幹線の中で丁寧に送ったメッセージに既読がつくことはついになかったけれど、それでいい。

 京都に帰ると実家に寄ることもなくホテルで過ごした。27平米の部屋にダブルベッドがひとつ。愛着のあるはずの慣れ親しんだ部屋よりぐっすりと眠れた。朝早くに起きて熱めのお風呂に入って、朝から白ワインを飲んでは遺書を綴り続けた。

 なぜ「自分がもうこの人生を生きたくない」と考えたのか、それを言語化することで何か変わるかもしれないと考えたのだろうか。自分のすることなのに銀河系の外のことより分からない。ただ一つだけはっきりとわかっていることがある。僕は、”なにかに依存していることが不愉快でたまらない”ということだ。小学生の頃から勉強に依存して、大学では性や愛に依存して、傷つき、社会人になってからは会社に依存して、振り返ると本当の自分なんてものはとうの昔に見失って、それか諦めて置いてけぼりにしてしまっていたのだろう。

 ダンボール4つで収まってしまうような自分の中身の無さ。SaaSがインターネットを必要とするように、僕という存在は会社や他者に依存して初めて成立している。そんな自分の人生の儚さと、つまらなさに辟易とする。

 どうして「自分がもうこの人生を生きたくない」のか、その理由はもしかしたら大学にあるのかもしれない。思い立つと惜しげもなくタクシーを使って百万遍に降り立った。変わらないようですっかり別の何かに変わってしまった場所。見たことのない建物が立っていて、立て看もなくすっきりした寂しい、ただのよくある交差点。あの日の吉田にそびえ立った看板たちは広告物という記号を超えたアイデンティティの領域にまで手を伸ばし影響を与えていた。なくなればただの電話ボックスがある道、壁でしかない。

 当たり前の話だけれど、北部キャンパスにも、中央にも、吉田南にも僕の居場所はない。僕がいたことを知っている人もいないのに、途切れることなくあの日の僕のような人たちが再生産され続けている。青春をして、勉強をして、限りなく多いように見えて”あまりにも少ない選択肢”をえらぶことになる4年だか6年だかの日々。それなりの人生を過ごし死ぬために生きるための、社会に似せて作られた箱庭に成り下がった場所。

 大学の同期が自殺した時に、「いい選択をしたな」と言った僕を白い目で見た女を思い出す。私変わっているからといつも言っていた君が25歳で5つも年上の商社マンと結婚をして二人の子供を晴海のタワーマンションで普通に育てている。変わっていた君はどこに消失したのだろう。あるいは昇華とでも言ったら満足してくれるのだろうか。

 最後にと僕が学部に入学するずっと前からある古書店に入った。冥土の土産に先に逝ったあいつの好きだった本でも買ってやろうと思ったけれど、一向に何が好きだったのか思い出せない。哲学専修なのだから若きウェルテルの悩みでも買ったらいいだろうと思って本棚を上に下に、左に横に目を走らせる。相変わらず小汚い本屋で、ここにいるだけでくしゃみが出そうになりやがる。

 ふと目についた本に手を伸ばす。見覚えがある。椎名誠の「水域」。主人公のハルが陸のなくなった水上世界で生きていく話だ。ああ、間違いない。同じのを持っていた。あまりにも汚いから捨ててしまったけれど。そうそう、こういうところが破れていて。

「あっ」

126ページに書き込まれた文字を見て声をあげてしまった。

”○○ 面接 4月5日 金曜 10時 東京”

 本を読んでいる時に会社から電話が着て、それでメモがなかったものだから仕方なくここに書いたような記憶がある。白かったハードカバーはあの時よりもくすんでいる。もともとはもう少し綺麗だったはずだが。

 本をあらゆる角度から眺めて、それでついに僕は、これが紛れもなく僕の本だと理解した。そうだ、捨てる代わりに引き取ってもらった大量の本の中の一冊だ。それが、それが8年もずっとこの本棚に残っていたのか。

 気づくと僕はそれを購入して、本屋を出た。ホテルに戻って、遺書を書き終える前にもう一度読みたいと思い、一気に全てを読み通した。

 放心状態のように、全身の力が抜けているのに、それでいて膿が全て出ていったように体が軽い。ハルは小さな頃に全てを失い、船の上で一人、誰も信じないことで生き抜いてきた。だけれども人を愛することを知って、そして大切な人を失ったのに、だからこそ全力で生き抜いていくことを決めたのだったな。

 「君は、いつか僕がこうやって君のもとに帰ってくることを知っていて、それであの本棚でずっと待っていたのか」

 本に向かって言うと、しばらくして突然おかしくなって僕はひとりで笑いはじめた。いや正確には笑いながら泣いていた。

 「あーあ。もうやめだやめだ。本当に面倒くさい。そういえば死ぬ方法も場所も時期も、なんでもかんでも面倒くさいよ。なんだかやりたいことが次から次にわいて出てきた。死んでいる場合ではないな」

 そう独り言をいうと、机の上に丁寧におかれた遺書を掴んでくしゃくしゃに丸めるとゴミ箱に捨て、散らかした荷物をキャリーケースに詰め込んでチェックアウトの準備をした。どうにもこうにも、久しぶりに実家の飯を食べたくなったので。

お気持ちだけで結構です。ありがとうございます。