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塀の中で見ていたもの

見者としての看守

矯正研修支所で教官をしていた時に、最初に掴みとしてた話の一節です。
「看守の「看」の字は、「手」に「見る」と書く。これは目の上に手をかざして「見る」ことだ。君らの仕事は受刑者の監視だけではない。刑務所の中のあらゆることを注意深く見ることだ」
というのが得意技で、3年間やってましたので、概ね三千人くらいにはいってるのではないでしょうか。誰かがどこかで使っていれば面白いと思います。
そんな感じで他人に話すのですが、自分自身もこのことについて考えを巡らした時期があります。
たまたま知ったのですが、アルチュール・ランボーには「見者の手紙」と呼ばれる文書があります。言葉の響きが好きで、勤務していた27年間、自分自身を私は「見者」と認識していました。

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人間の行うこと

様々な受刑者や少年を見てきました。現場職員ではなく、幹部職員として勤務していたため、過去帳と呼ばれている生育歴や裁判の記録などにも触れる機会が多かったのです。
特に長期受刑者を収容する施設では、分類部門という受刑者の心理分析等を行って適切な取り扱いを審査する部署の責任者でしたので、仕事であるのをいいことに、ほぼ全ての受刑者の情報を読みました。
今、それがどんなものだったか書こうと思いましたが、「○○で〇〇した受刑者」とタイトル的に書いただけでもあまりにもひどいので自粛します。
で、その受刑者は実際に目の前にいるのです。本人に対して面接をして現在の気持ちや今後どうしたいかについて聞き取り、今後の処遇や仮釈放の可否等について判断しなければならないの仕事ですから。
当時は仕事でしたので、冷静に聞いたり判断していましたが、今振り返ると先ほど、要約もできないくらいに悲惨で残忍で人間のやることではありません。
また、同時に育成歴や裁判の記録、心理分析の結果など、その犯罪に至った背景も。

悲しみの連鎖

推理小説を反対から読むように、全ての記録はその事件がおこらざる得ない状況に進んでゆきます。本人の生まれながらに持っていた特徴や能力、出会う人々や環境、その生きている時代までが本人が犯罪を起こさざる得ない状況に進むのです。確かに、選択肢の判断を明らかに間違っていることもありますが、それさえも必然に思えるのです。
多くの事件を見てくると、人はいかに悲しみの中で生きているのかということが実感されます。それは、犯罪の被害者、本人、周りの様々な人、そして、見者としての刑務官もです。刑務所は悲しみの器なのです。

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退職して移住して

冗談めかして、「27年の懲役を終えて出てきました」というのですが、実は本心です。しかし、それは決して苦しいものではありませんでした。仕事運に恵まれ、普通の職員では経験できない仕事を任され、その仕事に関わる全てを愛していました。
しかし、いつでもその情景には悲しみの色が浮かぶのです。受刑者運動会で優勝した場面でも、出所前の仮釈放室に移動しても、面会で家族から写真を見せてもらっていても・・・
移住して思うのです。私に周りに悲しみのない場所を作りたい。世の中から少しでも悲しみをなくしたいと思うのです。
私は、見者をやめて、詩を綴る人になろうと思います。

 すくなくとも彼はすでに一度それを見たのだ!
 彼が見た夥しい前代未聞の事物の内に没し去って、
 彼が一身を終わったとしても、嘆くにはあたらない。
 なぜかというに、他の厭うべき努力者どもが、続いて現れるはずだから。
 彼らが、先に彼が没し去ったその地平線のあたりから踏み出して、
 詩を進めるから!
            アルチュール・ランボー「見者の手紙」抜粋

最後に外山ひとみさんのこと

外山ひとみさんは写真家でジャーナリストです。この文章の写真は全て彼女の写したものです。
そして私の友達です。
刑務所や少年院のことを熱心に取材してくれました。
私もその取材の過程で知り合ったのです。四国の刑務所取材のコーディネートをしてからの縁でした。
チャーミングな憧れのお姉さんみたいでした。私の写真を1枚だけ褒めてくれたのはうれしかったです。
2014年6月1日に55歳でお亡くなりになりました。
外山ひとみさんに恥ずかしくないように生きていこうと思っています。

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