見出し画像

今1 日本の経済を良くする

 日本の物価、賃金は30年もの間変わらず、諸外国から置いてきぼりにされているといわれています。そこで、@賃金×労働時間+労働価値+ベーシックインカムという観点から、より良い将来について考えてみたいと思います。

① @賃金

 2000年くらいまでは、世界中の何処へ行っても、日本人にとって物価は安かったものです。しかし、2020年現在は先進国の中でも、日本の物価は中くらいの標準的なものに落ち着いています。日本がデフレの間に日本の外では、円換算でも物価が50~100%くらい上昇しているようで、日本だけが取り残されてしまっています。

  ある食堂で、ランチ定食を1000円で提供し、アルバイトの時給も1000円とします。定食の価格構造は、店の利益を含めた人件費が500円で、人件費以外の原材料その他全てを含んだ原価を500円とします。

  アルバイト時給1000円-ランチ1000円=0円となり、余裕がありません。

  ここで、賃金が2倍になるとすると、アルバイトの時給は2倍の2000円となり、定食の価格に含まれる人件費も2倍の1000円となりますが、食堂で使う原材料その他を、生産・販売するために工場等で投入される人件費割合を50%とすると、

  原材料等の原価は250+250×2=750円となります。

  そうすると、アルバイト時給2000円-ランチ(1000円+750円)= 250円となり、賃金を上げても物価はそこまで上がらず、金銭的な余裕が生まれてきます。

  しかし日本では、2000年以降、この逆が行われて、自らの首を絞めていました。

  経済的な信用がない国が、いきなり物価を上昇させると、為替レートは敏感に反応し、物価が2倍に上昇すれば、その国の通貨は半値となり、外貨ベースで、その国の物価は一定に保たれるでしょう。

  しかし、かつての日本は、政府主導で賃金、物価を上昇させていました。

  1960年に池田勇人が総理大臣に就任すると所得倍増計画を打ち上げ、為替レートが固定されているのをいいことに、賃金と物価をどんどん上昇させていきました。

  サラリーマンの月給は、1960年の24,000円から1980年には257,000円へと上昇しました。1973年2月より為替レートは完全変動相場性となりましたが、円は国際通貨として上昇し続けました。その後、1997年には420,000円とピークを記録し、以後漸減し続けています。

  この間、1970年代前半にオイル・ショックで不景気となりましたが、それでも企業は給料を多く払い続けました。なぜなら、企業の売上の原動力となるのがサラリーマンの給料(=消費者の購買力)なので、給料を下げると企業の売上が下がり、自分の首を絞めることになるからです。

  現在の日本で、賃金、物価を少しずつ上昇させても、為替レートは反応しないでしょうから、また上げていけばいいのではないでしょうか。

② 労働時間

 1990年代、外国人労働者が大量に日本にやって来ました。彼らの多くが、日本の若者は働かなくなっているので、日本の経済もこれからは落ち目になっていくだろうと言っていましたが、その通りになりました。

 1950年以前生まれの日本人は、滅私奉公、全てを犠牲にして、がむしゃらに働くことに人生の意義を見出していたようです。

 働くだけの人生は嫌だと考える若者は、平成の30年間で何倍にも増えたのではないでしょうか。

 労働時間は、人工知能や産業ロボットの開発も相まって、これからも減少していくでしょう。要は、労働時間よりも労働生産性のほうが重要なので、こちらのほうを上昇させていけばいいのではないでしょうか。

 さらに若者の消費性向が下がっているのも影響しています。

 遡ると、1962年には「消費は美徳」が流行語となり、1963年にはテレビ普及率が90%を超え、使える受像機も新型に買い替えられ、次々に捨てられていきました。使い捨ては高度成長の原動力となり、その後、車も使い捨てになりました。

 しかし現在は、これとは全く逆の流れがあり、若者ほど最小限の持ち物でミニマルな生き方を志向して、高収入であっても、決して消費性向は高くないようです。

 生産→消費→生産というサイクルが縮小しています。平たく言うと、お金を稼がず、お金を使わないようになっています。特に1990年以降生まれの若者に、その傾向が顕著だとされています。

 生産する財・サービスが人口減少以上に減少していくと予測されるので、やはり労働時間は減少していくことになるでしょう。

③ 労働価値

 疫病の蔓延によって、旅館、食堂、遊戯施設といったところで接客の仕事をしている人達が職を失っているようです。これらの仕事は将来、人工知能ロボットに取って代わられるといわれていました。したがって、疫病の蔓延によって失職の時期が早まってしまったともいえます。スーパーのような大型店舗では既に無人レジが多数導入されています。疫病が去っても、これらの人達の全てが復職できるわけではないでしょう。

 2010年以降、日本はオリンピック、万博の誘致などにより、外国人観光客の呼び込みに熱心でしたが、これは何の先端技術力も持たない発展途上国が手っ取り早く金を稼ごうとするビジネス・モデルで、こんなことをやっていると国が衰退していってしまいます。

 世の中には、いろいろな仕事がありますが、誰でもできる代替可能なものと、誰もができるわけではない代替不可能なものがあります。

 地元で百年以上続いている老舗の高級ホテルがあります。そこで催事があり、フロントの方に込み入ったことを尋ねる機会がありましたが、丁寧に粘り強く答えていただき、流石だなあと感心したことがあります。普通のホテルのフロントと違って、適性のある人物を採用し、相当な職務訓練を施したことが窺えます。

 先天的な素質として、感情を表に出さずに抑制できることが求められるでしょうが、それ以外の職務訓練は3か月から半年で済んでしまうのではないでしょうか。もっと言ってしまうと、人工知能ロボットに取って代わられるような重要性が低い仕事で、ホテルのフロントが存在しなくてもホテルの経営は成り立ちます。

 これに対して、地味かもしれませんが、コンクリートをこねるのは熟練を要します。コンクリート粉末と土と水を混ぜる割合は、土の性質、その時の大気の湿度などによって微妙に調節する必要があるため、長年の経験と勘が必要だそうです。いずれAI に取って代わられるかもしれませんが、当分の間は職人が調節することになるのでしょう。彼らは、ホテルのフロントと違って、社会運営上、必要不可欠な存在です。こういった地味だけれど必要不可欠な仕事をしてくれる人がたくさんいて、社会は成り立っています。

 社会的な労働価値は、コンクリート職人のほうがホテルのフロントより遥かに高く、もし自分自身の労働価値を高めたいのなら、こういった仕事に就いて長年の経験を積むことです。分かり易く言ってしまうと、コンクリートを十年間こね続けた人は他に代替不可能な価値を身につけますが、サービス業で二十年間接客し続けたとしても、いくらでも代わりは見つかります。

 労働者が賢ければ、接客業で長年働き続けるという選択はありえません。実際、労働価値の低い仕事ほど人工知能ロボットに直ぐに取って代わられることになるでしょう。政府も、接客業で働くのではなく、こういった仕事に就くことを支援して自国民の労働価値を上げていくことが必要です。

④ ベーシックインカム

 ベーシックインカムとは、社会福祉政策として国民の生活を最低限保障するために支給されるものです。

 2030年までに導入したいという思いが国会議員の方々にはあるようです。今回のウィルスあるいは次にやって来るウィルスが生活困窮者を大量に産み出すようであれば早まるかもしれません。

 金額は一か月5万円以上10万円未満の間になりそうですが、東京の都心で5万9千円の年金で暮らしている老人がいるので、6万円くらいになるのではないでしょうか。でも、それだけでは厳しいので、ほとんどの人が何とかして+αの収入を確保しようとするでしょう。

 財源は払い過ぎている生活保護や年金等の社会福祉費用だけでなく増税もあると思います。ベーシックインカム支給額と同額増税されたとしても差し引きゼロとなるので、所得増税は絶対にあるでしょう。

 一番恩恵を受けるのは子供で、子供のいる世帯、低所得者は恩恵を受けますが、子供のいない世帯、高所得者、生活保護および高額な年金を受給している方々は損をすることになるでしょう。子供を社会全体で育てるという考えが大切なのではないでしょうか。

 社会福祉政策が進んでいて生活保護が簡単に受けられる国では、自助意識のない、無気力な人が出てくるのは事実ですが、それ以上のメリットがあると思います。

1.生活保護、年金、児童手当、扶養者控除など社会福祉制度が多数ありますが、ベーシックインカムの導入によって一元的に管理できるので、簡単明瞭で制度を維持するための事務コストは最小となります。

2.過度に高額な年金を保障するためには、年金資産から一定水準以上の利益を確保しなければなりませんが、これが難しくなっているので、政府としては正直なところ、その義務から解放されたいというのが本音でしょう。高額な年金支払いを止めて、ベーシックインカムに抑えることが出来れば、政府は大分楽になります。

3.富の分配という観点からは、お金持ち、老人 ⇒ 貧乏人、子供 という富の再分配が行われることになります。特に、老人から子供に移転されるというのが大きいです。いままでの日本は老人が優遇され過ぎていました。老人に投資しても何のメリットもありませんが、子供への投資は国の未来に繋がります。養護施設で暮らしている子供に政府の支援があるのなら、困窮家庭の子供にも同程度の支援があって然るべきなのではないでしょうか。

 親子二人で12万円もらえれば、生活苦から母親が新生児を殺したり、親子心中したりといったことも無くなるはずです。

 少子化対策は、自然の大きな流れに逆らうだけでなく、数さえ揃えばいいと考えているようですが、これからの時代は量よりも質が問われます。現に生れてきている子供に良い環境を整えてあげて、良い人生を歩ませてあげることのほうが遥かに重要なのではないでしょうか。

4.技術革新によって一定の財・サービスを生産するために必要な労働力は減り続け、失業者は増え続けると予測されるので早期に解決策が必要です。接客サービスや単純労働は限りなくゼロに近づいていくはずです。医師、弁護士、会計士、翻訳家といった知的職域もかなり人工知能にとって代わられると言われています。

5.組織に経済的に縛られることがなくなるので、心身症が発症する前に辞めることができるようになるだけでなく、最低限の生活が保障されているので、組織の側も簡単に解雇できるようになります。両者が自由を手に入れることができ、双方にとってメリットがあります。さらに、内部告発が盛んとなり、社会の自浄機能が働きやすくなるはずです。

6.最低限の生活が保障されると経済的・精神的な自由が生まれ、これまでと違って人々は多様な人生を生きることになるでしょう。DNAに多様性があるほど生物集団が生き残れるように、皆が同じことをするのではなく、出来るだけ違うことをした方が、アンテナが広角となり、集団にとってはプラスとなります。

 例えば、無人の離島で、一か月3万円でキャンプ生活をする人が出てくると、普通の人間の生活域を離れた所で、いち早く何らかの異変に気付いてくれるかもしれません。また経済的には成り立ち難いものに挑戦する人が増え、学問や芸術のようなものは活発になり、経済的見返りの少ない伝統芸能や伝統工芸を継承する人も増えてくるのではないでしょうか。

 一番大きな障害となるのは、1950年以前生まれで比較的高額な年金を受け取っている方々です。養豚場の豚が飼葉桶のエサをむさぼり喰うようにガムシャラに生きてきた彼らにとって、最低限の生活が保障されて、のんびりと悠々自適に暮らす等という生き方は絶対に許せないのではないでしょうか。さらに、彼らにとっては、生きる=生存闘争で、生存闘争から脱落した弱者に自分達が受け取るはずだった年金が回されるなど、到底受け入れられないのではないでしょうか。

 ただ、人類の歴史を紐解くと、人類二十万年、文明化五千年の歴史において、つい最近まで租税率が八割以上でした。また、身分制度によって上位の者が下位の者を殺すことが許容されていました。ここ二百年くらいで、生きるために生存闘争しなくてもよいように社会は変わってきています。この大きな流れは変わらないでしょう。

 脳が進化すれば、生存のために争わず、平等に分配するようになり、限りなく共産主義に近づいていくのではないでしょうか。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?