雨は降るものか、止むものか。
今朝ふと、このツイートが目に入った。
<雨は降るものか、止むものか。>
考えたこともなかったけれど、そういえば私はどちらと感じているのだろう?
ツイートに返信してみた
今までこの方のツイートに返信したことはないようにも思うが、思いついたので書いてみた。
「止むもの、と感じます。
降るまでは、雨を意識しないから。
降り出したら「雨」を認識して、「止まないかなぁ…」と空を眺めることが増えます。
だから、いずれ止むもの、と感じます。
野球ウグイス嬢という仕事がら、雨が降るか降らないかはとても重要だ。
でも降るまで、もしくは降りそうになるまでは、雨を特に意識しないように思う。
試合を運営する高野連側はまた違うだろう。
もっと早い時点から、天気予報を見、天気図を睨んで、雨雲の行方を追う。
でも私は、いちスタッフ。
雨が降って試合ができないなら球場に行かないし、球場で雨が降り出したら止むまで(もしくは中止の判断が下るまで)待つ。
「よく降るねぇ」と空を眺めながら、2時間でも待つ。
「よく降るねぇ」の前提
このときに「よく降るねぇ」と言ってはいるが、これは「止む」ことが前提で出ている言葉だと感じる。
「いつまで降るのかな?」「いつ止むのかな?」と言っているようなものだ。
まったく雨が降っていないときに、そうは感じない。
真っ青な空を見て「よく晴れてるねぇ」という言葉を「いつ降るのかな?」という意味を込めて発することはない。
「よく晴れてるねぇ」は、「お天気が良くて気持ちいい!」だったり「洗濯物がよく乾くわ~」だったりする。
環境が変われば
これがたとえば、農業を営んでいる方だとまた違うのかもしれない。
お天道様も必要だろうけれど、同じくらいに雨も必要。
ならば、わたしよりもずっとフラットで真摯な気持ちで「いつまで降るのか」「いつまで晴れるのか」と、作物の生育状況と照らし合わせながら考えるのだろう。
いろんな捉え方
このツイートに返信している方々の答えも面白かった。
「正解」から逆算しようとしている方、晴れは降らないから雨は「降る」ものという方。
どれも、なるほどそんな捉え方があるのかと。
ほんとそうだなぁ
ただ私は、今回自分に降ってきた答えがなんか好きだった。
降るまでは、雨を意識しない。
降り出したら「雨」を認識して、「止まないかなぁ…」と空を眺める。
ほんとそうだなぁ笑
ときどき、これって自分が書いたのか?
自分の感性なのか?
と感じることがある。
書かされていると感じることがある。
今回は、ツイートの返信としての短い文章の組み立てや音まで含めて、書かされたものだったのかもしれない。
たぶん、数時間後には「これ誰が書いたんだ?」と感じているだろう。
そしてたぶんそれが、クリエイティビティに近いものなのかも、と思う。
おー、だとしたら私にはクリエイティビティがあるということか?
ま、それはまた分からん話だ。
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