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「諸悪の根源」が19歳、雀荘に通いながら知った憲法を知った、だけの話。

今月始まった朝ドラ『虎に翼』を見て、毎朝、10代の頃のきもちを思い出し続けている。

私は小さな頃から、わけがわからない規則に従うのが本当に苦手で、かつ、思い立ったらすぐ行動してしまう癖があった。ルールなんてみんなで変えていけばよかったい! と思っていた。

<縦のものは横にするとばい。>

だから小学校で「チェッカーズカット禁止」のお触れが出た時には、「髪型の自由」を掲げて児童会長選挙に立候補し、演説をし、結果的に学校史上初の女子児童会長になって、校則を変えた。

ただし昭和の男尊女卑アイランド・九州だったので、「女のくせに」とだいぶ言われたし、そのうち、学校で起こるいろんな出来事の黒幕だと言われるようになった。友達のお母さんから「先生が、諸悪の根源はカナちゃんって言いよらしたばい」と聞いたときには、平気なふりしてたけど、やっぱり泣いた。

中学になると「女子は靴下三つ折りルール」があった。私は我慢できず、またしても廃止運動に立ち上がった。「諸君! 靴下を脱いだ時に足首にできている輪っかのような跡、それは我々を縛りつけている見えない鎖である!」 また立候補して生徒会で頑張った。

<ほらねヤンキーの真似してみても、靴下は三つ折り。>

いやー、担任から叩かれた叩かれた。もはや女子であることとかも超えて「社会に出てろくな人間にならない」と、繰り返し言われた。それは脅しとかじゃなく、実際に「見たことないような最低な内申」だったと、高校進学後に知った。英語の年配の女性教師だけが、「頑張りなさい」と言い続けてくれた。


やがて私は第一志望校の文学部に落ち、某大学の法学部に進む(このあたりもドラマとリンクしなくもない)。ただ私は、法律なんてぜんぜん興味なかった。うつうつとした大学1年の秋、憲法に出会う。

第十三条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

(日本国憲法)

えっ! あったんやん、個人の権利!
自由とか幸福って、個人が追求していいんや!!!
…ってことは、私が長崎で大人たちから罵倒され続けてきたアレ、実は保障されてたんやん!

泣いた。衝撃だった。ガリレオ・ガリレイがあとで「いや、地球回ってたわ、やっぱり」と言われたらこんなかんじかと思うくらい。
めちゃくちゃ嬉しかった。そして同じだけ、悔しかった。

そんな13条の前には、こんなことも書いてあった。

第十二条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

(日本国憲法)

おお、そっか! 了解!! 個人にちゃんと権利があると知ったからには、私はやるで。守り切るがな!
私はすっかりやる気になって法律相談部という部活にも入り、司法試験の受験もはじめた。弁護士になって、小さい頃の私みたいな女こどもを守ろう! と思ったのだった。

<記憶によると当時(1990年代)の法学部の女子比率16%なので、まさにこの割合>


いわゆる苦学生だった私は、当時「日本初のギャル雀」と呼ばれた高田馬場ポリエステル100%という雀荘で週6日メンバーのバイトをしながら、頑張って勉強した。
とはいえ麻雀しながら受かるような合格率3%の(旧司法)試験ではなく、3年生・4年生と二次試験は受かるものの三次に落ち、現役合格が不可能になったタイミングで、司法試験を諦めた。

当時は就職氷河期直前で、大学4年の夏からの就活では就職浪人も確定というタイミングで、たまたま学生起業準備中の孫泰蔵くんに出会ったことから、思いがけずヤフーの立ち上げに関わることになり、その後は法とは直接関係ない人生が続いている。

でもねやっぱりヤフーならインターネットを通じて、いまのリベルタ学舎なら学びの場を通じて、日本でせっかく保障されている「個人が自由や幸福を追求する権利」を実現する機会を増やす!というのが、あまりふだん言わない原点だ。

……という10代の頃のアレコレを思い出して、このところ毎朝、胸がアツアツ。単に、米津玄師の曲がすごーく素敵だからかもしれないけど。



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