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今治の風に吹かれて(雑記)

2024年3月16日、SUNABACO今治さん主催のトークイベントに登壇して、持ち時間70分のところを超大幅に過ぎて、それはもう遥か彼方に置き去ってしまい、たぶん2時間以上話してしまいました。

準備したスライドは45枚。何回通しでリハをしても2時間を超えることが分かったのが登壇1週間前くらい。そこで僕がとった選択は、「まあ、始めてしまったら止められないだろうし、出番も最後だし、誰かに怒られるまでやろうかな」でした。

もちろん、SUNABACO今治のスタッフさんたちは社員で、与えられた仕事としてやっているだろうから、大幅に時間が超過することを嬉しく思わない人もいるかもしれないし、登壇のあとに親睦会が予定されていたことも理解していたから、お店の時間的な都合があることも分かっていた。

それでもなんだろう、「俺が怒られたり、嫌われたりするくらいのことを嫌がって話したいことを話さなかったり、せっかく来てくれた人達に伝えきれれないなんてことはありえないな」が圧倒的に勝っちゃうんですよね。すごい勝手な予測ですけど主催企業のトップである中村さんと若林さんは止めないだろうし、死ぬ気で後ろの時間調整をしてくれるだろうと信じていました。

僕の前に登壇した社長の言葉じゃないですけど、僕も基本こういう時は事後報告です。どういう時かというと、「多くの人がそうしたほうが利益があると考えているけど、公式に相談されると無視もできず否決される可能性がある」時です。京大の酒井敏教授が昔、「絶対やった方が良いのに許可取りをしにいったら否決されることが大学にはよくある。職員も”聞いてくれるな、勝手にやれよ”って思ってるよ。多くの人がそうした方がいいよってことは事後報告でいいの」と言っていたので、そのようにしている。

結果として、誰かに怒られたり嫌われたりするのは僕なので、そこはもういいかなということでワガママを押し通しました。

DMやメールで感謝の言葉や謝罪を述べるのは僕の流儀ではないので、このnoteで発信することをもって感謝/謝罪の言葉とさせてください。あとシンプルに謝るのが好きじゃないです笑 謝るくらいなら、もっと大きな利益がでるように貢献したいですからね。

自己中で他人のことをほぼ考えられない自分のために長時間死ぬ気で動き回ってくれた皆様、本当にありがとうございます。


SUNABACOは不思議な魅力が詰まっている場所です。
完全に外側から見ると、たぶん何言ってるのかよくわからないプログラミングスクールで宗教?みたいになるかもしれないです。

そこで働いているスタッフに関しても、じゃあ僕が経験してきた企業群の中にいる東大や京大、早慶、一橋あたりを卒業した人達と比較したら見劣りします。もちろん、ビジネス全体の能力で言えば、まだ僕に勝てる人もいないと思います。

でも楽しそうで活き活きしてるし、なにより彼ら彼女らの仕事は強制されてできることじゃないんですよね。他の登壇者が話している時に、僕はお客さんとSUNABACOスタッフのことばかり見ていました。登壇者のマイクの音が少し変わるだけで右に左に走り回る、照明の具合を常に気にする、あらゆるわずかな変化をいち早くキャッチしようとしている。当事者意識が本当に強いんです。じゃないとあの速さで反応して、それを続けることはできないでしょう。

一通り確認した後、僕は登壇の前にSUNABACOの近隣を歩いて回って、今治の方々に「SUNABACOの評判」を聞いて回りました。どれだけ内輪に向けていいことを言っても地場に代々住む人達の言葉が本当の評価ですからね。

SUNABACO今治のすぐ近くでセレクトショップをやられているTEXAS PART1(読みはぱーといち、らしい)の店主のお母さんはSUNABACOのことを知っていた。広報誌で読んだからというのもあるが、はっきりと認知したのがプログラミングスクール受講生の人に駐車場を2ヶ月ほど借りれないか相談された時だそうだ。

「なんか楽しそうでね。礼儀ただしいよ、あそこにいる人達ね」

こうして僕は登壇前に確信をしました。
「ああ、SUNABACO今治のスタッフはイベントの時だけ気を張っているんじゃないんだ。地域に、地場産業に密着して、毎日毎日、その街の人間として死ぬ気で生きて働いているんだな」と。

そして、その価値観を、企業文化を形成して死ぬ気で守り続けている経営陣がいるんだなと。

僕が登壇した日から遡ることかなり前。猫山課長というアカウントがSUNABACOさんに初めて接触して、感化されて長文のnoteエントリーを書かれていた。

その時の感想は「金融機関の人間のくせにお気持ちポエム書くなよ」でした。ごめんなさい。

僕も似たような人生を歩んできたので、地場産業に対しては強い思い入れとともに反省や後悔、謝罪の気持ちに似たような感情を持っています。我々が大きな利益を貪るために、手を汚さず、資本主義の名のもとに好き放題に破壊して、時には手を差し伸べてオナニーをしてきた対象なわけです。

その金融機関の末端ではなく、大きな責任とともに後悔の念を背負って生涯生きる義務をもつ本部の課長が、地場産業に死ぬ気で食らいついて抗う人達に会いに行って、いまさら「感動しました」とポエムを書くとか大学生NPO団体の最貧国観光ツアーでお気持ち垂れ流す頭ハッピーセット状態かよと。(さすがに言い過ぎですいません)

でも、今、登壇を終えて2日、こんなに書きたいことが溢れてくるのは「感動した」としか形容できないんですよ。いや逆に金融機関の職員だからこそ感動したんじゃないですか。家族も親戚も路頭に迷うから助けて欲しいと差し伸べられた手を稟議を書くこともなく跳ね除けて、断れない経営者に要らない商品を提案して、恨まれて嫌われて、そして自分も彼らを憎んで、思い出すだけでも吐き気がして。それでもその中でしか生きることができず、本部にまで行って、いろんな方向から引っ張られて引き裂かれそうになっているからこそ、感動したんでしょ。

カスしかいないと思っていた地方の中小企業の中に、自分が新卒の時に描いた青臭い理想を追求している会社があって、そこにしっかりと人が集まって、死ぬ気で働いてるんですからね。猫山課長さんがSUNABACOに積極的に関与するのは自分の学習や将来のためでもあるだろうけれど、もしかすると贖罪、もしくは、納得のため、そういった感情に突き動かされてはるばる遠い地を訪れているのではないんでしょうか。勝手にそう考えています。

どつき・どつかれてきたおっさん同士、多くの言葉は要りません。
仕事と成果で語り合いましょう。

最後に、登壇に来て頂いた方に。

まず、関東や沖縄などからも来て頂いたようで、本当にありがとうございます。すでに何時間も聴講したあとに2時間超も話してすいません。でも、無駄なことは一切話していませんし、手を抜いてダラダラ話していたわけでもありません。次の瞬間、戦場に放り込まれても生き残れる人が増えるように、本気でビジネスについて話しました。

そして、僕の言っていることは偏って傾いてしまっています。
もちろんメタ認知や客観的な事実にも基づいた思考も持ち合わせていると信じていますが、自分の手で稼ぐということは、とにかく確信が持てなくても突っ走ってみる段階がどこかで必要です。そのためにはメタ認知や事実なんて邪魔なんです。

一度全部捨て去って偏りきってみてください。まっすぐ物事を見ていたら見えないんですよ。自販機の下に落ちている小銭を探す時は傾くでしょ。手も汚れるし服も汚れます。何やってんのこいつって思われるでしょう。でもほしいなら傾いてください。自販機の下に落ちてる小銭あさり?そんな風にたとえてくるようなやつの話なんて聞きたくない、それならそれでOKです。副業ってキレイでかっこよくてキラキラしててみんなから素敵って言われる最高なものですよって言ってくれるやつと仲良くしてください。たぶん詐欺師ですけどね。


ほんじゃ、性格が悪いので最悪な感じで締めくくります。
SUNABACO今治、最高に楽しかったよ。ありがとうね。

お気持ちだけで結構です。ありがとうございます。