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宝塚に暮らすこと

とても久しぶりにnoteを動かすことにしました。特筆すべき人生の大きな選択をしたからです。大好きな場所、4年間通い続けた宝塚市にひとりで暮らし始めました。結婚20年目にして、円満別居という形になります。

私たち夫婦は15年ほど前に、地元である横浜から北海道に引っ越しました。その時のきっかけも、今回と同じでした。

それは「運命だと感じられる偶然が重なったから」。

私は21歳の時に、唯一の家族である母を病気で亡くしました。私を育てるために命を削るようにして生きた母が、ずっと私の人生に常に寄り添い続けているように感じます。私が何かを強く願った時、歯車が噛み合うようにチャンスが訪れることがあります。それを私たち夫婦は信じて、ここまで来ました。

昨年末に職場でひどく嫌な想いをしました。私のトラウマに触れるような出来事で号泣してしまい、そのまま退職しようかとも思ったのですが、契約の途中での退職を思い止まり3月まで勤務を続けることにしました。契約時に定められた期間を満了したことによる退職、という形を取ることができて、雇用保険上「会社都合の退職」として待機期間7日間のみで失業給付を受けることができます。

大好きな水美舞斗さんのディナーショーが、コロナウィルス流行の影響で食事なしのスペシャルライブという形で行われました。奇跡的にホテルへの電話でチケットを取ることができて、夫婦で最終日に参加しました。その翌日に気になっていた物件を内見して、引っ越しを決めました。

私の名義で申し込むためには「無職」ではダメでした。仕事を続けていたから、生まれて初めて自分の名義で部屋を借りることができました。

様々な偶然を線で結び勇気に変えて、軽自動車一台に荷物を積み込み船に乗り、引っ越してきました。まだ仕事も決まっていませんし、花組の公演はまさかの途中で公演中止…。不安がないと言ったら嘘になりますが、やはり大好きな劇場のそばで暮らす幸せは大きいです。

夫婦のコミュニケーションは、もっぱらLINE通話で取っています。ゴールデンウィークには夫がこちらに来る予定なので、今から楽しみです。(どこにも行けなそうですけども)


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