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40歳手前で初めて産婦人科に行ってみた

2021年4月。ある早朝のことだった。ベッドの上で微睡のなか、足の付け根あたりに手が触れたとき、不自然な硬さを感じた。妙な胸騒ぎを感じたので、スマホを手に取り、この痼のようなものについて調べてみた。今や世の中はとても便利なもので、この疑念についてひとつの予測を安易に導き出した。「子宮筋腫」が疑われる。わたしは人生で一度も産婦人科にいったことがない。特に体に不調を感じたことがなかったからだ。しかし、このときばかりは、産婦人科に行ってみようと決意した。嫌な予感がしたのである。すぐさま、スマホを駆使して女医のいるクリニックの予約をした。初めてなのでハードルが高いため、せめて女医であることを条件にしたかった。家の近くの女医がいるクリニックを選定し、最短で予約できたのは一ヶ月後。予約をした後も胸がどきどきしていたが、その日以降はぼんやりとした不安を抱えてはいたものの、そのことが頭をよぎることはあまりなく、日々は過ぎて行った。

2021年5月。はじめての産婦人科。そのときが来た。平日だったが仕事はフレックスを用い、午前中の早い時間からクリニックに向かう。たどり着いたクリニックの扉を開けてみると、柔らかな雰囲気の内装に、穏やかな空気が流れていた。スタッフによるヒアリングがあった。私は、下腹部に痼を感じていて、また、妊娠が可能か調べたいと伝えた。がん検診はやりますかと聞かれたので、せっかくだからお願いしますと言った。
医者のいる個室へ案内され、妊娠について聞かれる。そのあと例の台に通され、股をぱかっと開き診察が始まった。その直後、「子宮筋腫ですね」と溜息とも取れるような声の響きとともに言われた。この黒いのが筋腫ですね、とエコーの画像を見せてくれたのだが、殆どが黒くて、どれがなんだかよくわからない。昨日今日できたものではなく、少なくとも5年は経っている、手術が必要ですねとも言われる。台を降りた後、子宮の絵を見せられ、このように子宮に筋腫ができていますと子宮に対してみっちりとした丸をペンで描いてくれた。さらに、MRIが必要ですが、ここでは手術はできないので、他の病院をご紹介しますとのことだった。予約はクリニックの方でもしてくれるとのことだったのでお任せした。30分ほどしてスタッフが予約できたと教えてくれたのだが、2週間後だったにも関わらず「早く予約が取れてよかったですね」と言われる。クリニックを予約するのにも1ヶ月かかったので、そんなものかと思ったが、今思えば深刻な病の可能性がある患者さんに対する配慮というニュアンスを多分に含んでいたのかもしれない。
その後、数日経ってクリニックから封筒が送られてきた。がん検診の結果である。子宮頸がんの項目には、異常なしと力強くチェックがつけられている。しかし、子宮体がんの項目にはなぜかチェックがついていない。これは、若干、深刻なのか…?漠然とした不安が募るが、調子のいい私はこのときすべてを楽観視していた。

同じく2021年5月。ついにMRIかと、紹介された病院に赴く。しかし、受付で渡された診察のファイルの資料をちらりとみると、診察→会計と書いているので、今回は診察だけなのが分かった。怖くて子宮筋腫について調べることがあまりできなかったのだが、薄々妊娠できないかもしれないと思っていたので、早く結果を知りたかった。そこそこ妙齢なので、もしも子供を産むなら早い方がいいと思っていたからだ。まあ致し方ないが、多少がっかりしながらも婦人科に進む。婦人科にて、診察のファイルや紹介状を渡した後、問診票への記入を求められる。基本的なプロフィールを1枚目の紙に記入した後、次の紙へと進むと、がんを含む告知がある場合どうするかというアンケートがあった。私はそんなに深刻なのか…?ドラマみたいだけど… 。疑念が一瞬頭をよぎったが、告知は本人にしてほしいし、自分ひとりでそれを聞くという回答をした。子宮筋腫を持つすべての人に聞いているだけかもしれない。
診察室に入って、すぐに台にのせられる。先日の医者と同じく、ああ、これは…という普通じゃない雰囲気を感じる。ここまできてますね、と臍の上あたりを触られる。前回の医者の話だと、入り口まで筋腫がきているということだったので、臍の上から入り口まで、巨大なものができているということか。こうも2人連続、ヤバみを滲ませてくると、私の方でももしかして相当やばいのか…?という不安感が募っていく。
医者から症状について聞かれた。前回のクリニックと同様、生理痛や生理不順、多月経、すべてないと答える。本当にないのだ。また、貧血は?と聞かれるも、貧血の定義がわからなかった。その定義を聞いてみたところ、疲れやすいとか…とのことだったので、1日2時間は自転車を漕いでいるのですが…と遠慮がちに答えた。医者は若干笑っていた。感じのいいお医者さんだ。
そして、MRIをしましょう、肉腫の可能性がありますと言われた。
肉腫…?お肉は好きだが別物だよね?帰ったらググろう…と思いつつMRIの日程を決めた。MRIの日取りは1週間後に決定し、その数日後にMRIの結果をみて治療の方針を決める会を設定した。私は心の中でそれを発表会と呼んだ。発表会まで、10日余りある。それまで、かくも不安な毎日を過ごすことになろうとは、予想だにしなかった。何せインターネット様社会である。不安になる要素を集めようとすれば、いくらでも集めることができる。

さて、家に帰ってからは、放心状態であった。込み上げる不安感は、子宮肉腫について調べるうちに最高潮まで達した。肉腫はいわゆる悪性の腫瘍だが、治療法が全く確立していない希少がんで、5年後の生存率は肉腫が子宮に限られるステージ1ですら50%と、予後不良。肉腫だった場合は、結構やばい。摘出して病理に出さないと筋腫(良性)なのか肉腫(悪性)なのかわからないこともある。子宮筋腫が急激に大きくなったり、巨大だった場合は、肉腫が疑われる。まじか。多分相当大きい、私の筋ちゃん…。しかし、決して急激に大きくなったわけではないことを私は知っている。ここ3年ほどだろうか、お腹がぽこんと出初め、メタボだなと認識していたのだ。そして、直近1年ほどでは、コロナ太りで体重が増えているし、運動しても食事制限してもなかなか痩せないのは加齢のせいかと思っていた。なかなか気づきづらい兆候である。確かに頻尿ではあった。しかしそれは、水分を多くとるし、お酒やコーヒーなど利尿作用が高いものを多く摂取しているためだと思っていた。これもまた、気づきづらい兆候だ。
そこで私は少しでも落ち着きを得るため、今後起こりうる未来のパターンを場合分けした。

[A]良性:1. 子宮筋腫をとって子供もできる
[A]良性:2. 子宮筋腫をとるが子供はできない
[B]悪性:1. 子宮をとるが、命は助かる
[B]悪性:2. 子宮をとるが、転移してしまって余命幾ばくか

せめて、[B]-1までで留まりたいところではあるが、万が一[B]-2だったとて、限りある人生を生きることで、日々を大事にすることができ、無為に人生を浪費するよりも価値あるものになるかもしれない。
ただ、いずれにせよ、[B]の悪性だった場合、旦那に負担を強いることになる。私と付き合う少し前に、彼は母をがんで亡くしている。同じ思いをさせたくない。そう考えただけで涙がでる。しかしそういった種々の不安も、文章を認めることで落ち着くことがわかった。今も眠れないからこのようにパソコンに向かっているのだが、不安を言語化することで客観的になり、ひたすら落ち込む時間を減らすことができる。引き続き、この作戦は続けていこうと思う。

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