あたらしい服について
7月。
おはようございます。
服について話そう。
新しい服について。
そのために、服を着るということについて、話さなくちゃ。
服を着るのは、そのはじまりは、からだのことを守らなくてはいけないから。
何から守るんだろう。あまりに体温とかけ離れた温度とか、菌とか、あとはなんだろう。怪我をしないように、汗を吸うように、しないといけない。
保護。
でも、そんなことは忘れ去られた過去として扱われ、服を着るというのは、ひとつめの身体の保護、から、ふたつめの人格の保護、あるいは補強というフェーズに入る。
この流れをなんとか、食い止めようとしているんです。
服を着ることで、あなたがあなたに抱いていた人格を眠らせること。
服を着ることで、誰かがあなたに抱いていた人格をあやふやにすること。
服を着ることで、あなたがあなたに抱いていた、悲観的な、からだのイメージを眠らせること。
服を着ることで誰かが、あなたに抱いていた、からだのイメージをあやふやにすること。
その結果、あなたのからだは、少なくとも、少しだけは、
誰でもない、ただの身体へと、近づくことができるんです。
あなたが、美しいのか、綺麗なのか、可愛いのか、かっこいいのか、そういった身体への形容詞を、眠らせていくことができると、思っています。
あなたが、美しい方向へと、向かっていけば良いと思っていました。
Ka na ta の服を着る人、あるいは、着ることもなく、どこかで生きている人が、美しい方向へと向かっていくと良いと、僕は10年くらい勘違いしていたんです。
でも、そうではなくて、今は、
身体に対しては、美しいのか、美しくはないのかといった形容詞を眠らせるように、その部分を服が担っていると思うんです。
僕が33年生きてきて、唯一、からだについて知っていることは、
自分の身体への形容詞に苦しんで、痛んで、なんとかそれを克服しようとする身体よりも、自分の身体への形容詞を持たないまま、環境へ形容詞を与えながら生きる人の方が最終的に素直な、嘘のない身体をしているということです。
だから、服は、イメージに対して、極めて優しい声でおやすみと言わなければいけないんです。
少し休んで、と、言わないといけないんです。
その時、僕たちが忘れないといけないのは、写真とか、鏡に映る、『正面』のことです。
ここに、イメージの90パーセントくらいが集約されています。
この部分を、360度に、分散させていくことが、イメージに殺されずに生きていくには必要です。
Ka na taの 2017−1xの新作は、
そんなことを考えながら作られた服です。
小さな僕らにできることは、
まだ、こんな些細なことなんですが、
誰かが、あなたの、正面を見ずに、
あなたの、顔を見ずに、
あなたに惚れて欲しいと思うし、
あなたが、あなたの正面を見ずに、
安らいで欲しいと思っています。
女性のワンピースは、死ぬほど大切に作るので、もう少し待ってください。
すぐに発表します。
夏が来たのに、冬のことを想像させるのは、ごめんなさい。
受注会に来なくても、大丈夫。
また秋が来て、皮膚が、それを知ったら、会いに来てください。
受注会は7月2日、日曜日まで。
そして、また富ヶ谷には月末に戻ってきます。
ゆったりいきましょう。
Ka na ta