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【短編】 彼女のくれた靴が大きすぎた

大学で、人生初の彼女ができた。
自分にはもったいないくらいの優しくて可愛い子だ。
告白してOKをもらった日は、夜も眠れなかった。

付き合い始めて初の誕生日に、彼女が靴をくれた。
普段遣いもできるけど、フォーマルな場にも履いていけるような、結構いい靴。
嬉しかった。

彼女の要望で、その場で履いてみた。
……あ、ちょっと大きい。
もちろんそうは言わずに、ぴったりだよと嘘をついた。

それからというもの、彼女と会うときにはいつもその靴だった。
詰め物をしたり、靴下を重ね履きしたり、歩きやすいように色々工夫して。
だが、結局どれもうまく行かず、デートのたびに足が痛かった。
脱げそうになって、隠れて靴を履き直したことが何度あったか。
よほど、同じ型番のサイズ違いを買おうかと思ったけど、値段を見てやめた。

「この靴どうしよう」が、あの頃の一番の悩みだった。

数ヶ月後。
デート終わりのレストランで、些細なきっかけから口論になった。
特に僕は、足が痛くてイライラしていたせいもあって、色々ひどいことを言ってしまった。
ついに泥沼化したとき、彼女が突然席を立ち、店の外へ走って行った。
僕は我に返り、彼女を追いかける。
だが、店を出る段差のところで、靴が脱げた。
派手に転び、無様に地面に倒れる。
地面から伝わってくる彼女の靴音が、遠ざかっていった。

そのまま、連絡が途絶えた。

靴を憎んだ。
こいつが大きすぎなかったら、あのとき彼女に追いつけたのに。

でもやがて、別れてよかったのかもしれない、と思うようになった。
彼女と一緒にいるときはいつも、自分をよく見せようと背伸びしていた。
話すのが苦手なのをなんとか補おうと、ものすごくがんばっていた。
だけどそれって、大きな靴を無理に履いているみたいなもの。
幸せには、なれない。

その後、もっと自分に合いそうな子と付き合ってみたりもしたけど、
やっぱりダメだった。
僕は、他人に合わせられない。
合わせても、苦しいだけ。

恋愛に、向いてないんだ。
そう認めた途端、心が軽くなった。

あの靴は、押し入れの奥深くにしまわれた。


数年後。
なんとか就活を乗り越えて入った会社で、僕はがんばっていた。
がんばりすぎていた。
言われた簡単な仕事もできないし、同僚との付き合いもきつい。
周りの人がそれ全部を当たり前にできているのが、信じられなかった。

そしてある日、クビになった。

色々な人に話を聞いて慰めてもらい、
たくさん本を読んで、自分を励ました。
そして、また仕事を探し始めた。

やっとの思いで入れた会社は、前よりも自分に合った場所だった。
ここでならやっていける。そう思った。

でも、ダメだった。
他人と一緒に何かをするのが、どうしても苦しかった。
そして何より、そんな劣った自分が情けなかった。

これ以上迷惑をかけるのが辛くなって、辞めた。

辞めた夜、家で一人。
散々泣いたあとに、ようやく思い出した。

僕は、他人に合わせられない。
合わせても、苦しいだけ。

生きるのに、向いてないんだ。

家を出た。
そのへんで見つけた誰かの自転車を漕いで、漕いで、漕いで。

いつか家族で行った、海辺の崖が脳裏に浮かんだ。
気づけば、そこへの道のりを調べていた。

崖まで来た。
自転車を捨て、無気力と絶望に任せて走る。
そして、あと五歩で地面がなくなるというそのとき、

靴が脱げた。
派手に転んで、岩場に頭を打ち付けた。

意識を取り戻したとき、脱げた靴が目に入った。
息を呑んだ。
学生時代に彼女がくれた、あの合わない靴だった。
押し入れにしまったはずなのに、なぜ。

しばらく、崖に座って、夜の海を眺めていた。

そのうち、ある衝動が湧き上がってきた。
理性で抑えようとしても、無駄だった。

僕はもう一度立ち上がり、
全身に力を込める。
そして、

靴を投げ捨てた。
海面に落ちる音が、かすかに聞こえた。

大きく息をついて、僕は引き返す。
そして、裸足のまま、自転車に飛び乗った。


もう僕に、靴はいらない。


(Fin.)

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