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あの日を振り返ってみよう-2006年5月2日-

(※写真は2018年夏・サントリードリームマッチ。
撮影と加工は筆者)

5月になり、ゴールデンウィーク真っ盛り!!
……のはずが、
今年も新型コロナウィルスの
緊急事態宣言が発出した為、
野球の試合も無観客試合となり
楽しいはずのゴールデンウィークが
ゴロゴロウィークへと予定変更となった。
ただ、昨年と違うのは、
今年は野球が行われている事だ。

そんな中、Twitterである記事が流れてきて、
それを見てあの時の風景をハッキリと思い出した。

そうか。あれから15年か。

私の推し解説者は元阪神の関本賢太郎氏である、
……と、いうのは先月に書いたので
とりあえずそちらの方を読んで頂くとして、
今回は彼の選手時代の話をしようと思う。

(※ここからは敬称略。
あと、15年前の話なので記憶が曖昧な部分や、
少々盛ってる部分もあるけど、
そこはご了承ください。)

関本賢太郎(当時は関本『健太郎』)​───
阪神タイガースが育てた
最強のユーティリティプレイヤーで、
後にも先にも私が物凄く夢中になった
プロ野球選手である。

大阪府寝屋川市で生まれ、
幼少時に彼の父の故郷である
奈良県橿原市へと転居し、
そこで少年時代を過ごした。

その後、高校野球の強豪・天理高校へと進学し、
1996年のドラフト2位で阪神タイガースに入団。
将来有望の長距離バッター……と
期待されたものの、相次ぐケガに泣かされ
中々一軍へと上がれずにいた。

そんな彼の転機は2003年の日本シリーズ最終戦。
スターティングメンバーとして試合に出た彼は、
何とか爪痕を残したい、との一心で
見事なホームランを放つのである。

ただ、その時の彼は絶不調で、
全く打てる様な雰囲気ではなかった、という。
その時、彼が手にしていたバットは
自身のバット……ではなく、
同期入団の盟友・濱中治のバットだった。

その濱中のバットを握りながら、
自身の感覚とピッタリ来る場所が、
握りこぶし1個分短い所。

『短くてもホームランが打てる』

その事に気付いた彼は、
長打を狙う打ち方ではなく
『確実に』相手投手をしとめる打ち方へと
シフトチェンジしていき、
あの特徴的なバッティングスタイルを
自身が引退するまで貫くこととなる。

そんな中、私の中で印象的な試合が、
2006年5月2日。
阪神甲子園球場での阪神対巨人戦だ。

その日は日中の最高気温が15度と
初夏にしては寒く、
また、風もかなりキツい日だった。

試合展開は最初に先制したものの、
その直後に先発のオクスプリングが4失点し、
能見→藤川→久保田と継投を繋ぎ、
その間に藤本のタイムリーで同点に追いつき、
9回裏に入る段階で4対4の同点。

だが、(あれだけ強風だったのに)
この試合中にホームランが出たのは
シーツの1本だけだった。

が、9回裏にあんなドラマがあるなんて、
その場にいた阪神ファンも私も思っていなかった。

同点で迎えた9回裏。
巨人のピッチャーは左投手の林。
久保田の代打で出場したスペンサー、
次の打者である赤星が出塁出来ず、
藤本の代打に彼の名が告げられた。

その時、応援団が洒落で

『ホームラン、ホームラン、せっきもとー』

と、コールをしたのだが、
こんなに風が強く、ホームランも1本しか出ていない
展開で、私自身も『おいおい(^_^;)』と思っていた。

しかし、彼のバットから放たれた打球は────
センター方面へと伸びる長い長い滞空時間の
大きなフライ……ではなく、
センターバックスクリーンに吸い込まれる
逆転サヨナラホームランだった。

『ホームランや』

阪神ファンでいっぱいの
1塁アルプススタンドで誰かがつぶやき、
それがライトスタンドへと伝わると、
しんっと静まり返った球場全体が
その日のヒーローを讃えるかの様に
一気に湧き上がった。

一瞬の静寂のあと、歓喜の坩堝へと変わる​​────
その瞬間を球場で味わったのは、
これが初めての事だった。

その帰り道、彼のレプリカユニフォームを
着たまま帰ったのだが、
阪神電鉄の梅田駅
私のその姿を見た会社帰りのサラリーマンから、

『お姉ちゃん、関本のファンか!!
今日は良かったなぁ!!』


……と、声を掛けられ、
翌日スポーツ新聞を買いにコンビニへと走った。


その4年後、同じ日に彼はホームランを放っている。
ただ、『あの時』と
対戦しているチームは同じだが、
違うのは​双方のチーム合わせて
5本のホームランが飛び出し、
合計23本のヒットが出るという大乱打戦の展開で、
彼は8回裏一死走者なしの場面で代打で出場し、
そこでホームランを放ってお立ち台に立っている。
(なおその時の投手は、のちに彼の天敵となる
山口鉄也であることを付け足しておく)

『関本健太郎??誰それ。ルーキー??』

と、彼の最初の印象は超最悪な上に、
85年の優勝と日本一は知っているものの、
そこまで深いファンではなかった私が、
その1本のホームランで阪神ファン、
そして、彼のファンとして、
どっぷりと沼へと浸かり、現在に至る訳である。

あれから15年。ゴールデンウィークになると、
あのホームランを思い出し、熱く語り出す私に
そろそろ周囲も呆れ返っているのかもしれない。
けど、私にとって、
あのホームランは忘れられないホームランなのだ。