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今こそCAROLの意味

音楽の力をずっと信じ続けた音楽の申し子、小室哲哉氏が、音楽からの引退を宣言した。様々な意見がテレビやネットで飛び交っている。

妻のKEIKOさんは、若くして、くも膜下出血で倒れ闘病中だ。自分が歌手だということを忘れている、音楽に疲れてしまう…という。音楽で結ばれたふたりにとって、それは何を意味しただろう。一番惹かれていた部分を失った相手を、ずっと愛し続けることはできるだろうか。音楽を失った家庭を音楽で支え続けなくてはいけない。生み出した音楽に対しての賛同を得たくても、それが雑音としてしか受け止められなかったとしたら…それ以上の苦しみがあるだろうか。

TM NETWORK30周年のテーマは、CAROL、だった。

TM NETWORKがかつて産み出し、アルバム、木根尚登が書いた小説、そしてライブで描かれたそのストーリーは、GABALL SCREEN という人気のバンドが、音楽と呼ぶにふさわしくないひどいアルバムを発表するところから始まる。皆が酷評する中、CAROLはひとりそのアルバムに疑問を感じ、別世界で音楽を奪う怪物『ジャイガンティカ』と対峙する。GABALL SCREEN は実はその世界の住人で、CAROLは彼らと共に失われた音を取り戻す…という話だ。

CAROLは音を失ったGABALL SCREEN をただひとり愛し抜く。音を失った妻を愛し抜く…そのとき小室哲哉氏は、自分にCAROLを重ねていたのかもしれない。本当に音楽の力を一番信じたかったのは、小室氏ではないかと思うのだ。

愛する人が命を失わず目の前に存在し続けていてくれることは、とても幸せことだろう。でも、期待を持って日々を積み重ねていく中で、絆であるはずの音楽が二人を隔てることに対する不安と苦しみは増していったのではないだろうか…。生きていてくれるだけでいい、という想いに反して、自分の大切な音楽をを理解してほしいという願いをどうしても抱いてしまう。音楽の力を誰よりも信じて生きてきたからこその絶望がそこにはあったのではないか。

小室氏は、自分の才能が枯渇したという。それは彼が、いつも誰かのために音楽を作り続けてきたからなのだと思う。好きな音楽ができればいい、というアーティストもいる。音楽に力などあってはいけない、という巨匠もいる。でも、彼は音楽の力を信じていた。それは一部の人ではなく、多くの人に届き、世界をよりよくするものだと。ほんの少しだとしても、愛と勇気をもたらすものだと。評価を欲していたのは、名声、ましてやお金のためなどではないと思っている。きっと、ずっと、信じていたのだ。音楽が世界を救うと。

彼が作り出した名曲たちは、もう充分すぎるくらいに存在している。たくさんの人の希望をつなぎ、命を救い、ふとした日常の中で口ずさまれている。だから、もう自由に音と戯れていてほしい。心から、そう願っている。




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