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映画『PERFECT DAYS』 感想 2024/3/25

美しい映像であった。

東京という都市空間を舞台に一人の男が清貧に生きる。彼の起床から始まる映像はさながら「丁寧な暮らし」をするYouTuberのモーニングルーティンのようだ。(私は絶望ライン工を想起した) 

彼の仕事はトイレ掃除であり、それは一般的に社会的ステータスが低いとされる職業である。しかし、この映画でのトイレ清掃員は朝に事務所へ出勤する必要もなく、上司に監視されることも管理されることもない。徹底的に自由な職業として描かれている。

その自由度は彼が自営業者であると錯覚してしまうほどである。掃除の方法は彼に委ねられており、彼はその方法に自らのこだわりを持って行っている。そこにいるのは下級労働者としての清掃員ではなく、職人としての清掃員である。

このことを象徴しているのが、彼が乗るのは無個性な白のバンではなく、きれいな青色をした、彼の好きなカセットをたくさん詰め込んだバンであるということだ。

本来なら登場するはずの、彼の雇用者の存在と彼と雇用者との間にあるはずの支配関係が透明化されているのである。

この他にも、彼が住むアパートの広さや、朝の缶コーヒー、公衆浴場へ通うこと、毎日居酒屋で晩酌をすることなど「貧しくても充実している」かのように見える彼の暮らしがその実、かなりの出費を伴っていることにも気がつく。(押上のこの広さのアパートの家賃はいくらになるのだろう?)

このように資本主義的な競争とは別の生き方を提示しているように見えて、その生き方にお金がかかる、ひいては資本主義の内部でしかないことを強調するという、アイロニカルな効果を生んでいる。

一期一会的だが、人間味がある主人公の人との関わり方も、現代社会が失ったものを描いているようにみせて、単に現代人にとって都合がいいどこにもないもの、ユートピア的になっている。

主人公のアパートに姪が家出して遊びにくるシーンがあるが、「親」ではなく「叔父」として子どもに関わることを肯定的に描くことは現代人の他者に対して関わる際の無責任さが表れているともいえる。

この映画の怖いところはこのような効果が計算されてなされているようにも思えるところである。

この映画はファーストリテーリングの取締役である柳井康二氏が手掛けるプロジェクト「THE TOKYO TOILET」のPR映像として撮影された。

つまりこの映画のスポンサーは大企業ということだ。それもユニクロブランドを手掛ける企業である。ユニクロのブランドコンセプトは「人々の生活をより豊かに、より快適にする究極の普段着」である。究極の普段着とあるように、ユニクロはミニマリズム的な志向に合わせた商品展開を行ってる。このような質素なライフスタイルでブランディングし、売り上げを伸ばし、グローバル展開までしているのである。

有り余る物に囲まれる資本主義的生活からの逃避先としてのシンプルな暮らし、ミニマルな暮らしが、一つの消費性向としてマーケティングの対象となり、実際にこれでブランディングした企業が大きな成功を収めている。

この映画にはこの大企業の抱える自己矛盾が凝縮されている。

この凝縮された自己矛盾が、スポンサーのPR映像としてのブランドイメージのストレートな表現と、スポンサーを含む大資本へのアイロニカルな効果を両立させている。

この効果が意図的かどうかは明らかではないが、この映画の成り立ちや表現が、私たちの社会と生活のあり方を問い直していることは間違いない。

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