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クリスマスはもうこない


-1-

「ご飯だから、お母さん呼んできて」

 お祖母ちゃんは、流しのほう向いてボクには背を向けたまま言った。ボクはさっきから見たいテレビが無くて、忙しくチャンネルを変えたりしていた。
「テレビを見ないなら消しなさいよ。ご飯だし」
「うん……でも、コレが終わったら見たかったのやるから……」と、答える。テレビを切ってしまったあとの真っ黒な画面がボクはちょっと怖い。今までそんなこと思ったこと無かったのだけど、静かな家の中で、テレビ画面だけがボクを見ていてくれているような気がするんだ。お祖母ちゃんに言うと6年生にもなってそんなことが怖いのかと言われそうなので、黙っていた。
「ほら、卓くん。お母さん呼んできて」
「わかったよ。いまいくよ」 あさっては大晦日だというのに、お母さんはずっと閉じこもったままだ。リビングを出て、廊下を隔てた向かいのふすまを開く。この部屋には、特別な匂いがする。お母さんはまた、ずっと1人で座り込んでいた。もう、何日もこの部屋から出ようとしない。ボクが話しかけても、うつろに返事をするだけだ。まるで夏に庭で拾った蝉の抜け殻みたいだとボクは思ってる。でも、抜け殻は中身が空っぽだから、トイレにも行かないし、ご飯も食べない。でも、お母さんはまるで体重が無くなってしまったような歩き方で、トイレにも行くし、ご飯もちょっとは食べる。食べないとお祖母ちゃんが泣くからだ。お母さんがこんな状態になってもう一週間近く経つ。ボクのお母さんは、美加と一緒に遠いところに行ってしまったのだろうか。

「お母さん。ご飯だって」
 ボクが話しかけても、お母さんはじっと座ったまま、前を向いている。お母さんが見ているのは、真新しい仏壇の中にある美加の写真だけだ。仏壇の前にはいつもお線香が、細く煙をあげているし、美加の好きだったプリンも置いてある。いつも眠るとき一緒だった、クマのぬいぐるみは、美加と一緒に燃やしてしまった。

 美加とお母さんは、23日に、クリスマスのプレゼントを買いにデパートに出かけた。あれこれと買い物をして、帰り間際に、デパートの一階にある花屋さんで、小さなツリーの植木鉢を買おうとした。美加には、入り口のところで待つようにと言いながら、店に入った。店員さんと、鉢植えを選んでいるとき、急ブレーキの音と、なにかがぶつかる鈍い音がして、お母さんはあわてて外に飛び出した。美加は、車にはねられたのだ。

 美加はすぐ救急車で、病院に運ばれた。
 でも、美加はもう手遅れだった。お母さんの心もその時死んでしまった。

 お通夜とかお葬式とか、ボクにはよくわからない窮屈なコトをして、美加とお別れをした。だけど、今でもボクは美加が死んでしまったなんて信じられない。
 どうして美加が、車道に飛び出したのか解らない。いつもは用心深い美加が、信号を渡らないで、車道に飛び出すなんて考えつかないことだった。引っ込み思案の美加が、そんな思い切った行動をとった理由はなんなんだろう。

 いつも美加と喧嘩してお母さんに叱られた。叱られても叱られても、ついつい喧嘩しちゃうけど、美加とボクは仲良しだった。美加はいつもお菓子を半分こして、大きい方をボクにくれた。「おにいちゃんは、カラダが大きいから、大きい方ね」と言って笑った。その美加がもういないなんて信じられない。お菓子ももう2つに分けなくても1人で食べられる。でも、1人で食べるお菓子なんてちっともおいしくない。

 みんないっぱい泣いた。お母さんもお祖母ちゃんも、お父さんまで大声で泣いた。みんな美加がいなくなったことなんて、信じたくなくて泣いたんだ。お母さんはずっと泣き続け、涙が出なくなったら今度は、抜け殻になってしまった。

 お父さんは、すこし無口になったけど、それでも今日は会社に行った。仕事で少し問題があったとかで、今年はお父さんは、お正月のお休みがないのだ。朝、玄関まで見送ったボクに、「お父さんが会社に行っている間、お母さんを頼むよ」と、言って出かけていった。頼むよって言われても、お母さんはずっと閉じこもって座っている。ボクが話しかけても、なにも言わないし、ボクを見ようともしない。

 お母さんは美加がいなくなって悲しいかも知れないけど、悲しいのはお母さんだけじゃないのに。いなくなった美加には悪いと思うけど、ボクだってお母さんの子どもなのに、なんでこっちを見てくれないんだろう。お母さんはやっぱり、ボクより美加のほうが好きだったんだろうか。

「お母さん! ご飯!」
「ねえ! お母さん!」
 ボクは、美加との間を邪魔するようにお母さんの前に座った。
「ねえ! お母さんってば!」
 お母さんはなにもいわない。ぼんやりしてボクを見ていないみたいだ。まるで、ボクが透明人間になったような気がした。もしかして、ボクも死んでるのかも知れない。だから、お母さんにボクが言っていることが聞こえないんだ。

 

-2-

 大晦日は、毎年家族で年越しそばを食べて、テレビを見ながらゲームをしたりしていた。でも、来年はボクの家には、お正月がこないらしい。
 今年のお正月は、みんなで人生ゲームをやった。ゲームの中で美加は、あっという間に結婚して、たくさん子供を産んだ。お父さんが、「美加、そんなに子ども産んで育てられるのか?」と、からかいながら言ったんだ。すると美加は「大丈夫。この一番はじめに産まれた子供が、ちゃんと妹の面倒みてくれるんだもん」と、コマの車の後ろにさしてある青いピンを指さしながら笑った。
「ふーん。まるでボクみたいジャン」と、ボクが言うと、お母さんは、
「喧嘩ばっかりするけどねー」と、笑った。

 あの時は、みんな笑ってた。ずっとこうして笑い会える日が続くと思っていた。
 でも美加はいってしまった。寂しがりやの美加だから、みんなの心を少しずつちぎっていったけど、どうしてお母さんの心は全部一緒に持って行っちゃったんだろう。
 美加は、ワガママだ。生きているうちも、お母さんといつも一緒で、甘ったれていたのに、死んでからもお母さんを独り占めしたいんだろうか。
 うちの子は、美加1人じゃないのに。ボクだっているのに。
 お母さんまでいなくなったら、うちはどうすればいいんだ。今のボクのうちは、どんなにヒーターをつけても、寒い。

 冬休みだし、どうせ起きてもなにもすることがないので、いつまでもぐずぐずと布団の中にいた。すると、階段の下からボクを呼ぶ声が聞こえる。
「卓! ご飯食べちゃいなさい!」
 お祖母ちゃんって、これしか言うこと無いんだろうか。いつまでお祖母ちゃんはうちにいてくれるんだろう。お母さんがずっとあのまんまだったら、ずっとお祖母ちゃんがご飯作るのかな。お祖母ちゃんの作るご飯もおいしいけど、ボクはお母さんの作った、スパゲッテイやシチューが食べたい。

「おはよあ」
「あくびしながら入ってくるなよ。卓。こっちに移る。ふぁ」
 ソファで新聞を読んでいたお父さんが、思いっきり大きな口を開けてあくびをした。
「あれ? お父さん、仕事は?」
「ああ、会社に言ってしばらく休ませてもらうことにした」
「大丈夫なの?」
「さー。ワカラン。大丈夫なんじゃないか?」新聞を畳みながらニヤニヤして言った。寝起きの顔をしているが、お父さんは急に元気になったみたいに見える。
「ま、なるようにしかナランって。正月は急に呼び出されるかも知れないがね」
「ふうん」台所のほうに歩きながら、ボクは少し嬉しかった。お父さんはもう、大丈夫なんだ。いつものお父さんに戻ったんだ。

「卓。早く食べて、おつゆ冷めるでしょ」
「うん」
 今日も朝食は、ご飯とみそ汁に焼き魚、卵に海苔と、漬け物だ。
「ねえ。お祖母ちゃん。ボク今度から、朝ご飯はパンがいいなあ」
「なにいってるの。育ち盛りでしょ。朝はしっかり食べなきゃ」
「でもさあ……」
「卓ぅ。ワガママ言うんじゃないぞー」リビングのほうからお父さんの声が聞こえる。
「ワガママじゃないよ。食べたいモノを言っただけだよ!」つい、声が大きくなってしまった。「ただ、パンが食べたいって言うのがそんなにワガママなの?! ボクはただ、パンが食べたいだけなんだっ!」
「はいはい。ごめんよ。じゃ、明日パンにするから、今日はこれで我慢して」大きな声にビックリしたのか、お祖母ちゃんはちょっとおろおろしてるみたいだ。
「お義母さん。そんな甘やかすこと無いですよ」いつのまにか、台所の入り口にお父さんが立っていた。「卓、お祖母ちゃんが一生懸命作ってくれてるのに文句言うんじゃない」
「違うよ! 文句言ってるんじゃなくて……! ボクはただ、パンが……」
「パンを食べたいなら、自分でやりなさい。お祖母ちゃんだって大変なんだ」
「だって、お母さんはいつもパンだった。ボクは朝ずっとパンを食べていたんだ!」急に喉のあたりが熱くなって、涙があふれそうになる。「ボクは……ずっと我慢していたんだ。パンが……パンが食べたいんだ」
「だから、そんなに食いたいなら、自分で買ってきて作ればいいだろう」お父さんの声が急に怖くなった。まるで固いボールがボクの頭の上から降って来るみたいだ。
「ち、違う。お父さんは解ってない……。ボクは……ボクは……ボクだって子どもなんだ。まだ子どもなんだ! みんな美加のことばかり考えているけど、ボクだってこの家の子どもなんだ!」涙が止まらなくなってしまった。ボクはうつむいたまま、言葉を絞り出した。

「卓……」

 小さくボクを呼ぶ声に、一瞬、世界の音が無くなった。壁に掛けてある、時計の音も冷蔵庫のブーンと唸る音も、ファンヒーターの音も。お祖母ちゃんもお父さんも息を止めているようだ。
 顔を上げて振り向くと、お父さんの後ろにお母さんが立っていた。お母さんは、ゆっくりお父さんの横をすり抜け、ボクのほうにやってきた。

「ゴメンね。卓」
 と、小さな声で言いながら、ボクの頭に手を乗せた。
「お、おか、おかあさん……」
「明日から、パン、食べようね。お母さん作るから」
 お母さんが優しくボクの頭をなでる。お母さんだ。お母さんが帰ってきたんだ。もう、消えたテレビの黒い画面を怖がらなくていいんだ。

 

-3-

 今まですっかり忘れていたけど、冬休みの宿題をなんにもしてない。自分の部屋の引き出しからプリントを出そうとしたら、そこに小さな包みがあった。美加へのクリスマスプレゼント。美加がほしがっていた、シルバニアファミリーの小さな赤ちゃんネズミ。三ヶ月前からお小遣いを少しずつ貯めて、買って置いたんだ。イブの朝渡すつもりで、ここにいれていたのを忘れてた。
 せめて、写真の美加に見せてあげようと思って、美加の仏壇がある部屋に入る。美加の写真と向き合って座り、キレイに包装された包み紙を剥がし、プラスティックのケースに入ったネズミの赤ちゃんを、ロウソクの横に置いた。
「美加。遅くなってゴメン」
「あら。なあに?」お母さんが、水を汲んだコップを持って入ってきた。美加の仏壇にお供えするヤツだ。
「シルバニア……美加がほしがっていた……」
「クリスマスの……ね」
「そう」
「よかったね。美加。お兄ちゃん約束守ってくれていたよ」お母さんは小さなネズミの箱をそっと指でなでた。
「そうだ。卓にもあるのよ」
「え?」
「ちょっと待って」と、お母さん立ち上がりリビングのほうに行く。一分もしないうちに、お母さんは赤い包みを持って入ってきた。
「はい。年が変わらないうちなら、まだいいわよね」と、包みをボクに渡した。「遅くなったけど、クリスマスプレゼント。昨日お父さんが買ってきてくれたのよ」
「開けていい?」
「もちろん」
 ボクは包み紙を破かないように、そっとテープを剥がし、キレイに包装紙をはずした。
 ずっと欲しかったゲームのソフトだ。もう、ダウンロードできる期間が過ぎていて、パッケージを探すしかなかったやつだ。
「ありがとう!」
 お母さんは、また目に涙をためている。美加のことを思いだしたんだろうか。本当なら、2人一緒にイブの日にこうやってプレゼントを開けていたんだ。美加が不注意に車道になんて飛び出すから、いけないんだ。お母さんもお父さんもみんなも悲しませて……。美加のバカ。
 これからは、美加の分まで、ボクはお母さんやお父さんに優しくしてあげよう。

 

-4-

 テレビでは朝から、「おめでとうございます」と言っている。でも、ボクの家はだれも「おめでとう」とは言わない。

 お昼過ぎに、同じクラスの聡君から電話があって、ヒマだから遊びに来いという。お母さんは迷惑なんじゃないかって言っていたけど、聡君は、一人っ子で、大人達はみんな酒盛りをしていて、誰も相手にしてくれなくてつまらないらしい。今までは、ボクは美加と遊んでいたけど、これからは一人っ子になっちゃうんだ。聡君と一緒の一人っ子なんてなんとなく変な気がした。どっちみち、家にいてもやることはないし、つまらないので出かけることにした。ゲームをもらったと言ったら、聡君は、それを持ってこいと、興奮気味だった。前から聡君もほしがっていたからだ。
 聡君の家に行く前に、ジュースとお菓子を買っていくことにして、コンビニに寄った。2人で食べられるお菓子をおみやげに持って行きなさいと、お母さんがお金をくれたのだ。
 お菓子を買ってコンビニを出ようとしたら、隣のクラスの佐藤君がいた。どうやら、もらったお年玉でゲームソフトを買おうと思ったらしい。
「オレさー。コレ欲しいんだけど、どっこも無いんだよな」
「ボク持ってるよ。お父さんが買ってきてくれたんだ」と、カバンの中からゲームソフトを出して佐藤君に見せた。
「へーっ! すげえ! いいなあ。これ、売り切れで手に入らないんだぜ!」
「そうなんだ。お父さんどうやって探したんだろう」
「あ、アソコじゃないか。デパートの前の店」
 デパートと聞いて、心臓がどきっとした。美加が車にはねられた場所は、佐藤君の言うデパートの前だからだ。
「あそこ張り紙あったもん。あそこだけなんだよな。この辺でパッケージ売ってるとこ」
「そーかあ。お父さんよく知ってたなあ」
「今度、オレにもやらせて」
「うん。じゃね」

 コンビニを出て、正月だからか、交通量の少ない道路を反対側に渡ろうとして、ボクは急に胸が痛くなった。まるで、突然自分が人形になったような気がして、足と手がなんだかがくがくしてる。心臓の音が耳の奥で大きく聞こえる。

 そうか。美加。

 だから、デパートの前の道を渡ろうとしたんだ……。 美加は、デパートで売ってなかったこのソフトを、デパートの向かいの店まで探しに行こうと思ったのだ。だから、お母さんが待っていろといった場所から離れて、車道を渡ろうとしたのだ。あの時、ボクのプレゼントだけ買えなかったというのは、そういう訳だったのだ。

 美加。美加。

 ゲームなんていらなかった。ゲームで遊ぶより、美加ともっと遊びたかった。美加と喧嘩がしたかった。お菓子を半分こにしたかった。

 ボクは、ゲームを手にしたまま、大声で泣いた。道を歩いている人が変な目で見てるけど、かまわず泣いた。

 もう、ボクには二度とクリスマスはこない。


 

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