私が書く意味と、

私は、随分前から書く事をして来た。最初はすごいなんていわれた。でも年齢を重ねる内に、書く事を出来る人が増えていって。何も言われなくなった。

実は書く事は、何度もやめたことがある。でも戻って来てしまう。腐れ縁の様にだ。
だから、内容は何であれ、今こうして書く場があるというのはとても有り難い。

話は変わるが、三年ぐらい前からツイッターを始めた。きっかけは友達がしていたからだ。
書く事だけでなく、私は色々してて。いつの間にか作家という者になっていた。
でも、私には実力もなくて。人に賛同してもらえる事も少なくて。だんだんと干からびていく様な、寂しさと悲しさを覚えた。今でもその気持ちはある。

嫌われてるのかもとも思った。でも私は嫌われても書く選択をした。
誰も反応しなくても、私も誰のものに反応しなくても。決してこの場に負けたくはなかった。
意地、だよなぁとも思う。

それに書く事は、決して誰の為でもない。私自身の為に書いてるのだ。私は私を救いたくて。

他人が羨ましい時もある。でも私はその人にはなれない。私は私で。
だから、書く。何だか業の様にも思える。

まぁ なんだかんだいっても、私は書くことがすきなんだ。
話し下手の私には、書いていく事はいいのかも 心の中で色々考えてしまうから。

私が書く意味は、私の為。
それでものーとに来て、誰かが私の文を読んでるなら。私にとっては凄い事で。実は嬉しくて仕方ない。
こんなぐたぐたな文を、読んでくれてありがとうと。
私以外に読んで下さった方に言いたい。

おわり

読んで下さった方が自然にサポートしてみたい、と思ってもらえる様な文を日々書いていきたいです。頂いたものは彼方が日々生きるのに有り難く使わせてもらいます。